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 私はヒーローではない。けれど、ヒーローの気持ちはちょっぴり分かっているつもりだ。
 誰かを守りたい。助けたい。ヒーローになっている人達の根底には、その気持ちが存在しているのだと思う。そうでなければ、自分の身を挺してまでヴィランに立ち向かうことはできないだろう。
 
 最初にも言ったように、私はヒーローではない。けれど、ヒーローでなくとも、そこら辺を歩いている人と同じ一般人だとしても、目の前で泣いている子どもがいたらどうにかしてあげたいと思うし、この子を守らなければという本能は働く。
 土曜日の昼過ぎ。ヴィランの襲撃に遭ったショッピングモール前の駐車場。逃げ惑う人々で大混乱の中、泣きじゃくっている男の子が一人、私の視界の端に映った。
 両親とはぐれてしまったのだろうか。どこか怪我をしていて動けないのだろうか。単純に、この状況が怖いのだろうか。それとも、今挙げた全てのことが涙の誘引になっているのだろうか。
 私はその男の子の目の前まで行き膝をつくと、騒がしい周りの声に掻き消されない程度の声で「どうしたの?」と声をかけた。できるだけ優しく、視線を合わせるようにして。
 男の子は私に気付くと泣くのを止めてこちらに視線を寄越してくれた。ひっくひっくとしゃくり上げてはいるけれど、少し落ち着いたのかもしれない。
 確実に小学生まではいかない幼さだけれど、こちらの問い掛けたことに反応できるところを見ると五、六歳だろうか。赤く染まった瞳はいまだに潤んだままだ。

「おとうさんと、はぐれちゃって、」
「お父さんと二人で来たの?」
「うん」
「じゃあ一緒に探そっか」
「でも、みんなにげてるし、おねえちゃんもにげたほうがいいんでしょ……?」
「大丈夫。お姉ちゃん強いから」
「ひーろーなの?」
「ううん。違うけど、大丈夫」

 本当はちっとも大丈夫じゃなかった。どこをどう探したら良いのかも、ここからどこに向かえば良いのかも分からない。けれど、男の子を安心させるには嘘を吐くしかなかったのだ。
 男の子は私の嘘に騙されてくれたようで、ごしごしと目元を拭き表情を和らげる。そして私の手をぎゅっと握り、頼りにしているということを態度で示してくれた。
 私は男の子の手をしっかりと握り締めて、人の流れに沿って歩き出す。男の子のお父さんも、恐らく避難誘導に従って行動しているはずだ。危険区域から離れた安全な場所まで行けば、近くのヒーローに頼んでお父さんを探してもらえるかもしれない。
 残念ながら近くにヒーローの姿はないから、お父さんを見つけるまでは私が責任を持ってこの男の子を守らなければならない。何の関係もない赤の他人ではあるけれど、これでも私は、一度手を差し伸べた以上途中で投げ出したりはしないという覚悟をもって行動した。だからこの手は、絶対に離さない。

 男の子からお父さんの特徴や服装を聞き、きょろきょろと辺りを見回しながら歩く。けれど、皆が混乱しているせいでなかなか前に進めない上に、あまり人混みの中心部に進みすぎると小さな男の子が潰されてしまいそうなので急ぐこともできない。
 そうこうしているうちに私と男の子はどんどん人波に追いやられてしまい、挙句の果てには、どん、と誰かにぶつかられた拍子に私がよろけたせいで男の子が転んでしまった。
 慌てて男の子を立たせて怪我をしていないか確認する。「だいじょうぶだよ」と笑顔を見せる男の子に一安心。…したのも束の間。
 背後に嫌な気配を感じ振り向けば、見るからに悪そうな顔をしたヴィランらしき人物と目が合った。男の子は怖さのためか動けないようで、私は慌てて男の子を庇うように背中で覆い隠すように手を広げる。

 先ほどまであれだけの人混みの中にいたというのに、その人達はどこに行ったのか。私と男の子を残して辺りには人影も見えなくなっていて、まるで魔法で私達だけ異空間に飛ばされたみたいだ。
 いや、今はそんなぼんやりしたことを考えている場合ではない。目の前にはヴィラン。背後には震えている男の子。私は、どうしたら良い? どうしたらこの男の子を守り切れる?
 考えて、考えて、けれど、考えたところで私には盾になることしかできないことに気付いて、唇を噛み締めた。“無個性”の私では、何もできない。くだらなくても良いから何かしら“個性”があればどうにかできたかもしれない、なんて思ったところで、無いもの強請りでしかないのに。
 近付いてくるヴィラン。怖い。こんなことならこの男の子に関わらなければ良かった。そうすれば、男の子を危険な目に遭わせることもなかったかもしれない。
 ヴィランの手が伸びてきた。ぎゅっ。目を瞑る。誰か助けて。

 祈った直後、強い風が吹き付けて近くで鈍い音が聞こえた。私は危害を被っていない。背後の男の子を確認する。私と同じく無事だ。じゃあ今の音は。
 視線を元に戻す。そこで漸く、私は目の前にいたはずのヴィランがいなくなっていることに気付いた。かなり離れた場所に倒れているところを見ると、音の主はあのヴィランだろう。でも一体誰が……?

「なまえ!」
「え!?」
「こんなとこで何やってんだ!」
「勝己くん……!」

 ヴィランに代わって私の目の前に現れたのはヒーローだった。それも飛びっきり人相の悪い、ヒーローに見えないヒーロー。けれども私はそのヒーローをよく知っている。そのヒーローが誰よりもヒーローに向いている人物だということも。
 私と、私の背後でビクビクしている男の子を見遣った彼は、眉間に刻まれた皺を少しだけ浅くした。「歩けるか」と確認してくる声音からは怒気を感じない。

「ありがとう」
「何が」
「助けてくれて」
「それが仕事だ」
「それはそうなんだけど、でも、ありがとう」
「おにいちゃん、ありがとう」

 おずおずと私の背後から顔を覗かせた男の子からお礼を言われると、彼は少し居心地悪そうに「おう」と返事をした。続いて私に目だけで「このガキはどうした」と尋ねてくる。

「お父さんとはぐれちゃったみたいで一緒に探してたんだけど見つからなくて」
「ったく……お人好しが」
「だって泣いてたし……放っておけないでしょ」

 彼はひとつ大きく息を吐くとどこかに連絡し始めた。恐らく他のヒーローに状況を説明しているのだろう。そのお陰か、その後すぐに駆け付けてくれた別のヒーローが男の子のお父さん探しをしてくれることになったため、私は御役御免となった。
 肩の荷が降りたというのが正直なところだけれど、お父さんを見つけるまでやり遂げたかったという気持ちもなくはない。まあとりあえず、男の子は私と彼に「ありがとう」と何度もお礼を言いながら去って行ったから、自分のしたことは悪くなかったのだと思うことにしよう。
 少し離れたところでは数名のヒーローが意識を失っているヴィランを拘束したり、他にヴィランがいないか確認作業のようなことをしているけれど、私の近くには彼しかいない状況。本来なら私もこの場にいるべきではないのだろうけれど、何も言われないから逆に動きにくい。

「私、帰った方が良いよね?」
「待っとけ」
「もしかして一緒に帰ってくれるの?」
「一人で帰ンの無理だろ」
「そんな、子どもじゃないんだから……」
「そういう意味じゃねェわ」

 彼は気付いていた。私が震えていることに。男の子の前では自分がしっかりしていなければならないと思って気を張っていたけれど、その緊張の糸が緩んだ途端、目の前まで伸びてきていたヴィランの手が脳裏を過ぎって恐怖に襲われる。
 もし彼が来てくれていなかったら自分や男の子はどうなっていたのだろう。少し想像するだけで震えが止まらなかった。怖かった。今も怖い。もう大丈夫だと分かっていても、怖くて堪らない。
 そんな私の心情に、彼は微かな震え一つで全てを理解したようだった。よく見ている人だ。よく気付く人だ。そして、優しい人だ。その優しさに、目の奥が熱を持つ。

「ありがとう」
「それはさっきも聞いた」
「さっきとは違う意味のありがとうだよ」
「勝手に言ってろ」

 彼はどこで待っておけば良いのかを指示した後、仕事に戻るため私に背中を向けた。その広い背中は何度も見たことがあるはずなのに、今日は一段と逞しく見える。

「勝己くん」
「あ?」
「カッコ良かった」
「……今更かよ」

 ハッと笑いを零した彼の表情は、やっぱりヒーローっぽくなかった。

 私はヒーローではない。けれど、ヒーローの気持ちはちょっぴり分かっているつもりだ。なぜなら私の旦那様は世界一のヒーローだから。妻として、ヒーローのことは理解できていなければならないのだ。
 私の中では昔からずっと、彼が最高のヒーロー。それを今日、再確認した。

心源地にて