「好きです」
一世一代の告白。……というわけではなかった。むしろ、これが何十回目になるのか数えることも諦めてしまうほど繰り返した、まるで呪文のようなセリフだ。
だから告白された方も「またか」と溜息を吐く始末だけれど、そんなことでヘコむほど、私はか弱くない。そもそも、塩対応をされたからといって落ち込むような性格だったら、何十回も同じ人に告白し続けたりはしないだろう。
その上、私が告白し続けている相手は、同学年の友だちやクラスメイトではない。もっと言うなら、先輩でも後輩でもない。
「何度も言ってるだろう。そういうことは冗談でも言うな」
「私本気です! 相澤先生のこと、絶対に諦めませんからね!」
「それも聞き飽きた。子どもの戯言に付き合ってる暇はない」
「私だって、そのセリフは聞き飽きましたけど!」
そう、私が好きになってしまったのは、あろうことか先生だった。歳の差は関係ない。最近は歳の差カップルが流行っているみたいだし、そんなのどうにでもなる、と思う。
問題なのは、私と先生が生徒と教師であるということだ。卒業しても、私は永遠に先生の教え子。だから生徒と教師の関係は完全に断ち切ることができない。それが恋愛をする上で大きな弊害となっている……と、私は推察している。
じゃあ例えば、私が先生と同い年だったら、同じ教師という立場だったら、相手にしてもらえていたのだろうか。仮定の話なのだから馬鹿みたいにハッピーな妄想をしたら良いのに、私の頭ではどうやっても今と同じように適当にあしらわれる未来しか想像できなくて、笑うしかなかった。
「馬鹿なこと言ってる暇があったら勉強しろ」
「そうやっていつも子ども扱いして……」
「子どもだからな」
いつもそうだ。先生は私のことを子ども扱いする。そりゃあ高校生なんて、先生からしてみれば子どもなのかもしれない。でも、子どもだって本気と遊びの区別ぐらいできる。
私だって最初は、先生のことが好きだなんて、きっと何かの間違いだと思っていた。すごいなあという尊敬の念や憧れを、好きという感情と混同させているだけではないか、と。
けれども、自分の中で「勘違い」として処理しようとすればするほど、胸がキリキリと痛むのだ。姿を見かけるだけで心拍数を上げたり、自然と動きを目で追ってしまったり、ちょっと会話ができるだけで一日中幸せでいられる。これを恋愛と呼ばずして何と呼ぶのか。
私が何を言おうと、どんなにしつこく付き纏おうと、先生は冷たく突き放した。そりゃあそうだ。先生は「先生」だから。私という「生徒」には手を出せない。
私が学生でいるうちは、どうやっても向き合ってもらえないことなど、この気持ちに気付いた時からわかっていたことだ。それでも執拗に「好きだ」と伝え続けているのは、自分が後悔しないためだったりする。
学生だから相手にしてもらえないんじゃない。年下だから、生徒だから、向き合ってもらえないんじゃない。私はきっと、先生にとって「女」としてカウントされていないのだ。
薄々気付いていた。先生は冷たくあしらいながらもきちんと応対してくれるし、なんだかんだで私を無碍にしない。それは私が「生徒」だからだってこと。
皮肉なものだ。教師と生徒だから恋愛するわけにはいかないし親密になってはいけないというのに、教師と生徒だからこそ、先生は生徒である私に付き合ってくれている。そして私は、生徒としての特権をずる賢く利用している最低な女だ。
好きだと伝えられるうちに、何度でも伝えておこうと思った。「馬鹿なこと言うな」と呆れられても、永遠に本気で受け止めてくれることはないとわかっていても、生徒であるうちは甘えることを無条件で許してもらえるから。
しかしそれを許してもらえるのは、私が雄英高校の生徒である間だけのこと。今日、この学び舎を卒業する私は、明日から先生に想いを伝えることすら許されなくなってしまう。
これが最後。だからいつもと同じように、それでいて今までのどんな「好きです」よりも気持ちを込めて、先生に言おうと思っていた、のに。何度も先生の姿を見かけたにもかかわらず、私はいつも通りに声をかけることができなかった。
その言葉を伝えたら、最後。そう思ったら、寂しくて、悲しくて、辛くて。でも今日伝えなかったら、一生後悔することもわかっていて。自分の中で整理ができぬまま、卒業生はほとんど下校してしまった夕方。
「まだ残ってたのか」
「っ、あいざわ……せんせい、」
今一番会いたくて、一番会いたくなかった人に声をかけられて、身体がビクついた。先生は卒業式だからと渋々着ているのであろうスーツ姿のまま、私に近付いてくる。
遠くからその姿を見ているだけでドキドキしていたのに、近付いて来られたら余計ドキドキが増すからやめてほしい。……うそ。もっと近付いてほしい。それによって心臓が壊れちゃってもいいから。
「名残惜しい気持ちはわかるが、そろそろ帰れ」
「は、い」
今だ。今言うしかない。明日から私はここに来なくなる。先生と話すことも会うこともできない。だから言わなくちゃ。
そう思っているのに、普段は饒舌な私の口が、今日はちっとも言うことを聞いてくれない。私の身体の一部なのに、どうして。理由は簡単。「好きです」と伝えた後で「さようなら」と、この恋に別れを告げるのが嫌だからだ。
「そういえば」
「何ですか?」
「いつものあれはもう言わないのか」
「え?」
いつものあれ。いつものあれ? 淡々とした口調で言われたものだから、先生の言う「いつものあれ」に辿り着くまでに時間がかかる。
もしかして、と思い浮かんだ答えは、私が言うのを躊躇っている「いつもの」セリフ。しかし、先生は常にそのセリフを迷惑そうに、気怠そうに一蹴していたはずだ。「もう言わないのか」と、まるで言われるのを待っているかのような言い回しをするなんて、普通なら考えられない。
戸惑って何も言えない私に、先生は言葉を続けた。俯いている私の頭上から降ってくるのは、低く柔らかな声だ。
「絶対に諦めないんじゃなかったのか」
弾かれたように顔を上げれば、こんなこと言うつもりじゃなかったのに、という気持ちを滲ませてバツが悪そうに明後日の方向へと視線を流している先生が視界に映った。どうしてそんな顔するの? どうして期待させるようなこと言うの? 先生は常に合理主義だったはずなのに、こんなの全然合理的じゃない。
諦めないつもりだった。今でも諦めたくないと思っている。けど、先生はそれを許してくれないだろうと思ったから、どうにか踏ん切りをつけるために心の整理をしていた。結局のところ、ちっとも整理できず今に至るわけだけれど、もしかしたらそれは、神様からの思し召しというやつだったのかもしれない、なんて。
先生の大嫌いなご都合主義もいいところだ。けれど、そういう思考にさせたのは間違いなく先生なのだから、私が責められる謂れはない。
先生からの驚きの発言を聞いた後、私はまたもや固まっていた。何か言わなくちゃ、とは思っているのだけれど、肝心の「何か」が何も思いつかない……否、頭の中に思い浮かぶ言葉が、たった一つしかなくて、それを口に出すことをこの期に及んで躊躇っているのだ。
「お前はもう、俺の生徒じゃあない。自分で考えろ」
そんな私の背中を後押ししてくれたのは、他でもない先生だった。先生としての助言? 最後のご教示? 違う、これは、きっと。
「好きです。ずっとずっと前から。これからもずっと」
促されるまま、視線が交わったタイミングで伝えた。声は震えていなかったと思う。それどころか、自分でも驚くほど凛とした声音だった。
胸の奥がすうっと透き通っていくような感覚。引っかかっていたものが溶けて消えていき、呼吸がしやすくなったような気がする。それに反して、鼓動はうるさくなっていくけれど、今はそれが心地よくすら感じるのだから不思議だ。
先生はいつもみたいに私を嗜めたりあしらったりせず、静かに息を吐いた。溜息とは違う。呼吸を整えるように、息を吐いて吸う。その動作を繰り返す。
「お前は人を見る目がないな」
「人を見る目だけには自信があります」
「それじゃあただのもの好きか」
「そうかもしれませんね」
「……お前がもの好きで良かった」
ぼそりと落とされたものだから、うっかり聞き漏らしそうになってしまったけれど、私の耳にはきちんと届いている。今間違いなく、先生の口から肯定的な一言が飛び出した。その事実に、目頭が熱くなる。
視線を落とし、目から何も落ちてこないようにぐっと力を込めたというのに、先生は私の必死の努力を呆気なく無に帰した。頭を撫でるという、たったそれだけの行為で。ぽとり。地面にまあるいシミができる。
一度だって触れてくれたことがなかったくせに、その触れ方は少しもぎごちなさを感じなくて腹が立つ。しかしそれ以上に、先生の手って意外と大きいんだ、とか、ちょっとゴツゴツしてるんだ、とか、そういうことが気になって、更にそれ以上に、ただ漠然と嬉しくて。
「これ以上好きになったらどうしてくれるんですか」
「どうもしない」
「先生以外好きになれなくなっちゃいますよ?」
「……卒業おめでとう」
「え、ちょっ、」
「卒業祝いだ。いらなきゃ捨てろ」
「わっ、いきなり何ですか!」
めちゃくちゃいい雰囲気だった(と思う)のに、突然頭をぐしゃっと乱暴に乱されて、小さな紙切れを放られる。ひらひら舞うそれを一生懸命キャッチして見てみれば、そこには十一桁の数字が暗号のように羅列されていた。
これって、と問い掛けようとした時には、先生はもう結構遠くの方まで歩みを進めていたけれど、追いかけるのが得意な私は全速力でその背中に向かって走り出す。
「あのっ、これって、」
「言い忘れていたが捨てるならシュレッダーにかけろ」
「捨てません! 帰ってからすぐに電話します!」
「出るとは言ってない」
「出るまでかけますね!」
「業務妨害だ」
「ただの愛ですよ」
「……それなら仕方ないな」
「え」
衝撃的な反応すぎて足を止めてしまった私を置いて、先生は校舎の中に入って行く。
数秒後、我に帰った私が真っ先にしたのは、スマホを取り出して十一桁の数字を打ち込むこと。帰ってから、なんて待っていられない。何度だってかけてやる。
そんな確固たる信念をもって通話ボタンを押したのに、数コールのうちに出た電話の相手は、第一声、気怠そうに「早すぎだ」と声で笑った。ああ、もう、全部お見通しなんだ。でもそれって、私のことがよくわかってるってことでしょう?
ここから何かが始まるか、なんてわからない。先生がどんな気持ちでこんなことをしたのかもわかっていない。けど、私の第一声は決まっている。
ちゃんと伝わるよね? 今までの分もずっと、伝わっていたよね? これからも伝えていいよね? あいざわしょうたさん。
「好きです」