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テーマ「推しとの恋」
- ナノ -



 心地良い眠りの底から無理矢理引っ張り上げるような喧しい着信音が耳に届き、薄っすらと意識を浮上させる。最悪な目覚めだ。せっかく昨日は最高の気分で眠りについたというのに。
 音源であるスマホを手探りで掴み、画面に表示されている名前を確認して更にうんざり。空気読めやクソが。何時だと思っとんだ。……と言いたいところだが、ちらりと視界に入った時計が表示している時刻は九時になろうかというところ。普段なら当然のように起きている時間なだけに文句を言うのも憚られ、舌打ちしながら通話ボタンを押した。

「うっせえな……」
「あれ? かっちゃん?」
「他に誰が出ンだよ。さっさと用件言えや」

 電話の向こう側にいるアホ面のすっとぼけた声が、俺の不機嫌さを増幅させる。しかしまだ脳が半分ぐらい起きていないせいで、声を荒げる元気はなかった。まあたとえ完全に覚醒していたとしても、隣でまだ幸せそうにスヤスヤと寝息をたてている女がいる限り俺が声量を上げることはないだろうが、それはこちら側の光景が見えない人間には知る由もないことだ。
 昨日いつもより無理をさせたという自覚はある。最初はある程度のラインで止めようと思っていたのだが、結局、無理だった。今日が俺の誕生日だから、と言えばもっともらしいが、俺の理性は惚れた女が相手となるとまだまだ脆弱で、ほんの少しいつもと違う誘い方……例えば普段着ないような際どい下着を身に纏って迫られたり、自分から口付けてきたり、俺の身体を撫でてきたり、そういうことをされたら、簡単にぷつんと切れてしまうのだった。

「勝己の好きなようにしていいから」

 大丈夫。勝己になら何をされてもきもちいいの。全部さわって? ちゅー、してもいい? ぎゅってされるのすき。勝己のあったかさわけてもらえてるみたいで、あったかくなるの。どうしよう、勝己の誕生日なのに私の方が幸せかも。ねえ勝己、だいすき。

 俺に組み敷かれ、ぐずぐずのぐちゃぐちゃにされて、声が枯れるほど喘がされて、こっちはどんな文句を言われても仕方がないと思っているのに、荒い息遣いの合間にこぼされるのは蕩けたセリフばかり。女の口から飛び出す言葉は砂糖菓子よりうんと甘くて、それを受け取る側からしてみれば殺意を感じるほどだった。
 そんなことを口走って恥ずかしくないのかと疑問を抱く時期は通り越して、今は、この女は自然と俺を陥落させる能力を身に付けているのだと解釈しようとしている時期に達している。まだ理解する時期には到達していないが、たぶん女の思考や心理を理解することは一生できないだろう。
 ううん、と小さく呻きながら寝返りをうって擦り寄ってくる女の頭を撫でる。口角が上がる。だらしない顔になっているかもしれないが、誰にも見られていないのだから問題ない。

「今日の集まり、九時集合だって伝えてなかったっけ?」
「あー……」

 幸せなひとときは再び電話口の喧しい声によってかき消され眉間に皺が寄るのがわかったが、そういえば俺の誕生日祝いをするだのなんだので数日前九時に集合と言われていたことをぼんやり思い出した。生返事をした俺に「かっちゃんが忘れるなんて珍しー!」と、本気なのか煽っているのかわからない発言をしたアホ面は、おそらく一緒にいるのであろう他の奴らに「主役まだ来なさそう。忘れてたっぽい」とご丁寧な報告をしている。
 確かに俺は面倒な内容であっても約束事項は忘れない方だと思う。実際、昨日までは覚えていた。ただ、夜にあれやこれやしすぎて、不覚にも隣で眠る女のことで頭がいっぱいになってしまったのだ。目覚ましのアラームをセットする余裕もないほどに。
 つーかコイツも今日の集まり呼ばれてんだろ絶対。アラームセット……いや、俺と同じ状態だとすれば、そんな余裕はなかったか。だらしない顔でいまだに爆睡中の女の脳内が俺で埋め尽くされていたのだと思うと、この上なく気分が良い。

「なまえちゃんはまだ寝てんの?」
「あ? なんで」

 なぜアホ面は俺がなまえと一緒にいる前提で尋ねてきたのだろうという素朴な疑問が口を突いて出た。というのも、俺たちは最近付き合い始めたばかりで、まだ知り合いの誰にも報告していなかったからだ。なんなら今日しれっと言えば良いかと思っていたぐらいなのに、どういうことだろう。
 するとアホ面は「え?」と、どうにも気の抜けた声を発した。まるで俺となまえが一緒にいることは当然だと確信しているみたいな反応だ。

「だってこれ、なまえちゃんのスマホじゃん?」
「…………あ」
「まさか気付かずに出たとか?」
「ンなわけねーだろ!!! 知っとったわ!!」

 図星を突かれて認めるのがなんとなく癪で無駄な嘘を吐いてしまう。自分がこんなにマヌケだとは思わなかった。よく見てみれば(よく見なくても)手に持っているのは自分のスマホではない。アホ面のすっとぼけた第一声を思い出し、そういうことか、とようやく合点がいった。
 今更気付いてももう遅いし、なまえと一緒にいることや付き合っていることがバレたって何の問題もないはずなのに、なんとなく恥ずかしい気分にさせられているのはなぜだろう。我ながら珍しく寝坊して約束を忘れ、寝起きで覚醒しきっていない俺。一緒にいるなまえが自分のスマホの着信に応答しないぐらいぐっすり眠っている状況。それらから、昨晩何があったのか想像されるのが耐えられないからかもしれない。

「まあいいや。なまえちゃん、来れそうな感じ?」

 主に身体的に。大丈夫そ?
 アホ面の声が死ぬほど軽やかでクソほどムカついた。懸念していた通り、俺がなまえの電話に出てしまった時点で全部筒抜けのようだ。腹立たしいことこの上ないが、ここまできたら無駄に虚勢を張るのもバカらしくなってきた。

「……後でまた連絡する」
「起こさないの? なまえちゃんの体調気遣ってあげてんだ? かっちゃん、やっさしー!」
「黙れ。あとでブッ殺してやっから主役が行くまで大人しく待っとけや」
「はいはーい」

 ブッ殺される人間とは思えないほど上機嫌な返事の後「ごゆっくりどうぞー」という余計な一言を添えて切れたスマホをベッドの片隅に放り投げた。ひとまずもう一度、なまえの頭をひと撫で。それから髪をなんとなくいじってみる。
 さて、どうしたものか。「ごゆっくりどうぞ」と言われたわけだから起こさなくてもいいかとも思うし、起こさなかったらなまえが後で怒りそうだなとも思う。もっとも、怒られたところで怖くもなんともないからどうでもいいのだが。
 迷っている間になまえが「うぅ……」と身を捩りながらぼんやり目を開けた。視線が合う。ぱちりぱちり。まばたきを何度か繰り返して数秒後、クラゲみたいにふにゃふにゃした声で「おはよう」を落とす。文字通り、骨抜きにされそうな音色だ。

「何時?」
「九時前」
「寝過ぎちゃった」
「身体は」
「うん? ……あ、うん、だいじょーぶ、です」

 昨日のあれやこれやを思い出したらしく恥ずかしそうにモゾモゾとうごめく小さな身体を、やんわりと自分の方に引き寄せた。こんなに細い腰を、よくもまあ昨日折らなかったなと思う。

「アホ面から今日来れそうかって電話あった」
「上鳴くんから? 今日って何か……あ! やば! 忘れてた!」
「だろうな」
「ごめーん……勝己の誕生日パーティーなのに……」
「俺も忘れとった」
「主役は遅れて行っても良いけどさあ……」
「関係ねえだろ。つーか、バレた」
「バレた?」

 まだぽやぽやした様子で俺に大人しく抱き寄せられていたなまえが、ぴくんと動いた。俺の顔を見上げ「何が?」と尋ねてくる表情は不安そうだ。

「俺たちが付き合ってんの」
「え? なんで? どのタイミングで?」
「なまえにかかってきた電話に俺が出た」
「いつ?」
「さっき」
「……勝己でも寝ぼけてそういうことするんだね」
「俺をなんだと思っとんだ」
「パーフェクトヒューマン」
「は?」
「完璧人間」
「日本語に訳すな」
「そっかー、バレちゃったかー。サプライズ作戦失敗しちゃったね」
「別にサプライズじゃねえだろ」
「え?」
「俺らが付き合うのは、サプライズじゃねえだろ」

 遅かれ早かれ、俺はいつか必ずなまえと付き合うと決めていた。他の男に渡すことなど考えたこともない。そういう意味で言った。
 するとなまえはしばらく言葉の内容が理解できなかったようで、わかりやすく頭上にクエスチョンマークを浮かべて一時停止。それから一分かかるかどうかぐらいのところで、ようやく表情を変えた。俺の言葉の意味がどれぐらい理解できたのかはわからないが、百パーセント喜びの表情ではないのが気に食わない。

「えっと、それはつまり、私と付き合うのは勝己の中で決定事項だったってことであってる?」
「ん」
「私そんなにわかりやすく勝己大好きオーラ出してたかなあ」
「は?」
「だって、私が勝己のこと好きなの確信してたから付き合えるって思ったってことでしょ?」
「違ェわ」
「え?」
「俺のことが好きだろうがそうじゃなかろうが、お前を他のモブ共に渡す気はなかったっつーことだ」
「……もし私が勝己のこと好きじゃなかったらどうしてたの?」
「惚れさせた」
「薬とか使って?」
「あ?」
「うそです。冗談です」
「俺が本気で落としにかかってお前が惚れねえわけねェだろ」
「すごい自信」
「惚れた女落とせねえ男がナンバーワンになれるかよ」
「ほんと勝己はさあ……ずるいよねぇ……」

 かっこいいもん。惚れるしかないよ。
 ぎゅうっと俺にしがみついて胸元に頭をぐりぐり擦り付けてくる女を襲わず、やんわり抱き締め返すだけにとどめた俺は理性の塊ではないだろうか。俺なんかよりよっぽどお前の方がずりぃだろ。
 ……と思ったが、もちろん口には出さなかった。その代わり、勝手にベッドから脱出しようとしている身体をもう一度抱きしめ直す。「行く準備しなきゃ」とか「みんな待ってるから」とか、そんな戯言は右から左に受け流して「今日の主役は俺だろうが」の一言で主導権を握った。お言葉に甘えて「ごゆっくり」させてもらうことに決めたというわけである。
 どうせすでに遅刻決定で、俺たちの関係性もバレた。だから遅刻の理由なんて適当に言っておけばいい。起きたけどまだ眠たくて二度寝した。寝るのにちょうどいい気温だったから起きるのが億劫だった。そんな感じでいいだろ。

春眠暁を覚えないフリ