聞こえてる? | ナノ




聞こえないふり
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待ち合わせの時間まで、そこそこ賑わうファミレスの前で腕時計と往来を睨む。たかだか1週間でこれほどまでに憔悴するなんて。あいつがふられるまで待ち続けた1年よりよっぽど長く感じた。そう、あれだ。真綿で首を締められるってやつだ。俺の生死は今日決まる。

「……来ない」

七時を回って五分。窪田は姿を見せない。今まで約束の時間に遅れたことはなかった。何か事件や事故に巻き込まれたか?それとも、これがあいつの答えか……。不安が押し寄せて、腹の底がどんどん重くなる。やっぱり告白なんて馬鹿なことしなけりゃ良かった。後の祭り。後悔先に立たず。あとはあれ、覆水盆に返らず。
もう帰ろう、と最後に右から左へ辺りを見回す。ほら、来てない。もう何回あいつにがっかりさせられたんだ。疲れた。
やさぐれ気味にポケットへ手をつっこみ、雑踏の中へ身を投げようとした瞬間、スマホが勢いよく震え出した。

「っ!?んだよ……もしもし!」
『あの、く、窪田です』

苛立ちを露わにして電話に出てみれば、相手は窪田だった。ガヤガヤと雑音が混じってきて、弱々しいあいつの声がかろうじて聞き取れるくらい。

「お前どうしたんだよ。時間になっても来ないから事故にでも遭ったかと思ったぞ」
『すみませんでした』
「で?今どこ?あとどんくらいで着くんだ?」
『あの、どうしても今日じゃなきゃ駄目ですか』
「はぁ?」

何言ってんだこいつ。こりゃあれか、返事伸ばして無かったことにするつもりか。それとも断るのは申し訳ないってか。面と向かって言う勇気もないってか。
なめてんのかこの野郎。

「もういいわ。帰るわ。返事もいらねぇ。今ここにいないことと、この電話でもってオコトワリシマスっていう意思表示と受け取る。じゃあな」
「まっ、待って!違います!違うんですーっ!」
「だあっ!?」

言い訳される前に電話を切ろうと思ったら、後ろから何者かにしがみつかれた。危うくスマホを落とすところだった。

「お前っ!?どっから湧いてきた!」
「中塚さんごめんなさい!帰らないでください!」
「馬鹿、離せって!」

腰にくっついてたのはまさかの窪田。がっちり腕を回して、離すもんかと言わんばかりに密着しているせいで周囲の視線が集中している。こんなところで悪目立ちして、恥ずかしいったらありゃしない。

「お願いですから帰らないでください!話を聞いてくださいっ!」
「まずは俺の話を聞け、離せって!」

ようやく腕がほどけた。どれだけ必死なのか知らないが、腰は解放されたのに今度は手首が捕えられた。そんな悲痛な面持ちで、一体どうしたっていうんだ。

「行かないで、ください」
「わかったって……離せよ、逃げやしねえから。つーかお前はどっから降って湧いてきたんだよ」

渋々手を離した窪田は叱られた子供みたいに萎れて、また小さく「すみません」と言った。

「そこの看板の影にいたんですけど、なんか、踏ん切りつかなくて」
「いつから?」
「待ち合わせの時間には、いたんですけど……」
「お前なぁ、いたんなら声掛けろよ」
「だって、……」

窪田はそれ以上喋らなかった。唇をキュッと引き結び、俯いて、今にも泣き出しそうだ。
本当に手のかかる奴。馬鹿で甘ったれで放っておけない困ったさんめ。

「行くぞ」
「え」
「こんなとこじゃ話もできねぇだろうが」

今度は俺が窪田の手首を掴んで引っ張り出す。
グイグイと半ば引きずるようにして連れてきたのは、窪田んちの近くの河川敷。酔っ払った窪田が吐いて俺の告白を聞き流した河原だ。ここなら人もそんなに通らない。

「……で、答えは出せたのかよ」

さらさらと流れる川の水面に、月明かりが反射して仄白く光っている。堤防の斜面は草っ原で、踏みしめる度にひんやりとした空気がまとわりつく。
斜面を下りきって、固い砂利を鳴らして、窪田の手を離した。背後に窪田の気配を感じながら、振り向きはしなかった。

「この一週間、ずっと考えて、考えて、でも上手くまとまんなくて、その…………中塚さんは、大切な人です。友達ともまた違うけど、知り合いって言うよりもっと親しくて」

窪田はゆっくりと言葉を探す。俺はひたすら川面に光る月を見る。窪田が手繰り寄せるこの先の言葉が、怖い。

「俺の話をちゃんと聞いてくれるの、中塚さんだけでした。大学の友達は、騙されてるんだよ早く目を覚ませって、そればっかりだったけど、中塚さんはただ聞いて励ましてくれました。だから、あの日……振られた日、頭の中ぐちゃぐちゃで、ヤケクソになって飲めないビールを飲んで、そんな時に頭に浮かんだのが中塚さんで、また話を聞いてほしいって、思ったんです。……本当に来てくれて、嬉しかった」

ざり、と石を踏む音。窪田の気配が近くなった。たったそれだけで背中がひりつく。

「あの人を待ってて、本当は、嘘かもしれないって思ったこともありました。みんなの言う通り騙されてるだけかもって、心が挫けそうになったことも。でも、そういうときには中塚さんがいて、話聞いてくれて、励ましてくれて……。自分が信じたいから信じる、それでいいんだって前向きになれたんです。でも中塚さんがいなくなったら……、俺は誰に慰めてもらえばいいんですか?」

もう一歩踏み出し、窪田が隣に立った。

「ねえ、中塚さん。怖いんです。もし中塚さんに振られたら、もう立ち直れないと思うんです。そう思うと……付き合って、いつか別れてしまったらって思うと……これから先の失恋に怯えるより、今のままいた方が、いいのかもって…………」

ひりひり、心臓が焼け付くように痛む。取り出して、目の前の静かな川面に投げ込んで冷やしたいほどに熱い。もう何年も忘れていた感覚に、改めて自覚する。恋だ。これが、この痛みこそが、恋だ。この歳になってこんな気持ちになるなんて、思いもしなかった。だが隣のこの男に思い知らされる。俺は恋をしている。

「なあ、窪田。俺のこと嫌いか?」
「もしそうなら、こんなに悩みませんよ」
「じゃあ、俺のこと好きか?」
「……っ、それは」

言葉を失う窪田に向き直ると、窪田もまた俺を見た。八の字になった眉毛、噤んだ口。絡み合った視線は解けない。

「答えろ。好きか?」
「…………す、きです」
「なら諦めて俺のモンになれ」
「でも、」
「俺だって怖ぇよ、すげー怖ぇ。この歳で捨て身になってみっともなく年下に告って、玉砕しようもんなら格好悪いことこの上ねぇ。でもそうしちまった。お前がそうさせたんだよ。なぁ、自信持ってくれよ。自分がこのオッサンの人生狂わせるくらい惑わせてやったぞ、って。……その上で、やっぱ俺とは付き合えねぇなら、断ってくれ。頼む」

本当みっともねーな。こんな縋るような真似して、ダセェ。こんな俺の姿は、窪田の目にどう映ってるんだろうな。やっぱ、格好悪いんだろうな。

「もし断ったら、本当にもう会ってくれないんですか」
「ああ。二度とな」
「…………ずるいですよね。そんな風に言われたら、断れないじゃないですか」
「そうだよ。俺は大人だからな。ずるくて打算的なんだよ」
「ほんと、ずるい人……。知りませんよ、後悔しても。僕は甘えたがりで、子供っぽくて、わがままなんですから」
「望むところだ」

非難めいた言葉とは裏腹にいたずらっぽく笑う目尻に誘われて、口元が緩む。ぐしゃぐしゃと窪田の頭を撫で回して、ああやっとこの髪の毛に触れたと嬉しさが胸にこみ上げた。

「もう、髪めちゃくちゃになっちゃったじゃ……、んっ」

つまらない文句は聞こえないふりをして、唇を
重ねた。




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