Chapter.41
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試験が終わり、ようやくのんびりできる週末が訪れた。
仁の部屋に行く約束の日、駅前で待ち合わせて前回と同じ道をまた歩く。図書館、花屋、仁の働くケーキ屋、レンタルビデオ店、郵便局…。二度目の道、なんとなく覚えた街並みを進む。もう6月、空は曇りがちで雨粒を落としてきそうな気配だ。
「そろそろ梅雨かー」
雨嫌い…と空に向かって呟く仁。
「靴汚れるし、傘差すの面倒だし」
いかにも仁らしい主張だ。
「部屋の中にいるなら、雨は嫌いじゃないかな…」
濡れるのは確かに嫌だが、雨粒が地面を打つ音は、割と好きだ。
そう言うと、仁はふーんと言ってそれからニッと笑った。
「雨音をBGMに読書してそう」
その通りだった。雨の音は気になるどころか、むしろ集中させてくれる。
「帰り、降ってないといいな」
「うん」
もう、仁のアパートは目の前。
「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
「紅茶」
キッチンから聞こえる声に、迷い無く返す。
程無くして、湯気の立ち上るマグカップが二つ運ばれてきた。甘やかな薫りが鼻を掠めていく。
「タクト紅茶派かー」
仁はそう言って、まだ熱い紅茶に息を吹きかけ冷ます。
「仁が淹れた紅茶は、美味しいから好き」
普段は特にコーヒーでも紅茶でも気にしなかったのだが、仁が淹れた紅茶を飲んで以来そちらを選ぶことが増えた。
「………」
「………仁?」
こちらをじっと見て動かない視線。何度か瞬きをして、フと笑った。
「な、何…」
「何でもなーい」
意味あり気な微笑を浮かべ、紅茶に口を付ける仁。訳が分からないまま、とりあえず自分も紅茶を飲む。
「タクト、映画好き?」
「え?……ん、あまり見ない、かな」
唐突な質問に一瞬戸惑った。
「俺、見たいやつあるから、付き合って」
ああ、そういうことか。
「いいよ」
頷きを返すと、満足気に笑った仁はテレビボードに置いてあった袋から、DVDのケースを取り出した。
「レンタル?」
「そ。俺、映画は家でのんびり見る派」
映画館苦手なんだよね、と仁は肩を竦めてディスクをプレーヤーに飲み込ませた。
「なんか、意外」
正直な感想が口から出たが、仁は特に嫌な顔もせずソファに、巧斗の隣に座る。
「一人で見たいんだよねー。映画館は周り他人だらけで気が散るんだ」
「ふぅん…」
あれ、自分は居ても平気なのかな…と疑問が浮かぶ。しかし、その疑問はすぐに掻き消される。
「タクトなら一緒でも全然構わないんだけどね。特別」
「…そう」
素っ気なく返したのは照れ隠し。特別、という一言で舞い上がる自分は、なんとお目出度いのだろう。
仁は本編とは関係ない予告編を、バンバン早送りでとばす。
「予告だけ見るとすげー面白そうだなって思うけど、実際見てみたらそれ程でもないって映画あるよなー」
リモコンを握る仁が、頬杖付いて言う。
「予告は、これ見たいと思わせて映画見てもらうのが目的だからじゃない?」
ナルホド、とぽつり言って仁は再生ボタンを押す。制作会社や警告の画面が現れては消え、本編が始まる。
それは去年か一昨年位に公開された、サスペンス物の作品。ドラマもやっていたし、よくCMで流れていたので巧斗にも見覚えがあるタイトルだった。
部屋に響くのはテレビから聞こえる音だけ。お互い会話も無く、画面に顔を向けている。
時折盗み見たその横顔からは、彼の感情の色は読み取れない。ソファに深く腰掛け、ただ真っ直ぐに映像を見つめている。たぶん真剣に見入ってるのだろう。こうしてあまり集中できていない自分がなんだか悪い気がしてきた。
それでも、意外なトリックや予想外のどんでん返しにつられて話に引き込まれる。あっという間に2時間程経って、その映画は終わった。
「面白かったね」
「ん」
プレーヤーから吐き出されたディスクをケースにしまいながら、仁は言葉を投げかける。
「まさか犯人がアイツだとは…騙されたなー」
「最後まで結構ハラハラしたね」
口々に感想を言い合って、既に冷え切った紅茶を啜り切る。仁が空のマグカップを手からさらって、キッチンへ向かった。水の流れ落ちる音がして、簡単にカップを洗い水切りカゴへ置くと、再び隣に仁が戻ってくる。
「タクトさ、」
ぴたりとくっついて座る仁は、にこやかに問いかけた。
「映画より俺のこと見てたよねー」
「や、見てない」
確かに見たは見たが、仁よりは映画を見ていた。
「えー?」
本当かなー、とクスクス笑って、その手がこちらに伸びてくる。頬をひと撫でして、首筋を伝い、胸元へ。思わず身構えたが、仁はそこからどうするわけでもなく、ただ手の平を左胸に置いたまま。
「映画ほっといてまで見つめられると、食べちゃいたくなるなー」
「別に見つめてなんか、ない」
ただちらっと盗み見ただけだ……説得力皆無か。
近いけれど、それ以上近くならない距離のまま、視線をぶつけ合う。なんとなく目を逸らしたら負けのような気がして、綺麗な顔を見続けた。
力のある眼、長い睫毛、通った鼻筋、形の良い唇。照れ臭さを押し込めるため、観察するように眺める。
「今、俺が何考えてるか分かる?」
俺がどんな反応を返すかを見たくて、試してるんだろう。食べちゃいたいとか言っていたくせに。
「さぁ…分からない」
「なーんだ、当ててよ」
「分かるかって聞かれたら、分からないって答えるよ」
適当にはぐらかした。仁はちぇ、と拗ねたように言うけど、その顔は笑ったままだ。
「正解は、」
耳元に仁の顔が近づいて。息が掛かる距離にドキリとする。甘い香りと吐息が、神経に爪を立てて引っ掻いてくるような感覚。
「お腹空いた。ランチにしよ?」
「…………………」
脱力。
普通に言え馬鹿、と心の中で罵る。
「今日は外で食べよう?近所に新しいお店が出来てね、そこのサンドウィッチ美味しいんだって」
「……じゃあそうする」
文句の一つでも言ってやりたかったけれど、勝手に邪推したのはこちらの方だ。ぐっと呑み込んで、代わりに溜息を吐く。
なんだか、仁だけ余裕たっぷりで、俺はいちいちその行動にドキッとしたり深読みしたり、感情を振り回されている気がする。
年の差、経験の差、か。
あるいは…温度差か。
気持ちの温度差。
たいして執着とかしてないのかもしれない。
仁なら他にいくらでも付き合ってくれる人、いそうだ。
「タクト、行こ?」
「うん」
既に部屋を出ようとする仁が、ついてこない巧斗に向かって声を掛けた。
馬鹿な考え事は止めよう。好きだって最初に言ってくれたのは仁だ。それを信じれば良い。
仁の背中を追って、部屋を出た。
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