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 ヒーロービルボードチャートにかつての同級生が名を連ねるというのは、なかなかに感慨深いものがある。大きなテレビ画面の向こう側でキラキラしたステージの上に立つ見知った顔を、まるで見ず知らずのアイドルか何かを眺めるような気持ちで見つめていたのは、つい最近のことだったように思う。
 そのメンツの中に自分の夫がいるにもかかわらず、私は他人事のように呆けていた。実感が湧かなかったのだ。彼らが、彼女らが、名実ともにヒーローと認められたことが嬉しすぎて。
 そんな最中に訪れた来客だった。「俺がいねェ時に見ず知らずの奴入れんじゃねーぞ」という言いつけを破ってしまったことがバレたら彼に怒られそうだけれど、今回はギリギリセーフというやつではないだろうか。というのも、来客は見ず知らずの人だけでなく、よく知った人物もいたからである。

「ヒーロードッキリ企画?」
「そう! テレビ局側がどーーーーーしても爆豪を取り上げたいらしくてさ! なまえちゃん以上に最適な仕掛け人いないじゃん?」
「そりゃあ接する機会が多い分、ドッキリを仕掛けやすい立場ではあるかもしれないけど……」
「やっぱり気乗りしないよね」
「気乗りしないっていうか……ねぇ……」

 客間のソファに座るのは見ず知らずの男性と、私の夫である爆豪勝己とかつてクラスメイトだった上鳴電気くんと緑谷出久くん。私は彼らにお茶を出しながら正面の椅子に腰掛けた。
 歯切れの悪い返事をする私に苦笑するのは、相変わらずお人好し全開なデクくん。そして泣く子も黙る…否、泣く子がもっと大泣きしてしまうような爆豪勝己にドッキリを仕掛けようと前のめりになっている命知らずが電気くんだ。
 ドッキリ。後々のことを考えたらそれ自体に気乗りしないのは勿論だけれど、私は提示されたドッキリの内容に目を通して更に気が進まなくなった。

「浮気ドッキリって……」
「フリだから! フリ!」
「そんなの分かってるけどさあ…」
「終わった後のことは全てこちらで対処致しますので、どうか奥様にご協力をお願いしたいのです!」
「はあ……」

 全てこちらで対処すると言われても、家に帰ってからの険悪な雰囲気までどうにかしてくれるわけではないだろう。そもそも、いくらフリだけだとしても、彼以外の人と親密な関係に見える距離を取るのは嫌だ。
 うん、やっぱり断ろう。いくらデクくんや電気くんが同じ番組でドッキリを仕掛けられた後だとしても、彼までその番組に出演しなければならないという理由にはならない。

「やっぱりこういうのは、」
「普段と違う一面を見せることで旦那様の人気が今まで以上に上がるという可能性も大いに有り得ますし!」

 私の言葉を遮って番組プロデューサーだという男性が宣った一言に、思わず口を噤む。普段と違う一面、か。ふむ。確かに、それは一理あるかもしれない。
 彼は随分と人気ヒーローになった。しかし他のヒーローに比べてアンチが多いのも事実。あの性格だから仕方がないとは思うし、全人類に彼の良さを分かって欲しいなどとは微塵も思わない。けれど、自惚れでもなんでもなく、私といる時の彼は、皆が知っている彼とは良い意味で違うと言い切れる。
 そんな彼の新たな一面を世間の皆様が見たら…もしかしてアンチが減るかも。ファンが増えるかも。私はそんな安易なことを考えてしまった。

「……分かりました」
「本当ですか!?」
「さっすがなまえちゃん!」
「無理しなくて良いんだよ? 大丈夫?」
「大丈夫だよ、デクくん。ただ、浮気しているフリを隠し通せるかどうか…」
「それはサポート致します! お任せください!」

 やる気満々の番組プロデューサーの男性と、今後の展開を楽しみにしているらしい電気くん、そして不安を滲ませているデクくんに、私は曖昧な笑みを見せた。さて、これは全てが終わった後が大変だろうな。まあ、もう引き受けてしまったのだから今更どうにもならないし、腹を括るしかないだろう。
 そんなこんなで、爆豪勝己ドッキリ企画は水面下で動き始めた。

◇ ◇ ◇



「オイなまえ、答えろ」
「は、はい、」
「そいつは何だ?」

 誰だ、ではなく、何だ、と口走るあたり、彼らしいなあと思った。…なんて、今はのんびり考えている場合ではない。
 場所は恋人達のデートスポットである夕暮れの海浜公園。彼の仕事が終わる時間を見計らって仕掛け人である浮気相手役の男性と並んで歩き、彼がいつ通りかかっても良いようにスタンバイしていた。そこまではシナリオ通り。
 しかしシナリオと違ったのは、彼の姿が見えた瞬間、私の隣を歩いていた男性が腰を抱き寄せてきたこと。そこまでする予定はないって言ってたはずなのに。さすがにこれは契約違反だ。
 そう思ったところで、彼の前でネタバレになるようなことは言えない。私は黙ってその事態を受け入れていた。少しの間だけの我慢だと自分に言い聞かせて。

「これは、あの、えーっと…」
「なまえさんとは少し前から仲良くさせてもらってまして」

 浮気相手役の俳優さんの言葉を聞いて、彼の額に青筋が浮かび上がるのが見えた。ヤバい。ネタバラシの前に私達はここで爆破されてしまうのでは? そう危機感を覚えるほど、殺気立っているのがありありと分かる。
 彼の攻撃的なオーラに慣れている私でも冷や汗が出るというのに、私の腰を抱き寄せるなどしているこの俳優さんは恐ろしくないのだろうか。アドリブでこんなに彼の神経を逆撫でするようなことをしてのけるなんて、とんだ俳優根性である。

「あのね勝己くん、実は、」
「うるせェ! お前は喋んな」
「そんな態度だから浮気されちゃうんですよ。ヒーローというのはお忙しいようですが、失礼ながら言わせていただくと奥さんを放っておくのは男としていかがなものかと」

 またシナリオと違う。本来ならここで私が申し訳なさそうに浮気していることを告白する、という流れだったはずだ。言葉を遮られてしまったから話が進まないのは困ると思って助けてくれたのかもしれないけれど、この俳優さんは先ほどからやけに攻撃的な言動を選んでいるように見える。
 ただ、散々なことを言われているにもかかわらず、彼はいつものように怒鳴ったりしなかった。怒りは感じる。けれど、口も手も出ないなんて、いよいよヤバいのではないだろうか。いまだかつてない状況に、私の心臓は喧しくなり始めた。きっと隠れてウォッチングしているデクくんと電気くんもハラハラしているに違いない。
 もうネタバラシしちゃダメ? 十分じゃない? 良いよね? この空気から一刻も早く逃げ出したい私は「実はね、」と事実を伝えようと口を開いた、けれど。開いた口からは何の音も奏でられなかった。先ほどのように声で制されたわけではない。
 それは一瞬の出来事。腕を引っ張られ、顎を掴み上げ顔を上向かされたと思ったら、戸惑う暇もなく口を塞がれた。何で、って、彼の口で、だ。
 夕暮れとは言え日は沈み切っていないからまだそれなれに明るいし、恋人達のデートスポットだから人通りはまあまあ激しくてめちゃくちゃ視線を感じる。公衆の面前でキスなんて、しかもなかなか離れてくれない深めのやつをかましてくるなんて、一体どういうつもりだ。
 漸く口を解放され、ぷはあ、と大きく息を吸う。水の中じゃあるまいし、なぜこんなところで酸欠にならなければならないのか。いや、そんなことよりどうして急にここまでのことを…と私が声を発する前に、彼の低い、地を這うような声音が鼓膜を震わせた。

「誰が何と言おうとコイツは俺ンだ」

 私を引き寄せる手の力は、まるで私が逃げるのを拒むかのように強かった。それなのに不思議と痛くはない。当然の如く不快でもない。
 私の隣から正面へと位置を変えた俳優さんは、予想だにせぬ展開に放心状態。そりゃああの目で睨まれたら動くことなんてできないだろう。辺りに緊張が走る。
 と、そこで漸く隠れていたテレビカメラが現れてネタバラシとなった。僅かに緩む空気。しかし、この瞬間が一番ヤバい。なんせ私は浮気しているフリをしていたのだ。騙されたと分かった彼は、それはそれは大激怒するだろう。
 私はごくりと生唾を飲み込み、死ぬほど怒られるのを覚悟した。しかし、待てど暮らせど怒号は飛んでこない。あれ? おかしいな?

「今の全部嘘だったんか」
「あの、えっと…そうです…ごめん、なさい……」
「……帰んぞ」
「へ」
「もう終わったんだろ」

 キレていないどころか怖いぐらい冷静な彼を見て、逆に恐ろしくなった。これはもしかして家に帰ってから大爆発するパターンでは? 私、今日の夜死ぬんじゃない?
 遠巻きに見ていたデクくんと電気くんが心配そうにこちらを見ているのが視界に入る。彼もそちらの方をチラリと見たから存在には気付いているはずなのに、声をかけるどころかそのまま視線を逸らして歩き始めてしまったところを見ると、相当ご立腹のようだ。
 そんな彼を番組プロデューサーが果敢にも引き留める。このドッキリ企画について改めて説明した上で、一部始終をテレビで放送しても良いか確認を取っているのだろう。本当に命知らずというか、仕事に対してやる気に満ち溢れているというかなんというか。この業界の人は大変だなあと他人事のように思う。
 彼のことだから「ふざけんな」と一蹴しそうだと思ったのに、聞こえてきたのは「好きにすりゃいーだろ」という、なかば投げやりな言葉。番組プロデューサーは大喜びだったけれど、私はもう、気が気じゃなかった。
 こんなのいつもの勝己くんじゃない。体調でも悪いのだろうか。いや、彼はたとえ四十度の熱を出していようともこんな態度を取ったりはしない。やっぱりおかしい。

「なまえ。帰んぞっつっとんだろが」
「勝己くんごめんね、あの、」
「いいから黙っとけや」
「はい……ごめんなさい……」

 静かに怒りをぶつけられたのは初めてのことで、私は閉口するしかなかった。帰るまでの間も沈黙が続き、完全に地獄。怒鳴られないのが何より怖い。
 家に帰ってからも空気は淀んだまま。元々は彼にとってプラスになればと思い引き受けたことだけれど、それはこちらの勝手な理由だ。彼が望んだことじゃない。となれば、これはもう謝り倒すしかないだろう。

「騙したの、怒ってるよね」
「……」
「ごめんなさい。言い訳になっちゃうけど今回のお話を引き受けたのは、」
「いい」
「え」
「もういい」

 ちっとも怒らない上に話も聞いてくれないなんて、初めてのことだ。もしかしてこれを機に離婚なんてことにならないよね? そんなことを考え始めたら怖くなってきて、自然と目元が熱くなる。
 ちょっと考えれば分かることだった。こんなテレビの企画で人気が上がったとしても彼が喜ばないことぐらい。アンチが増えようが減ろうが、彼には関係ないということぐらい。
 でも、世間の皆様にちょっとだけ知って欲しかったのだ。彼はヒーローとして素晴らしい人物だけれど、ヒーロー活動をしていない時でもこんなに素敵な人なのよって。私は夫である彼を自慢したかっただけなのかもしれない。だからきっとバチが当たったのだ。

「ごめ」
「もう謝んな」
「勝己く、っ、」

 ずっと私に背中を向けていた彼が、漸く向き直ってくれた。そしてコンマ数秒で私を引き寄せたかと思うと、強く抱き締められる。珍しく力加減が上手にできてないようで、ちょっと痛い。

「その代わり、もう二度とあんなことすんじゃねェぞ」
「うん、」
「ったく……胸糞悪ィ…」
「もしかして私が浮気してるっていうの、嘘でもかなりショック受けてた?」
「…逆の立場で考えてみろや」
「…………やだぁ」
「だったら一生俺以外の男に触らせんな」

 やっといつもの空気に戻った安心感と、たとえ嘘だとしても彼の浮気現場に遭遇した時のことを想像して受けたショックのせいで、目尻に溜まっていた涙が頬を伝う。「泣きたいのはこっちだわばーか」と言いながらゴシゴシと乱雑に涙を拭ってくれる彼は、どこまでも優しい。
 こういうところ、世間の皆様は知らないんだよなあ。でも知らなくてもいっか。私だけが独り占めしちゃえば。そんなことを思いながら、私はこれでもかと強い力で彼に抱きついた。

 ちなみに、後日テレビで放送されたドッキリ映像はかなりの反響があったらしい。彼は苦虫を噛み潰したような顔をしていたけれど、私としては当初の目的を果たせたような気がしてちょっと嬉しい。
 ただその代償は大きく、私は暫く外出を控えるハメになった。だって、いくらそのシーンの映像では顔が見えないようにアングルが考えられているとはいえ、一般人なのにキスシーンが全国放送されてしまったら恥ずかしくて出歩けない。
 まあ、彼に愛されてるってことは改めて十分すぎるほど感じたし、世間の皆様にも証人になっていただけたから、お互い変な虫が寄り付かなくなって良かったと思うことにしよう。

あいう、そ?