Chapter.56
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雑居ビルの明かりと行き交う人々の喧噪を尻目に、仁は駅前のロータリーに姿を現した。
結局、来てしまったのだ。ツツミの言うとおり。
電話を切った後も気になって仕方が無い。
一言、文句を言わずには済ませられない。
何で離婚なんかしたのか、結婚するって言って勝手にいなくなったくせに、今更俺に会ってどうするつもりなのか。
本当、今更どうしようもないのに。
電話があってから既に二時間以上経過していた。ツツミはとうに帰ってしまっているかもしれない。それならそれでも良い。もう会わない、と態度で示せたのなら向こうも諦めるだろう。
ロータリーに停まっている車を見渡す。その中に、あのアイツの車は、変わってなければ黒のBMWは。
「……マジかよ」
ナンバーまで覚えていない。けれど、多分そう。運転席側の窓から昇る煙草の煙。その窓から灰を捨てる仕草、その手。
正面から近付いて行けば、フロントガラス越しに目が合う。満足気に笑う、その瞳が腹立たしい。
何も言わずに助手席のドアを開けた。煙草のせいで少し煙たい車内に身を滑り込ませ、レザー調のシートに座る。
煙草の匂いとシートの固さを、懐かしいと思ってしまう自分が嫌だ。
「やっぱり来たな」
吸殻でぎゅうぎゅうになった灰皿に、短くなった煙草を更に押し込んでツツミは微笑む。
「ツツミがこんなに気が長いなんて知らなかった」
嫌味のつもりで言った。言われた当人は涼しい顔をしている。むかつく。
車が滑らかに走り出す。
ツツミが新しい煙草に火を点ける。
「どこに行くの?」
「どこでもない。ただのドライブ」
「俺を呼んだ理由は?」
「俺がお前を呼び出す理由なんて、今も昔も変わらんさ」
ああ、あの身勝手な理由。
「俺がお前に会いたいから」
本当に変わらない。
それが困る。
「アンタは変わらなくても、俺は変わった」
「そう?変わらないよ」
トン、と灰を窓の外に落としたツツミが横目で俺を見る。
「お前はお前のまま、俺の代わりにあの子がいるだけだろ?」
「タクトはアンタの代わりじゃない!」
聞き捨てならない言葉に、思わずツツミを睨んだ。ちらりと一瞥を寄越して、ツツミはまた前を見る。
タクトはアンタと違い過ぎてる。代わりになりようがないんだよ。
「それを聞いて安心した」
「は。なに言って…」
「俺の代わりなんて誰もなれない、そういうことだろう?」
随分と手前勝手な解釈だ。まだ俺の世界がアンタ中心に動いてると思ってるの?とんだ思い上がりだよ。
「ツツミって意外と未練がましいんだな」
「それはお互い様」
「俺はアンタに未練なんか無い」
「なら何故来た」
そんなの、決まってるだろ。
「アンタに文句を言いに来た」
「電話で済んだだろう」
それじゃ、意味が無い。
「顔見て言ってやんないと気が済まなかった」
「素直に会いたかったと言ったらどうだ」
そんなこと、言うわけがない。
「なんで勝手に結婚して勝手に離婚してんだよ」
「大人の事情ってやつだな。喜べ、今の俺は誰のものでも無い」
そんなの、嬉しくない。
「今更、俺にどうしろって言うんだよ」
「俺の特別に、今ならまたなれるぞ」
ああ、こいつはやっぱり酷い男だ。
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