小説 藤枝さんと吉川くん | ナノ




Chapter.32
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右手に持つマグカップは、既に冷たくなってしまっている。左手は、いつの間にか仁に握られていた。巧斗はマグカップをテーブルに置いた。

「二人とも、もう大丈夫だから、もう怖がらなくていいから、って。何度も言ってくれた」

まるで自分達に言い聞かせてるみたいに。

「先生は学校を辞めて、両親と学校で色んな話をして、冬休みの間に全部終わった。三学期には新しい先生が来て、俺も普通にまた学校に行って、何事もなかったみたいに過ごしたよ」

多少の噂は飛び交ったものの、他の生徒は真相を知らないまま事件は収束した。

「それからしばらくは、誰かを好きになるのが怖かった。好きな人ができたら、先生が俺のことを裏切り者、って罵ってくるような気がして。しかも、ようやく好きな人ができたと思ったら男だった。先生は俺がゲイだって見抜いていて、だから俺を選んだのかも……って思ったりもした。」
「話してくれて、ありがと。 そんな辛いことがあったんだね」

ずっと沈黙していた仁が、口を開いた。その両手で、巧斗の頬を挟んで包み込む。

「でもタクトはお馬鹿さんだ。」
「え?」

向かい合って、正面の顔がふわりと笑って。

「だって、タクトは何も悪くないのに」

一番欲しかった言葉をくれた。
誰も言ってくれなかった。お前は悪くない、と。両親ですら、怖かったねもう大丈夫心配いらないよ、としか言わなかったのに。

「自分を責め過ぎ。誰かのせいにしたっていい時もあるよ。タクトは、悪くない」

少し冷たい仁の手に、自分の体温がじわじわと伝わって。境目が無くなってしまったような錯覚を覚えた。

「それでも、どうしてもタクトが自分を責めるなら、俺が忘れさせてあげる」

そう言って、仁は優しいキスをくれた。
目を閉じてその感触だけを感じる。このままひとつになってしまえたら良いのに。そう思わせるほどに、心地良くて。

「忘れてるつもりだった。自分なりに、乗り越えたつもりだったんだ。仁のことを好きだって思ったときも、怖くはなかったんだよ」

こんなにも優しい仁に、心配掛けたくない。抱きしめられた体が密着し、仁の髪が甘く匂う。

「俺はタクトのこと、ちゃんと大切にしたい。もう怖がらせたりしたくない。さっきはごめんね」
「………うん」

仁の言葉ひとつひとつが全身に染み渡る。
この人を好きになれて良かった。こんなにも温かい気持ちにさせてくれる。

「ありがとう」

こんな言葉じゃ足りないけれど、他に思い付かなくて。少しでも伝わればいいと、強く抱きしめ返した。



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