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 彼はいつか言った。「空は自由だよ」と。そしてその空を飛べる自分もまた自由だと。
 言っていることは理解できた。その通りだとも思った。けれど「自由だ」と言う彼がなぜかひどく窮屈そうに見えたのも、よく覚えている。
 時々ふらりと現れては気紛れに消えていく。それを自由と呼ぶのか自己中と呼ぶのかは微妙なところだったけれど、彼は確かに「自由」なのかもしれなかった。

 あともう数日もすれば今年が終わるという年の瀬の冷え込む夜。私の住んでいる一人暮らしの部屋に、平凡で無機質なチャイムの音が鳴り響いた。
 今日客人が来る予定はない。となれば、何かの勧誘か商品売り付けの営業か、もしくは宅配便が届いたか。うちにはテレビ付きインターホンなどという洒落たものは備わっていないので、私はそーっと玄関まで近付いて覗き穴を覗き込んだ。
 宅配便の人以外なら居留守を使おう。そう決めていた私は、そこに立つ人物の姿を確認して目を丸くした。どうして彼がここに。
 そんな私の心中を、扉の向こうに立つ彼はきっと予想できていたのだろう。「いるのはわかってますよー」などと言いながら再びチャイムを鳴らしてみせた。
 宅配便の人ではない。けれど、私は居留守を使わずに大人しく鍵を開ける。すると来訪者の男は、私の顔を見るなり「こんばんは」と愛想良く微笑み、すぐさま「寒いんで中入れてもらえません?」と図々しいことを言ってきたではないか。非常識にもほどがある。

「どうしてこんなところにいるんですか」
「一応今日で仕事納めなんで、帰りに寄ってみようかなーって」
「そうじゃなくて」
「はい?」
「どうして今日は玄関からなんですか」
「あー……そっちの方」

 ぐいぐいと私を家の中に押し込んで自分も中に入り込み、律儀にも鍵までかけてくれた彼、ホークスは、軽快なテンポで会話を繰り広げながらへらりと笑う。私、入っていいなんて一言も言ってないんだけど。まあそこは、今日だけは大目に見てあげることにするけども。
 さて、彼は仕事納め、と言ったけれど、本当に仕事は納まったのだろうか。ヒーロービルボードチャートで上位に食い込むほど人気がある彼のことだ。年末年始に事件が勃発したら、すぐさま呼び出されるに違いない。今こうしている間にも、彼の仕事用の携帯が鳴り出すかもしれないのだ。
 そう。彼は忙しい。年中無休で市民の安全を守っているから。本来なら、私のところに来ている時間なんて微塵もないはずなのだ。その証拠に、彼はいつも文字通り飛んで来てベランダに降り立ち、窓をコンコンと叩いて私を呼ぶ。まるで、玄関の方に回ってチャイムを鳴らす時間すら惜しい、と態度で示すみたいに。
 それなのに、今日はわざわざ玄関先に回ってチャイムを鳴らして私を呼び出した。そのことに何か意味はあるのだろうか。へらへら笑ったままハッキリした返事をしてくれない彼は、玄関できちんと靴を揃えて脱ぎ、勝手知ったる人の部屋と言わんばかりにソファの背もたれ部分に寄りかかるような格好で腰を落ち着けている。

「あの、」
「今日仕事納めだし」
「だからって……」
「誕生日だし」
「えっ」
「ちゃんとお邪魔したご褒美に祝ってもらいたいなー……って言ったらどうします?」

 その理屈はどうなんだ、そもそも玄関から来るのが普通じゃないか、と思ったけれど、そこで本音をグッと飲み込んだ私は大人じゃないだろうか。ていうか誕生日って。そんな大切な日にこんなところに来ている時間なんて、それこそないはずだろうに。
 今日が彼の誕生日だなんて知らなかった私は、当然何も準備をしていない。ケーキもプレゼントも、なんなら夜ご飯をご馳走するための材料すらないのだから、祝えと言われてもどうにもならない状況である。

「祝ってあげたいのは山々なんですけど、生憎うちには何もないので……」
「祝いたいんですか?」
「え?」
「今、祝ってあげたいのは山々、って言いましたよね? 俺のこと祝いたいんですか?」
「えぇ……そう訊かれると困ります」
「そう言われると俺も困ります」

 祝いたいかと尋ねられると「ぜひお祝いしたいです」とは答えられない。何しろ、私はつい先ほど彼の誕生日が今日であることを知ったのだ。そして本人から「祝ってほしい」と言われたから「じゃあ祝った方がいいのかな」と思っただけで、そこに私の意思はほとんど働いていない。そんなこと彼だってわかっているだろうに、なぜこんな面倒なやり取りをしているのだろうか。
 言っておくけれど、私と彼は恋人ではない。友だち……でもないと思う。しいて言うなら、行きつけの鶏肉料理専門店の常連客仲間。それから、たった一度きりだけれど、私がストーカー被害に遭った時に警護をお願いしたことがある。それぐらいの狭くて浅い関係なのだ。
 しかし彼はどういうわけか、狭くて浅い関係である私の家に定期的にやって来る。ストーカー被害の一件があってからは、もしかしたら暫く私の安全を確認するために来てくれているのかもしれない、と思っていたけれど、その件から半年は経過しているから、安全確認のためだけに来ているとは考えにくい。
 じゃあどうして? ……という疑問は常にあれど、私は彼にそれを問いかけることができずにいた。タイミングの問題もあるけれど、彼は顔を合わせて少し会話を交わしたらすぐに仕事に戻ってしまうことが多いから、単純に質問をする時間がないのである。
 しかし今日は違う。彼はゆったりと腰を落ち着けているし、帰りそうな気配はない。何より、自分から誕生日を祝ってほしいと言ってきたぐらいだ。私が何もできていないうちは、きっとどこにも行かないはず。

「あの、訊いてもいいですか?」
「どうぞ。俺が全ての質問に答えられるかどうかはわかりませんけど」
「どうして私のところに来るんですか?」
「今更それ訊いちゃいます?」
「いつも訊く暇がなかったんですよ」
「それを訊かれたくないからさっさと帰ってたんですけどね」

 まわりくどい。わかりにくい。彼ののらりくらりとした言い方や所作は、私の混乱と苛立ちを誘発する。
 何が言いたいのか、何がしたいのか、何が望みなのか。今日ここに来たことにも、きちんとした理由があるはずだ。しかし彼は何も教えてくれない。
 踏み込まれたくないなら近付いて来なければいい。距離を置けばいい。彼ならそんなことわかっているはずだ。それなのに、彼は距離を置くどころか、容赦なく他人の領域に土足で踏み入って来る。近付いて来る。そしてギリギリのところで離れて行く。
 だから今日は、離れる前に掴んでおいてやろうと思った。私の方から踏み入ってやりたいと思った。彼のことを、知りたいと思った。

「明日お休みなんでしょう?」
「ええ、まあ。一応」
「私も明日から休みなのでゆっくり話しましょうよ」
「つまりお泊まりコースですか。いい誕生日プレゼントですね」
「お風呂入ります?」
「着替え取って来てもいいですかね?」
「ちゃんとここに帰って来てくれるならどうぞ」

 今日こそは逃がすもんかと畳みかける。すると彼は目をまん丸にして、ぐいぐいと詰め寄る私のことを見つめてきた。その表情は、いつもよりどこか幼い。

「帰って来て、いいんですか」
「帰って来てくれないと話ができないし、誕生日のお祝いもできませんよ」
「……そうですね」

 自分から強請ったくせに、それを与えられるとわかった彼は驚いているようだった。本当に祝ってくれるんですか、って顔に書いてある。しかしその驚きは、やがて別の感情で薄れてゆく。喜びという、純粋な感情によって。
 彼はここに来るまでの間に、おそらく私以外の誰か……例えば事務所の人とか、ファンの人とか、身近な人に祝ってもらったはずなのに、私なんかに祝われることがそんなに嬉しいのだろうか。彼の思考は、やっぱりよく理解できなかった。

「さっき訊いてきたでしょ、どうしてここに来るのかって」
「答えたくないならいいですよ、別に」
「いつの間にか来ちゃってるんです。勝手に。帰巣本能ってやつですかね」
「鳥だから?」
「人のこと伝書鳩みたいに言わないでくださいよ。失礼だなあ」
「自分からそういう言い方したんじゃないですか」
「まあ伝書鳩でも何でもいいんですけど、そんなわけなんで、飼い主としてこれからも俺のこと待っててくださいね」
「はあ……」

 こんなに大きな伝書鳩? 伝書鷹? を飼い始めた記憶はないのだけれど、彼があまりにも柔らかく笑って見せるものだから、この人でもこんな顔をするのか、と呆けているうちに、つっこむタイミングを逃してしまった。
 鶏肉料理専門店の常連客仲間。元警護人とその依頼者。そこに今日、新たに加わったのが、伝書鳩(伝書鷹)と飼い主。どう考えてもおかしすぎる関係だ。
 若いくせに、よっこらせ、と年寄りじみた掛け声を発しながら立ち上がった彼が玄関に向かう。どうやら本当に着替えを取りに行くらしい。

「いってらっしゃい」
「なんかそれいいですね。帰って来ていいよって言われてるみたいで」
「だから帰って来てくれないと困るんですってば」
「ありがとう」
「まだ何も祝ってませんけど?」
「いいんですよ。もう十分です」

 靴を履いて「いってきます」と言う彼はやっぱりどこか嬉しそうで、だからものの数分で帰って来るんじゃないかと思った。しかし予想に反して、その夜、彼が私のところに帰って来ることはなかった。
 誕生日おめでとうすら伝えられていないのに、何の話もできていないのに、「いってきます」と言い残したからには「ただいま」を言うために帰って来なければならないのに、彼はどこまでも非常識で、自由な男だった。
 次いつ来るのかもわからない、連絡先も住所も知らないから今どこで何をしているのか確認をすることすら叶わない。
 だから私は、今日もここで、ただひたすら、彼の帰りを待っている。

自由より鳥籠がほしかった