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「ねぇ、私に隠してることあるでしょう?」
「……ありませんよ」

 俺が何か隠していることを知った上で尋ねてくる彼女は、些か卑怯だと思った。いや「些か」ではなく「絶対的に」卑怯だ。そう思いながらも、俺はいつも通り、口元にゆるりと笑みを浮かべて答えた。それを見た彼女は、呆れたように溜息を吐く。
 ほーら。俺の嘘なんてお見通しって顔してるじゃないですか、お嬢さん。答えが分かっているならわざわざ訊いてこなければ良いのに。

「どうせならもう少し上手に嘘吐いてほしかった」
「嘘じゃないですよ」

 じ、と見つめてくる瞳は、僅かに揺らいでいた。まるで縋り付いてくるような、今にも泣き出しそうな、それでいて強い光を持った、美しい眼差し。
 その目には、心底弱い。けれど、どんなことがあっても俺は、自分が抱えている秘密を隠し通さなければならなかった。その秘密を隠し通すために、彼女に嘘を吐き続けなければならなかった。例え隠し切れていないとしても。既に俺の発言が嘘だとバレているとしても。
 結局俺は、また笑みを返すことで言葉を濁す。そんなことで目の前のお嬢さんを唆しきれるとは思っていないけれど。

「隠したいことがあるなら、もっと本気で隠せたでしょ。……あなたなら」
「隠したいことがあると分かっているなら、気付かないフリをすることもできたでしょ。……あなたなら」

 売り言葉に買い言葉、とはよく言ったものだ。俺の発言を聞いた彼女は、整った顔を歪めて不快感を露わにする。しかし俺にとって、今の返事の仕方は大正解だったと思う。
 お互い、相手に何かを求めすぎていたのかもしれない。…いや、俺の場合は違うな。単純に、甘えていたのだ、きっと。彼女なら大丈夫、って。何も言わなくても理解してくれる、って。俺の全てを受け入れてくれる、って。信じたかっただけ、とも言えるかもしれない。
 そう考えると俺はちっともヒーローらしくないなあ、と自嘲した。そして振り返る。思えば俺は出会った瞬間から、彼女の前ではヒーローらしいことが何一つできていなかったなあ、と。

 まだ事務所を立ち上げて間もない頃、夜の繁華街で胡散臭そうな連中に絡まれている彼女を目撃して、助けた。それが初めての出会い。
 「ありがとうございました」とお礼を言われるとばかり思っていた俺は彼女に「一人でも大丈夫だったのに」と言われ、ムッとして「じゃあ今後あなたのことは助けませんから」とヒーローらしからぬことを吐き捨ててしまった。なんとも幼稚な話である。
 しかし、俺のヒーローとしてあるまじき行為は、それだけでは終わらない。ほんの少し話をしただけだから確証はなかったけれど、彼女が胡散臭い連中に絡まれていたのは容姿が整っているからという理由だけではないと、俺はその時なんとなく察知していた。というのに、そんなことがあった数日後、再び夜の繁華街で分かりやすく胡散臭い連中に絡まれている彼女を目撃した時、俺は助けに行かなかったのだ。
 他の案件が立て込んでいたというのもあるけれど、今後は助けないと言ったし、彼女も助けは望んでいないようだったし、という妙なプライドみたいなものが心のどこかにあったのだと思う。今の自分からしてみれば、陳腐でくだらないプライドだ。
 例え嫌味を言われても、本当に大きなお世話だったとしても、俺は自分がヒーローである以上、どんな理由があっても彼女を守らなければならなかった。助けに行かなければならなかった。しかしあの時の俺は、ヒーローではなかった。
 仕事を終えて帰る途中、絡まれているところを目撃した場所の近くで震えながら蹲っている彼女を発見した時ほど、己の不甲斐なさと後悔の念に苛まれたことはない。降り立った俺にビクついた彼女は、顔を上げぬまま言った。「これ以上はやめて。お願い」と。

「人間なら隠したいことの一つや二つあるでしょ、普通。みょうじさんにも、ありますよね?」
「……それは脅し?」
「まさか。俺が深追いしなかったように、みょうじさんにも深追いしてほしくないってだけですよ」
「じゃあ私が秘密を打ち明けたら、あなたの秘密も打ち明けてくれるの?」

 かつて俺の前で蹲って震えていたはずの女性と同一人物とは思えぬほど強気な態度に安堵したのは何度目だろう。鋭い視線を向けられて詰め寄られピンチな状況にもかかわらず口元がうっかり緩みそうになったのを、俺は慌てて引き結ぶ。

 あの時、彼女は俺の存在を認識しても尚、身体を震えさせていた。「大丈夫ですか?」なんて口が裂けても言えなかった俺は、ただ手を差し伸べて「すみませんでした」と謝ったのを昨日のことのように覚えている。この先もずっと、俺はあの日のことを忘れないだろう。
 彼女は俺を責めなかった。それどころか、暫くして震えが落ち着いてから吐き捨てられたのは「誰かに助けてもらおうなんて最初から思ってないから。あなたに謝られる理由はない」という、このヒーロー社会において随分とアンチヒーロー的な発言だったから随分と驚いたものだ。
 俺も一応ヒーローなのに。まあそんなこと当時の彼女は知りもしないし、知っていたとしても同じことを言ってのけただろう。恐らく彼女はヒーローに限らず、誰にも助けを求めていない。…違う。助けを呼ぶことを諦めている。そう悟った。
 一体何があったのか。何度も絡まれていることに理由はあるのか。そして、なぜ誰にも助けを求めようとしないのか。全て尋ねてみようか迷ったし、実際尋ねることもできた。が、俺は何も尋ねなかった。そこに足を踏み入れたところで、俺が彼女を救えるとは思えなかったから。俺は臆病者だ。ちっともヒーローなんかじゃない。昔も、今も。

「ヒーローって大変なのね」
「そうでもないですよ」
「あなたが私みたいな一般人のことまで気にかけてくれるお人好しだから大変そうに見えるのかしら」
「お人好し…か……どうでしょうね」

 また、曖昧な返事をする。否定も肯定もできないから。自分のことは自分が一番分かっている、とよく言うけれど、俺は自分のことが一番分からない。
 今の任務で最終的に自分がどうしたいのか。どうありたいのか。どうすべきなのか。俺はずっと迷っている。迷い続けている。そしてその迷いは、終着点に到達しても解決できないような気がしていた。

「あなたは自分が思っている以上にヒーローに向いてると思う」
「珍しいですね。褒めてくれるなんて」
「でもそれ以上に、ヒーローにしては優しすぎるんじゃないかとも思う」
「ヒーローは優しいものですから」

 のらりくらりと話の本質から逃げようとする俺に、彼女は切なげに笑った。
 ネオンが輝く街を見下ろしながら話すのは何回目になるだろう。途中から数えるのをやめてしまったから分からない。

 俺は震える彼女を見てからというもの、夜の繁華街のパトロールを日課にした。そして彼女が夜出歩く時は、空から必ず遠監視をすることを申し出た。無論、無償で。
 たった一度だとしても、彼女を助けることができなかったから。そんな罪悪感は勿論ある。しかしそれが根本的な理由ではない。
 彼女の危うさが気がかりだった。自分はいつどうなってもいいという雰囲気を醸し出しているくせに、時折チラリとSOSを発信する。それは恐らく無自覚なのだろうけれど、俺はその手の感情をキャッチすることに人一倍長けているから気付いてしまった。
 彼女は誰にも助けを求めようとしないんじゃない。自分から誰かを頼ることに恐れを抱いているのだ、と。その答えに辿り着くまで、俺にしては時間がかかった。

「全部終わったら、隣を歩いてもいいですか」
「デートのお誘いにしては消極的ね」
「奥手なんで」
「ほんと、あなたって嘘吐き」
「……それで、返事は?」

 珍しく答えを急いでいた。俺には時間がないから。そろそろ、任務に戻らなければならない。次彼女に会えるのはいつになるか分からないのに、もしかしたらもう二度と会えないかもしれないのに「次」を取り付けようとする俺は、彼女より卑怯だろうか。
 卑怯でも良い。俺は俺を繋ぎ止めておくための何かがほしかった。誰かが必要だった。それを勝手にみょうじさんにしてごめん。今は謝ることができないけれど、全部終わったらその時は、その時は。

「ちゃんと家まで迎えに来てね」
「……勿論」

 俺と彼女以外は誰も知らない、この街を見下ろして眺めることができる秘密の場所。そこで俺達は、安っぽい契りを交わした。
 さようなら。さようなら。次にあなたと別れの言葉を交わす時は、じゃあまた、って言いたいなあ。

秘境に溶かす、卑怯な嘘