Chapter.47
---------- ----------
「巧斗」
「ハイ」
若干不機嫌な姉の声が、電車を待つホームで静かに響く。
「藤枝、アンタに悪さしてないわよね?」
「してない」
「変なちょっかい出されてないわよね?」
「されてない」
「喰われてないわよね?」
「喰われ…て、ない」
「喰われたのか」
「………」
「ちょっ、否定しなさいよ!」
イヤー!と顔を覆う姉が叫ぶ。周囲から視線が注がれヒヤリとしたが、それも一瞬だった。
「ごめん、姉さん…」
他に何と言えば良いんだろう。言葉を見つけられず、それだけ呟いた。
樹里は溜め息を吐き、やれやれといった風に首を振ると落ち着きを取り戻した。
「帰ったら聞きたいこと聞くわ」
言葉尻に電車がレールを軋ませる音が被って、それを合図に二人は電車に乗り込んだ。
電車に揺られながら、姉に何を聞かれそれにどう答えるべきかを考えた。考えたけれど、答えは出なかった。姉は両親に告げ口はしないだろうけど、受け入れてくれるかは分からない。それは仕方ないし、それによって姉と疎遠になるのも止む無しだろう。ただ、自分を可愛がってくれた姉の心痛を察するにつけ、申し訳なさが込み上げた。
家に着いてまず姉がしたことは、コーヒーを淹れること。家、といってもここは姉が一人暮らしをしている住まいである。実家は父がいるので、姉は帰らない。それに両親に聞かれたくはない話なので、それはそれで都合が良かった。
「……どういう経緯で知り合ったかは置いといて、」
コーヒーを持ってベッドに腰掛けた姉が、質問を開始する。もう不機嫌そうではなかった。真顔ではあるけれど。
「藤枝とは友達……ってことでいいの?」
直球な問いに巧斗は逡巡し、結局素直に答えることにした。ここまでくればもはや嘘など吐いても仕様が無いだろう。
「……付き合ってる」
「ふーん…」
樹里も巧斗もコーヒーを飲んで気持ちを落ち着ける。気を紛らわしていると言っても良い。
「藤枝は、巧斗のこと好きなの?」
「そう言ってくれてる」
姉のしかめ面を見て巧斗の気持ちは沈む。やはり身内がゲイなのは受け付けられないのだろう。しかも相手が自分の高校の同級生だなんて。
「ごめんなさい…」
「巧斗は真面目だから、きっとちゃんと真剣に付き合ってるって信じてる。だから謝らなくていいの」
ところが姉の口からは否定の言葉は出てこなかった。正座した膝の上に乗せた握り拳が、緊張でじっとりと汗ばむ。
姉は許してくれるのだろうか。
「でも、藤枝はやめときな」
無情にも聞こえるその一声で、一縷の望みは絶たれた。
「アイツは駄目。巧斗が可哀想」
「なんで…」
なんで可哀想だなんて言うんだよ、と喉元まで出かかって止めた。姉はまるで苦虫でも噛み潰したみたいな顔をしていた。そして吐き捨てるように呟いた。
「アイツは最低な野郎よ」
言葉の棘が胸に刺さる。自分の好きな人が最低だと言われて憤懣やる方無いのだけれど、姉が訳も無く他人を貶めるようなことを言うことは無かった。ならばその理由は。
「…姉さんは昔、仁と何かあったの?」
巧斗は過去の仁を知らない。今の彼の何を知っている訳でも無いが、少なくとも姉は何か知っている。巧斗が知らない何かを知っているのだ。
「アイツはね」
姉の苦々しい表情が一瞬哀しみも含んで見えた気がした。
「私の彼氏を…寝取ったのよ!」
「え…?」
「しかもね、二股だったのよ。人の彼氏盗っておいて他に付き合ってる奴がいたのよ!信じられる!?」
「えぇ?」
ちょっと、何を言っているか分からない…。姉の彼氏を、仁が寝取って、二股?
「そういう奴なの!だからね巧斗、」
がし、と姉の片手が巧斗の肩を掴んだ。鬼気迫る表情が目の前にある。コーヒー、零さないといいのだが。
「アイツだけは止めときな。巧斗が本気でもアイツはそうじゃない。自分が気に入ったらつまみ食いして、ただ食い散らかすだけの野郎よ」
コーヒーを零しそうになったのは自分の方だった。そんな酷いこと、言わないでほしい。
「でも、今はそうじゃないかもしれないし……!」
「巧斗は優しいから、そこにつけ込まれてるのかもね」
哀れむような目。どうしてそんな風に決めつける?仁を悪者みたいに言うのはやめてほしい。
「姉さんは、仁をちゃんと知らないからそんなこと言うんだ」
「確かに私が知らない部分も沢山あるわよ。でも巧斗が知らなかったことを知っているの。ほんの一部しか知らない私は、少なくとも知っている部分の藤枝仁を嫌いだし、巧斗にふざけてちょっかい出されたくないわ」
姉の言うことは正論だ。高校生だった頃の仁を俺は知らなくて、姉は知っている。
正しいけど、仁を否定されて悔しいし、腹が立つし、ショックだ。
「ごめんね。あいつじゃなかったら手放しで応援できたんだけど」
「別に……。こっちこそ、姉さんを裏切ってごめんね」
「裏切るとか、そんなんじゃ……」
「誕生日祝ってくれてありがとう。帰るね」
隠しきれない苛立ちが態度に出てしまった。目も合わせないで、素っ気なく姉の家を後にした。
付き合う前にも散々悩んだけど、仁は遊びじゃないって言ってたし。付き合ってからも上手くいってるし。浮気とかしないって信じてるし。
しない、よね……?
[ 47/75 ]
[*prev] [next#]
[目次]
[しおりを挟む]