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 いつか、クソヴィランの胸糞悪い“個性”のせいで、不本意ながら一定時間犬の耳と尻尾が生えたままの状態で過ごしたことがあったが、俺はあの時心に誓った。もう二度とこの手の“個性”の被害には遭うものか、と。
 しかし、その誓いは破られることになりそうだ。言っておくが俺の身には何も起こっていない。そう簡単に何度もヘマをするような馬鹿ではないのだ。そう、今回“個性”の被害に遭ったのは俺ではなく、同棲中の俺の女である。
 つまり、俺に実質的な被害はない。が、自分の女が猫の耳と尻尾を付けた姿で目の前をうろうろしていたら、ある意味かなり被害を被ることになるのだ。自分の身に変化が起こった方がまだマシかもしれないとすら思う。

「これ、いつなくなるのかな?」
「知るか」
「勝己くん、犬の耳と尻尾が生えちゃった時どれぐらいで元に戻ったっけ?」
「四時間ぐらい」
「もうそれぐらい経った気がするんだけど…おっかしいなあ…」

 俺の前を横切って畳んだ洗濯物を片付けに行ったなまえは、ぶつぶつと独り言を零していた。まったく、いつなくなるのかなんてこっちが訊きたい。
 仕事中に電話がかかってきて「スーパーでヴィランに襲われた」なんて言われたものだから文字通り飛んで駆け付ければ、猫耳と尻尾を生やしたなまえがいた。他にも数人、なまえと同じように耳と尻尾が生えた連中がいたが、そいつらの顔は覚えていない。
 俺の姿を見つけたかと思ったら、ぱあっと表情を輝かせて「来てくれたんだ〜! やっさし〜!」などとふざけたことを言いながら飛び付いてきて、「こいつどこまで猫になってんだよ」と苛立ったのは、もう二時間ほど前のことになる。
 警察の話によれば、見た目がコレになることに加えて“個性”を発動させた人間の従順なペットになるという忌々しい能力があるらしいが、“個性”を発動させた人間と一定以上の距離を保っておけば問題はないという。ビジュアル的なものは時間が経たなければ解除されないとのことだが、それはこの際目を瞑る。ただし、なまえが俺以外の奴に従順になるなんて死んでも許さない。
 というわけで、完全に“個性”の効果が切れるまで、俺は保護監視及び護衛任務という名目で事務所を早々に退勤し、今こうして家で過ごしている。クソヴィランは警察が確保したらしいが、念のためだ。

「ね、勝己くん」
「今こっち来んな」
「なんで? 勝己くんって猫嫌いだったっけ?」
「そういう問題じゃねェわ!」

 エプロンを付けた格好でリビングのソファに腰掛けて雑誌をパラパラと眺めていた俺に近付いてきたなまえを、手でシッシッと追い払う。猫は好きでも嫌いでもないしアレルギーの類はない。そういう問題じゃないのだ。
 自分の女が猫耳と尻尾を付けて歩いている。その時点で目の毒だということぐらい、普通の人間ならなんとなく察せるだろう。しかしこの女は普通ではないから、何も察することができないのだ。
 わざと迫ってきているのなら返り討ちにしてやればいい。そっちの方がまだ対処のしようがある。が、なまえは何も狙っていない。だからこちらから手を出せば、それは俺が「この手のコスプレ紛いなものにそそられてしまった」ということになるみたいで癪ではないか。

「ご飯の準備できてるしお風呂のお湯が沸くまでやることないから、そっちでテレビ見たいんだけど」
「…チッ。わぁーったよ」

 俺は渋々ソファから立ち上がると、寝室で適当に時間を潰そうとそちらの方向へ足を向けた。

「え、どこ行くの?」
「どこって、寝室」
「寝るの?」
「飯も風呂も済んでねェのに寝るわけねえだろ」
「じゃあ一緒にテレビ見ようよ」
「見たいもんがねェ」
「いつも見てなくても隣に座っててくれるじゃん」

 確かにそれはその通りなのだが、今日はいつもと状況が違う。視界に今のなまえの姿をあまり入れたくないのだ。
 しかしそんなことをストレートに言うのは憚られた。「なんで?」と尋ねられたら答えに詰まってしまうのが目に見えているからである。

「ねぇねぇこっち来てよ」
「風呂そろそろ沸くだろ」
「あと五分は沸かない」
「先に飯にしろ」
「お風呂のお湯冷めちゃうよ」
「追い焚きすりゃ良いだろ」
「なんで逃げるの!」
「逃げてねえわ!!」

 会話をしながら付き纏ってくるなまえから距離を取るべく、俺は部屋中をうろつくハメになる。これではまるで鬼ごっこをしているようだ。
 こっちの気も知らず必死に追いかけてくるなまえは俺を捕まえようと必死になっていて、ネズミを追いかける猫さながら。俺はネズミほど小さくはないが。
 そんな無意味な時間を過ごすこと五分。風呂のお湯が沸いたという電子音が聞こえてきたことによって、謎の鬼ごっこは幕を閉じた。なまえは明らかにむすっとしており、よく見れば尻尾の毛が逆立っている。どうやらきちんと感情と連動しているらしい。
 風呂場に行って帰ってきたなまえは「お風呂どうぞ」と遠くから刺々しい声で言い捨てたかと思うと、台所に引っ込んでしまった。なまえは基本的にほとんど怒らない。だからこの状況は限りなくレアだ。
 まあ風呂からあがったら少しは機嫌も直っているだろう。そう思っていたのに、風呂からあがってもなまえの機嫌は直っていないどころか、今度は完全にテンションが下がりまくっていた。
 猫耳は伏せられ尻尾はだらりと垂れ下がっていて、ついでに表情も分かりやすく落ち込んでいる。というか、あれは拗ねているのだと思う。

「おい」
「こっち来ないでよ」
「……なまえ」
「いいもん。勝己くんが私に近付きたくないなら近付かないもん。ご飯も別々に食べるもん」
「そこまでしろとは言ってねェだろ」
「そこまでってどこまでか私には分かんないし。勝己くんのばーか!」
「な、てめェ今なんつっ、た……、」

 タオルで髪を拭いている最中に聞こえてきた罵倒に腹が立ち顔を上げれば、なまえはきゅっと唇を噛み締めて俺を睨んでいた。しかしその目は今にも泣きそうで、怒っているのか悲しんでいるのか判断しかねる。
 はあ。仕方がない。罵倒の言葉は、今回だけは聞かなかったことにしてやろう。そういう顔をさせたのは俺だから、その詫びとして。
 台所のカウンターの向こうに立つなまえに近付く。俺が距離を縮めていくとなまえは「来ないでってば!」と僅かに後退りしたが、台所で逃げ回る場所はない。つーか、逃げる必要ねえくせに逃げんなばーか。

「こっち来んなって言ったのは勝己くんのくせに」
「事情が変わった」
「事情って何なの…勝手すぎるよいつも」
「……悪かった」

 聞こえるか聞こえないかぐらいのボリュームだったと思うが、恐らくなまえにはきちんと声が届いたのだろう。顔を上げて俺の表情を盗み見てこようとするから、頭と猫耳を押さえつけるようにわしゃわしゃと掻き撫でながら下を向かせた。
 そうして暫くぐしゃぐしゃと撫で回した後「風呂入ってこい」と風呂場の方に押しやればなまえは「はーい」と間延びした返事をして大人しく風呂場に向かった。どうやらすっかりご機嫌になった様子だ。単純で助かる。
 ちなみにその後、風呂からあがったなまえは耳と尻尾がなくなっていて、俺は内心ホッと胸を撫で下ろした。これでやっといつも通りの生活に戻れる。と、思ったら。

「今日はぎゅーってして寝てね」
「は?」
「理由もなく勝己くんに避けられて傷付いたから、その罰として今日は思う存分私を甘やかしてください」
「フザけたこと言ってねェでさっさと飯食えや」
「冷たい! 猫パンチしちゃうぞ!」
「もう猫じゃねえだろ」
「にゃー!」

 クソみたいな拳を俺に向けてきたなまえの腕を掴む。何が「にゃー」だ。そもそも、てめえを抱かずに寝たことなんか出張の日以外ねェだろうが。
 そんな文句の言葉は音にすることなく、直接口内にぶち込んでやった。

ニャンタスティック・アワー