Chapter.10
---------- ----------
黒い扉を開けると、変わらず煙草とアルコールの匂いがした。まだ慣れない。
またバーに行く気になったのは、仁に会えるかもしれないから。会えばきっと自分の気持ちもはっきりするだろう。いつまでもモヤモヤを抱えたままでいるのは、しんどい。
「いらっしゃい巧斗くん。今日は仁来てないですよ。」
わりと定位置になってきた席に腰を下ろすなり、見透かしたようにマスターはそう言って微笑んだ。
「あ、別に仁に会いに来たわけでは……。」
咄嗟に口から言い訳が飛び出した。誤魔化す必要もなかったけれど、心裡を見透かされたのが恥ずかしい。
「そうですか。失礼しました。」
物腰が柔らかくて、穏やかで、優しいマスター。何も言わないが、たぶん嘘だと分かっているんだろう。別の客に呼ばれ、やはり穏和な笑みでそちらへ行くと、入れ替わりにやって来たのはユタカだった。
「ん。」
コト、と巧斗の前に飲み物の入ったグラスを置く。彼は本当に無口だ。マスターとは対照的に無表情。でも仁と軽口を叩くこともあるようだし、他の客とも会話をしているのを見たことがあるので、たぶん話し掛ければ喋ってくれるんだろう。
「あの、」
「なんだ。」
ああ、やっぱり、聞く態勢にはなってくれるんだ。スルーされることをある程度覚悟していただけに、少し嬉しい。
「仁は……いつも何を飲んでるんですか?」
いつものー、としか言わないので、グラスの中味は知らなかった。色味のない、炭酸の小さな泡が弾けるあれは、見た目だけならサイダーにも似ている。そして、本当にジュースみたいにすいすいと飲んでしまう仁は、格好良く思えた。
「ジントニック。」
「へぇ……。」
飲んだことがないので、正直聞いたところで分かない。強いのか弱いのかも、どんな味なのかも。
「名前がジンだから。」
「え?」
「だからジンの酒ばっかりだ。馬鹿の一つ覚えみたいに。」
「そう、なんですか。」
「飲むか?」
「え、いや、いいです!」
左手をブンブンと振り、大慌てで断った。飲酒して帰宅して、親にバレたら大目玉だろう。自宅謹慎くらいは言い渡されるかもしれない。
「大真面目だな。」
ふ、と漏れた小さな笑い声。ユタカの頬が緩み、口元が僅かにほころんでいた。
表情を崩すのを初めて見た。綺麗な笑い方で、少し色っぽい。
「仁のこと聞きたいなら、ユウに聞けばいい。」
指差す方を見ると、ショートヘアの小柄な人物が誰かと話しているところだった。いつまでもユタカを引き留めてもおけないけれど、初対面の人といきなり話をするのは正直とても恐い。自分からあれこれと話をするのは苦手なのだ。
「ユウ、ご指名。」
自分が指名したわけではないが、ユタカがその人を手招いた。パッと振り返ってユタカと俺の姿を確認したその人は、男の人なのか女の人なのか判別がつかない中性的な顔立ちだった。話し相手と適当に折合いを付けて、ユウと呼ばれた人が隣に来る。
「こんばんはーご指名ありがとうございます!なんちゃって。」
テヘッと舌を出してみせたその仕草や、甘ったるい喋り方は女の子のようで。しかしその胸板は平らで声質もどちらかと言えば男性のもので。ますますよく分からない。
「あ、あの……、吉川巧斗といいます。」
「へぇキミが!噂はかねがね。タクトくんって呼んでいい?」
「は、はい。」
噂って何だろうか。なにか噂を流されるようなことをした覚えはなかった。
「アタシのことはユウでいいよ。仁と同い年ね。どうしてアタシを指名してくれたのかな?」
「えーと、」
助けを求めるようにユタカに視線を送ろうとして、すでにそこにはいないことを知った。いつの間にいなくなったのか。
「仁のことはユウさんに聞けばいい、と言われて……。」
「うんうん。つまりは仁のことをもっと知りたいのね?よーしよし!」
まかせなさい、と息巻いているユウさん。これなら聞かなくても話してくれそうでホッとした。何から話そうかな?と、人差し指を顎に当てて思案する様子はなんだか楽しそうである。
[ 10/75 ]
[*prev] [next#]
[目次]
[しおりを挟む]