包帯でグルグル巻きになった彼を見るのは、これで二回目だった。一回目はUSJ事件の時で、こんなことはもうこれっきりにしてくれと彼に縋り付いたんだっけ。それなのに彼は、また性懲りも無く大怪我を負って帰ってきた。しかも今回はヴィランの“個性”の力によって一時的に目が見えなくなってしまうというオマケ付きで。
あの時と同じく、こんな無茶をするのはもうやめてくれと思いつつも、誰かのために戦うのがヒーローだと言われてしまえば止めることはできないし、その気持ちは同じヒーローとして痛いほど分かる。だから今回、私はあの時のように縋り付いたり、無理はしないでと言ったりはしなかった。私も大人になったということだろう。果たしてそれが正解なのかは分からないけれど。
「目が使えねぇ俺はそこらへんの一般市民以下だな…笑えねぇ」
「何言ってるの。最近特に働きすぎだから少しは休みなさいっていう天からの思し召しかもよ」
「そうだと良いがな…」
彼はぼそりとそう零すと、ゆっくり上体を起こした。さすがに大怪我を負っている時に寝袋を使うことはなく、普段は使わないベッドに身体を横たえていた彼だけれど「慣れないからどうも腰が痛い」などと文句を言っていて少し安心する。いつもの彼らしいところが垣間見えたことに安堵するなんて、私は心配しすぎなのだろうか。
そんなことを考えながら閑散とした彼の部屋の壁にかけられたシンプルすぎる時計に目をやれば、そろそろ夜ご飯を用意する時間になっていることに気付く。さて、同僚として、彼女として、いつもろくなものを食べていない彼に少しでも精がつくものを用意してあげなければ。
そう思ってベッドの傍に座っていた私が立ち上がった瞬間、ぱしっと乾いた音が響いた。彼が私の腕を掴んだのだ。あれ、見えてない、はず、だよね? 目元を白い包帯でしっかりと覆っている彼を見つめてみるけれど、こちらの視線には気付かないのか、彼は無反応だ。
「少しは見えるの?」
「そうだったら良いんだが生憎何も見えない。真っ暗だ」
「…でも、私が立つのは分かったんだ?」
「気配ってもんがあるだろ。何年ヒーローやってると思ってんだ。それぐらい分かる」
さも当たり前かのように言われたけれど、果たして私が彼と同じ状況に陥った時に今と同じ行動を取れるかどうかは微妙なところだった。気配だけでこんなに正確に私の手を掴むことができるものだろうか。まあ彼なら普通じゃないことを普通にできてしまうのかもしれないけれど。
依然として手は掴まれたままなので動けずにいた私に、彼は問う。「どこに行くつもりだ」と。責めるような口調ではない。ということは、ただ単純に私が立ち上がった理由を知りたいだけのようだ。
「台所。夜ご飯の支度しようと思って」
「……そうか」
彼の返事は明らかに納得の意を示していると思った。のに、言葉とは裏腹に離されぬ手。あれ。珍しいな。
「どうしたの」
「別に。どうもしない」
「……もしかして、怖い?」
「何言ってんだ」
「見えないと不安だよね」
「そんなことは誰も言ってない」
「分かった。もう少しここにいるね」
彼の発言は概ね無視することにして、私は自分の勝手な解釈のもと、台所へ行くのを諦めてベッドの端っこに腰を下ろす。私の体重分マットレスが沈み、それによって彼にも私が腰かけたことが伝わったのだろう。私の手を掴んでいた力が少し弱まった。が、完全に離されることはない。
何を話すでもなく、ぼんやりと、ただ二人の時間を分かち合う。そんな数秒、数分が続いた後、私は何かに誘われるように彼の頬に唇を寄せようと身を乗り出した。理由はない。ただなんとなく、そうしたくなっただけ。
あともう少しで彼の頬、というところで彼の顔が僅かに動いて、図らずも唇同士がくっ付く。そういうつもりじゃなかったのに、と慌てて離れようとしたけれど、後頭部に回された彼の手によってそれは阻まれてしまい、あろうことか舌を絡め取られた。なぜだ。なぜ分かったのだ。これも気配で察知したというのか。だとしたら彼は超人である。
舌を絡め合って暫く経った頃、漸く唇が離れて彼との距離が生まれた。彼の口元は緩く弧を描いていて満足そうだけれど、私は逆にそれが非常に不満でならない。
「どうして、」
「分かると言っただろう」
「普通、気配だけでそんなに分かる?」
「分かる」
「嘘だぁ……」
私の反応に、彼は更に気を良くしたのだろう。珍しくくつくつと笑いを零していて、悔しいけれどホッとしたりもしていて。私の感情は非常に忙しい。
「嘘だと思うならまたやってみろ。同じことの繰り返しだ」
「そんなの分かんないよ」
「なんならこの目が元に戻るまで付き合ってやっても良い」
「……目、元に戻ったら、してくれないの?」
それは確認。こんな幼稚なお遊び、いつもの彼なら付き合ってくれないと思う。だからあえて尋ねてみたのだ。今だけしかこんな風にじゃれ合うことはできないの? って。
沈黙。そして、ふっと笑う口元。「たまには付き合ってやらんこともない」という言葉を紡いだ彼の声音は柔らかくて、心臓がふるりと震えた。
自然と、私も彼と同じように口元に弧を描く。彼にはそれすらも気配で感じ取られているのだろうか。分かっていてもいいし分かっていなくてもいい。ただ、負けず嫌いな私としてはこのまま彼にやられっぱなしというのが癪だったので、不意打ち狙いで、今度は私から唇を奪ってやろうと思い、そおっと顔を近付けた、けれど。
「甘いな」
「っ、」
彼は私がほんの少し顔を近付けただけでも気配を察知することができるらしく、ふい、と逃げられてしまった。また呆気なく私の敗北である。
「またお前の負けだ」
「……負けてあげてるの!」
「そうか」
半分本当で半分嘘。私だってヒーローの端くれだから本気を出したら彼の裏をかくことができるかもしれない。けれどもそれを試そうともしないのは、私が彼に翻弄されたいと思ってしまっているからだ。
もう一度リベンジしようか。そう考え出した直後、まるで心の中の気配まで感じとったんじゃないかと思うほど鮮やかに、握り続けていた私の手を引っ張った彼。無防備な私の身体は簡単にバランスを崩してしまって、いとも簡単に彼の胸の中に埋まる。
「ご飯、作らなきゃ」
「そこら辺に俺の非常食があるだろ」
「あれは食事じゃないからね」
「腹に入りゃ同じだ」
「そんなに私に離れてほしくないの?」
冗談のつもりで面白おかしく尋ねてみれば、返ってくるはずの「調子に乗るな」という呆れたようなセリフは聞こえてこず、私は首を傾げる。そうして私の耳に届いたセリフは。
「……ああ、そうだよ」
「え…、どう、したの?」
「何がだ」
「いつも、そんなんじゃないでしょ」
「……たまにはいいだろう、こういう恋人らしいのも」
ぎゅ、と抱き締められて彼の香りが私の身体中に擦り込まれたような気分になる。このまま目が見えないままだったら、彼はこうして常に私を求めてくれるのだろうか、などと不謹慎すぎることを考えてしまった自分を恥じる。その目が見えようが見えまいが、彼が私のことを大切に想ってくれていることは分かっているはずなのに。随分と欲張りになってしまったものだ。
「たまに、じゃなくて…いつも恋人らしいことしたいよ、私は」
「……今のお前の顔が見れなくて残念だ」
「見せてあげるよ。見えるようになったら」
「そりゃ楽しみだな」
そんなやり取りをした翌日、無事に彼の目は私を映し出すことができるようになって、その時向けられた眼差しは間違いなく私を慈しんでいたから、ぶわあっと全身が熱くなるのを感じて。なまえ、と名前を呼んだ後、続けて「見せてくれるんだろう?」と言って私の頬を撫でてきた彼の目は、いつになく穏やかで擽ったかった。