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 目覚めてすぐに感じた違和感は、四肢に解放感があるということだった。基本的に寝袋で睡眠を確保している俺は、その解放感に居た堪れなさを感じる。
 そして次に気付いたのは、自分が横たわっているのが自分の家のベッドではないということだ。普段自分がベッドを使うことはないが、インテリアのひとつとして、そして勝手に誰か(うざったいことにほとんどがマイク)が押し掛けてきた時の来客用として置いている簡素なベッド。そのベッドでないことは明らかだった。
 無駄に背中がふわふわとしていて落ち着かない。清潔感のあるシーツは結構なことだと思うが、俺にはそぐわないシロモノである。ここは一体どこなんだ。昨日の記憶を引っ張り出そうとするが、頭がずきずきと痛んでそれどころではなかった。

「おはよう相澤センパイ」
「……どうしてお前がここにいる」
「ひどいなあ。先輩が襲ってきたくせに」

 身体を起こそうとした俺は、聞き覚えのある声で呼ばれて動きを止めた。また居心地の悪いベッドに沈む。恐らく苦虫を噛み潰したような顔をしているであろう俺に、腹が立つほど清々しい笑顔を投げかけてくる女は、俺の一つ年下にあたる学生時代の後輩だ。
 後輩と言っても、そんなに接点があったわけではない。体育祭や文化祭、インターンでちらりと顔を合わせる程度だった。正直、当時のことはほとんど覚えていない。

 俺が教師になって一年後、この女…みょうじも教師になったことを知った。別に調べたわけではない。仮免試験会場で出くわしたのだ。ジョークと馬が合う時点で絶対に俺とは合わないタイプだと思ってあからさまに避け続けていたが、みょうじはそんなことお構いなしだった。
 みょうじの言い分は「学生時代の先輩後輩なんだから仲良くしましょうよ!」というものだったが、先輩後輩だからといって馴れ合う必要は全くない。マイクはみょうじのことを覚えていたらしく、いつの間にか連絡先の交換までしていたが、そのせいで俺はやたらと飲みに付き合わされるようになった。非常に迷惑なことである。

 そうだ。昨日もそうだった。マイクと俺とみょうじとジョーク。不本意なことに定番と化してしまったメンバーで酒を飲んでいた。俺は勧められても酒をあまり飲まないようにしているのだが、昨日はわけの分からないゲームに参加させられた挙句、その罰ゲームとやらで無理矢理飲まされたのだ。
 飲み会の場での記憶は途中からすっぽり抜け落ちている。ついでに、いまだにここがどこかも分からないし(所謂、歓楽街の一角にあるそういう建物の中だということはなんとなく分かるが所在地が分からないという意味だ)、それゆえ、ここまでどうやって辿り着いたのか、そしてみょうじの発言の真偽も不明だ。ただ、ちらりと流した視線の先にあるみょうじは、布団で隠れてはいるものの完全に裸。俺は眩暈がした。

「とりあえず服を着ろ」
「先輩、もしかして覚えてないんですか? あんなことしたくせに」
「……早くしろ。ここを出る」
「シャワー浴びないんですか?」
「帰ってから浴びりゃいいだろう」
「優しくないなあ……」

 ぶつくさと文句を言いながらも、みょうじはのっそりと起き上がって床に散らばった服に手を伸ばしている様子だった。俺は俺で、そちら側に目を向けないように自分の衣類を拾い集めて手早く着る。
 時刻は朝の六時過ぎ。今日は日曜日だから学校に遅れるなんて心配はしなくていいが、こんなところからみょうじと二人で出るところを誰かに見られたら、どう考えても面倒臭いことになってしまう。それだけはどうやっても避けたい。

「俺は後から出る。お前は早く帰れ」
「一緒に出ましょうよ。家まで送ってください、イレイザーヘッド」
「馬鹿言うな。そこらへんでタクシーでも捕まえとけ」
「もしかして先輩、このまま昨日の夜のあれこれをなかったことにしようとしてません? それは酷すぎますよ。男の風上にも置けない」
「……何が望みだ」

 昨日の夜のあれこれ、と言われても全く思い出せない俺には、反撃の余地がない。だからこういう時は、相手の条件を飲むことで事態を丸く収めるに限る。
 俺がそう言うのを待ってましたと言わんばかりに口元に弧を描いたみょうじは、俺にずいっと近付いてきた。非常に嫌な予感がする。というか、嫌な予感しかしない。

「私と付き合ってください」
「却下」
「えっ、なんでです? 先輩、私のこと好きなんですよね?」
「どんな妄想だ。有り得ん」
「嘘だあ……だって昨日……」

 昨日の夜、何があったのか。知りたいが知りたくない。そもそもマイクとジョークはなぜ俺達二人を放置したのだろう。そこが問題である。俺の酒癖の悪さはアイツらも知っているはずなのに。
 どうやら妄想でもなんでもなく、本気で俺が惚れていると思っていたらしいみょうじは、非常に困惑した様子だ。昨日の俺は一体何をした? 何を言った? 本当にみょうじを襲ったのか? そういうことをしてしまったのか? だとしたら確かに、このままなかったことにはできないわけだが。何を以てしてその事実を確認すれば良いというのだろう。

「……私の身体、見ます?」
「は?」
「痕。昨日先輩がつけたやつ。見ます?」
「な、」
「別に覚えてないならそれでもいいですけど。こんなことで嘘吐くような女じゃないですからね」

 そう言って本当に脱ぎ始めたみょうじを慌てて止める。ヒーロー活動中危機的状況に陥った時以外でこんなに焦ったことはない。俺が痕を付けた? そんな独占欲の塊みたいなことをしたというのか。好きでもない女に。酔った勢いで。
 嘘という可能性も勿論捨てきれないわけだが、目覚めた時の状況とみょうじの様子を見れば信じないというわけにもいかなくなってきた。いくら酒癖が悪いとはいえ、女を襲ったなんてヒーローあるまじき行為だ。だが、過去はもう変えられない。

「……悪かった」
「言っときますけど私、嫌々抱かれたわけじゃないですよ」
「何を、」
「ずっと好きだったから、先輩と同じ景色を見たいと思って教師になりました。だから、一緒に食事ができるようになったのも、普通に話せるようになったのも、嬉しかった。昨日は夢みたいだって思いました」
「待て、冗談だろう」
「冗談でも嘘でもありません。そんなに信用ないですか」

 女ってのは妙なところで強気だ。俺をぐっと鋭い眼差しで見つめているみょうじは、泣きそうだった。たぶん、信じてもらえないことに対する悔しさと、自分の気持ちを踏みにじられたことに対する悲しさと、両方が合わさっているのだろう。
 俺はお世辞にも義理堅い人間とは言えない。情に流されることもまずないと言い切れる。が、みょうじのこの表情には、僅かながら揺らぐものがあった。申し訳なさや自分が犯した失態に対する責任感。それらも含まれているとは思う。しかし、だからと言って相手の思い通りになってやれるほど、俺は優しい人間ではない。
 だからこそ、自分自身の行動に驚いた。「悪かった」。もう一度そんな言葉を落として、自らの意思でその頭を撫でるなんて。なんだこの動作は。なんだこの言いようのない感情は。ただの元後輩に、俺は何をしている?

「昨日もそうやって頭を撫でてくれました」
「……その後は?」
「思い出してくださいよ」
「俺もできたらそうしたいが、無理だから訊いてんだ」
「また嘘だろとか冗談だろって言うと思いますけど」
「そうだろうな」
「お前みたいな女なら選んでもいいかもしれない、って」
「……俺が、そう言ったのか」
「押し倒すっていうオプション付きで」

 今の話が本当だとしたら、何をやってんだ、昨日の俺は。暫く酒は飲みに行くまい。
 どうやらマイクとジョークはみょうじの気持ちを知った上で俺と二人で帰らせたらしいが、俺の気持ちはどうなるんだ。そんな苦言は次に会った時にでもたっぷり言うことにして、今は目の前のみょうじにどう向き合うべきか考える。
 みょうじみたいな女なら選んでもいいかもしれない。昨日そんなことを言ったのだとして、俺は深層心理の中でそういうことを思っているということなのだろうか。酔った時こそ本音が出ると言うが、果たしてそれは本当なのか。
 もう一度、みょうじと視線を合わせる。逸らされることはない。本当に強気な女だ。よくよく考えてみれば、確かに、こういう女は嫌いじゃない……かもしれない。

「送る」
「え?」
「先に出ろ。後で追いかける」
「え? え?」
「言っとくがタクシーだぞ」
「えーっと、それはつまり私と付き合ってくれると……?」
「それは保留だ」
「えー! 期待させておいて!」
「素面で襲いたくなるぐらいになったら考えてやる」
「なんで先輩が主導権握ってるんですか!」

 ぎゃあぎゃあと五月蝿い女を部屋から追い出す。あんな女を選んでもいいかもしれないと思っているらしい自分には頭を抱えたくなるが、そういえばマイクが言っていた。「恋は理屈じゃないんだぜ?」
 ……ああ、思い出すだけで鬱陶しい。今回ばかりは、もしかしたらもしかして、もしかするのかもしれないから、更に鬱陶しさが増す。曖昧な思考は合理的じゃあないのに。

ミス・テイク・ツー