聞こえてる? | ナノ




聞こえてる?
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 夕方のファミレスは様々な客層で賑わいをみせている。そのざわめきの中で、俺はある店員を目で追う。テーブルからテーブルへ、注文を取り、配膳し、くるくる忙しく動き回る姿はさながら蜜を集める蝶のよう。そうだ、いつも俺の手からヒラヒラ逃げて行くんだからまさに蝶だな。

 この蝶々さんと出会ったのは今から一年ほど前。一夜限りの情事を交わそうと誘ったものの、あっさり断られたのが始まりだった。その理由が「好きな人を待ってるから、他の人とはエッチできません」というもので、ひどく拍子抜けしたのを覚えている。そこから何の因果か飲み友達になり、今では週に一回は共に飲んだり食ったりする仲になった。
 そんな蝶々の待ち人というのが、また胡散臭い。転勤になって遠くへ行く際、また迎えに来るとかぬかしたらしい。それを律儀に待ち続けること三年、未だ待ち人来ず。いい加減、騙されたと気付いたっておかしくないのだが、蝶々は今でも信じて待ち続けている。そういう健気なところが、好きだけど、もどかしい。

「さて、そろそろ時間かな。」

 腕時計を確認すると、午後六時五十七分だった。あと三分でシフトが切り替わる。バイトが終わったら、二人で食事に行く予定だ。三杯目となった珈琲を飲み干して、また蝶々に目を向けると、今しがた入店した客の応対をしていた。ところがその様子がなにかおかしい。幸いにもこの席からはその会話が聞き取れ、その断片から判断するにどうやら客は知人らしい。

「―――待ってたんだよ、ずっと……!」

 その一言で、答えを導き出す。あいつが待っていたのは、たった一人だけだ。

「信じる者は救われる、か。」

 会計伝票を握りしめ、レジへと向かう。あいつは俺に気がついていない。それほどまでに、焦がれた相手なのか。そのまま二人の横を、顔を背けて通り過ぎて店を出た。

 あの様子じゃ、予定はきっとドタキャンだろう。足は自然とコンビニに吸い寄せられ、そこで簡単な飯を買って自宅へ帰った。本当は二人で食べるはずだった飯を、一人でもさもさと食べるのは案外寂しく味気ない。この虚しい気分は明日、あいつにぶつけてやるとしよう。そして、幸せな報告を聞いてやることにしよう。失恋の痛手に塩を塗り込むようなもんだけど。

 そんなセンチメンタルな気分に浸っていると、不意にスマホが震えだした。画面を見れば着信で、その相手は今まさに脳内で思い描いていた蝶々さんこと窪田で、嬉しいような嬉しくないような、複雑な心境だ。とにかく、電話に出なければ。

「もしもし。」
『あー、中塚さぁん。なにしてんすかぁ。』
「なに、お前、酔っ払ってんの?」

 聞いただけで酒の匂いがしてきそうなほど、窪田の声はだらしなく緩みきったものだった。

『中塚さぁん、約束してたのに、なんで一人でいるんですかぁ。』
「なんで、って。ほら、お前、例の待ち人が迎えに来たんだろ?ファミレスで見たぞ!良かったな、今までほったらかしにされてたぶん甘やかされれば、」
『もう知らない!中塚さんのバァカ!死んじゃえ!』
「はぁ?なにキレてんだよ窪田。」

 唐突に暴言を吐いた窪田は、どうやら泣いているらしい。一体どこにいるのか、声の他に聞こえてくるのは風や水が流れる音だ。ひとりなんだろうか。

「おい、お前いまどこにいる?」
『中塚さんが死なないなら俺が死ぬから!馬鹿ばかバカァ!』
「なっ、こら窪田っ……あ、切りやがったな!」

 不吉な言葉を残して、ツーツーと電話が終わった。死ぬなんて、まさか。
 拭いきれない不安が、足を動かしていた。家を飛び出し、とりあえず窪田の自宅へと向かう。たしか、近くに河川敷があったはずだ。祈るような気持ちで、夜道を駆け抜ける。月が綺麗な夜だ。吐く息は白い。

「あ!あの馬鹿野郎!」

 山勘は当たった。月明かりが反射する川面はそこそこ明るく、人影も分かる。そして、見つけたのだ。ばっしゃんばっしゃんと水を蹴散らして暴れる、窪田を。

「こら!なにやってんだ死ぬぞマジで!」
「馬鹿中塚さんめ!なんだよ!何しに来たんだよ!ちくしょー!」

 ズボンが濡れるのも構わず川に入れば、冷たいというより痛い。窪田の腕を掴んで引っ張ると、じたばたと暴れて抵抗された。と言っても、酔いどれの拳はどれもか弱く心許ないものだ。

「馬鹿はお前だっつの!」
「中塚さんだって俺を一人にしたじゃないですかァ!ご飯行く約束したのに!」
「それはお前が、」
「あの人だって……っ!結局俺は一人ですよ!みんなが言うとおり、嘘を信じ続けて……っ!」

 羽交い締めにして動きを封じると、やがて語気も弱くなってしぼんでいった。それをずるずると引きずるようにして、ようやく川から上がった。やれやれ、手のかかることだ。そして、どうやら待ち人とは上手くいかなかったらしい。

「知ってました……どうせ、都合のいいように、あしらわれただけだって……でも……っ、だって、信じたかったんです、好きな人のことを……。」

 もう暴れはしない窪田を放してやると、今度はフラフラとよろめくので、慌てて腕を引き寄せた。月明かりに照らされた顔には涙が煌めいていた。まるで星屑がキラキラと零れ落ちるみたいな雫に、不思議な美しさを感じてしまい、堪らなくなる。そのまま勢いで抱き締めると、窪田はおとなしく腕の中に収まった。

「窪田がそうやって、馬鹿みたいに惚れた相手を信じ続けてきてずっとずっと待ってたのを、俺はちゃんと知ってるよ。お前はすげぇよ。一途で、健気でさ。」
「中塚さん……。」

 そうだ、俺はずっと見てきた。今日もメールや電話はなかったと、哀しみを押し込めて笑う窪田を。明日は来るかもしれないと、自分に言い聞かせるように前向きに言う窪田を。

「だけど、そんなお前が報われねぇのは俺だって悔しいから……だから、今度は俺を信じてみないか?俺だって、ずっと待ってたんだ、お前が俺を見てくれるのを。」
「中塚さん、俺、…………………………吐きそう。」
「はっ?」
「も、駄目……う、おえっ、」
「待て待て待て!吐くならそっちに!」

 この野郎、聞いてんのかよ、この俺の告白を!


 返事はまだ聞けそうにないと、窪田の背中をさすりながら俺が泣きたかった。




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