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「#甘甘」のBL小説を読む
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 仕事でヘトヘトに疲れて帰ったら美味しいご飯に温かいお風呂が待っているなんて、某有名な童謡の歌詞じゃないけれど、人間っていいなと思う。
 彼は専業主夫でもなければしがないフリーターってわけでもない。今をときめくプロヒーローである。つまり、ザコ“個性”しかもっていなくて事務職をしている私なんかよりも、ずっとずっとずうっと多忙なのだ。にもかかわらず、定時きっちりに事務所を後にして私よりも先に帰宅する彼は、必ずご飯もお風呂も準備して私を出迎えてくれる。
 毎日のように「遅ェ!」と文句を言われるけれど、そんなのうちの会社に直接言ってほしい。…などと口答えをしようもんなら、彼は本気で会社に殴り込みに行きかねないので、私はいつも「ごめんごめん」と適当に流すことにしている。ほぼ毎日、代わり映えのしない同じやり取りの繰り返し。でもそんな日常が、私は結構気に入っている。
 ただ、今日はいつもと違った。なぜかって? 会社から有給を取れとのお達しが出て、何でもない平日が突然お休みになったからだ。つまり、今日は私が家で彼の帰りを待つことができるというわけである。
 こんな日は滅多にない。だから私は一生懸命、腕によりをかけて夜ご飯を作ったし、お風呂もピカピカにして適温のお湯を沸かした。料理が上手いのもお風呂のお湯加減の調整が完璧なのも彼の方。それは変えようのない事実である。けれどもこういうのは気持ちが大事だから! 彼だって少しは私のこの努力を認めてくれるはずだ。
 彼の帰りを今か今かとそわそわ待つ。珍しく白いエプロンを身に付けて、玄関の前を行ったり来たり。私達は新婚夫婦ではなくただの同棲カップルに過ぎないけれど、今この瞬間だけを切り取って考えるならば、私は夫の帰りを待ち侘びる妻と同じ心境だと思う。
 ガチャリ。そうこうしている内に鍵が開く音がして、漸く彼の姿が私の目に飛び込んできた。彼の方は既に私が待ち構えていたことに少しギョッとしているようで「どうした?」と不審がっている。

「おかえりなさい!」
「……ただいま」
「ご飯にする? お風呂にする?」

 彼が帰ってきたら絶対に言ってやろうと思っていたセリフ。それはいつも彼が言ってくれるセリフでもあった。「飯か風呂か俺か! さっさと選べや!」とは、彼の決まり文句である。最後に自分を入れているのは彼なりのユーモアってやつなのだろう。そういえばいつも勝己くんを選ぶことはないけれど、それに対して特に突っ込まれたことはない。
 そんな経緯があって、それはそれはもう自信満々に彼の決まり文句を言ってみせた私に対して、彼の反応は呆れ顔のみという寂しいものだった。けれど、そんなの予想済みだったのでいちいちショックは受けない。でも、もう少し喜んでくれたって良いのにな。いや、実際彼に素直に喜ばれたりしたら、病気か? と疑っちゃうかもしれないけど。
 玄関先で無言のまま私をジッと、睨むように見つめてくる彼。にこりと笑顔を崩さず見つめ返す私。その状態で何秒か経過した。そして、先に口を開いたのは彼の方。

「…お前は」
「……うん?」
「飯か風呂か、の続き」
「続き?」
「お前、は?」

 いやいやそんな、まさかとは思うけど、ご飯にする? お風呂にする? それとも私? っていうあの定番のセリフ待ちだった、なんて、ねぇ? 「それとも私?」の部分を催促してくるなんて、ねぇ? あの爆豪勝己が? 嘘でしょ。いつもの「俺か」っていう選択肢も、冗談じゃなくて本気だったの? それこそまさかの事態である。
 あまりの驚きで暫くポカンとしていたけれど、無言で私を見つめたままの彼は結構大真面目な顔をしていた。なるほど。つまり本気ということか。そうなれば言わないわけにはいくまいと、私は笑顔で仕切り直すことにした。どうせ「何本気で言っとんだアホか」とあしらわれるのがオチだろうけれど、こういうのはノリが大切である。

「ご飯にする? お風呂にする? それとも私?」
「お前」
「え、」

 間髪いれずに選択されたのはまさかの「私」。してやったり、といった顔で私を見下ろす彼は、非常に悪人面である。しかし悔しいことに、その表情にちょっとキュンとしてしまっている自分もいたりして。
 それを認めるのは癪だから一瞬の怯みを覆い隠して、じゃあどうぞ! と両手を広げれば、額にバチンと鈍い音を立てて痛みが走った。どうやら割と容赦なくデコピンされたらしい。珍しくすんなりハグしてくれるのかなとちょっぴり期待していたのだけれど、そう上手くはいかないようだ。

「オラ、さっさと中入れ」
「そっちが先にフってきたくせに…」

 行き場をなくした手を重力に従ってだらりと元の位置に戻す私をよそに、靴を脱いで家の中に入っていく彼の後を、ぶうぶうと唇を尖らせながら追う。結局ご飯とお風呂どっちが先なんだ、と思いながら台所に向かえば、カウンターキッチンの向こうからこちらを覗き込んでくる彼とこんにちはしてしまった。
 ご飯からで良いの? と確認すると、あ? という不機嫌そうな反応。それならばと、じゃあお風呂? と尋ねれば、元々眉間に寄っていた皺が更に深く刻まれる。いやいや、どっちだよ。

「お前っつったろーが」
「は」
「早よこっち来いや」
「ちょっとよく意味が分からないんだけど」
「時間が勿体ねェわクソが」
「そんな理不尽な」

 なんと驚いたことに、例のやり取りの返事は有効だったらしい。なんだなんだ、可愛いじゃんか。仕方ないなあ、と言いつつニヤけながら彼の方に回り、再び両手を広げて「おいで」のポーズをしてみせる私を見た彼からは盛大な舌打ちが聞こえたけれど、ちゃんとぎゅーってしてくれるからどうやったって可愛いとしか思えない。

「お前、仕事辞めろ」
「急にどうしたの」
「俺は待つより待たれる方が性に合ってンだよ」
「ああ…うん、確かに。そうかも」
「毎日さっきのクソみたいなセリフ言っとけ」
「勝己くんって古典的なやつが好きなんだね」
「うっさいわ」

 否定はなし。ほんと、可愛いね。世間の皆様はそんなこと一ミリたりとも思わないだろうけど、私は可愛いって思うよ勝己くん。
 さて、「黙れや」とうるさい私の口を塞いでくれた彼のご要望にお応えして、そろそろ仕事辞めちゃおっかな。その前に飛びっきりのプロポーズ、期待してるからね。

愛あるよくある茶番劇