5-@.友達欲しいべさ。
---------- ----------
睦朗が辰彦叔父より留守を預かった東京の住まいは、古風な平屋建ての一軒家だ。さほど広くはないが、一人が住むには十分過ぎるほどの余裕がある。風呂、トイレはリフォーム済みで綺麗だが、あとは実家に通じる懐かしさを感じさせる、古めかしい家。辰彦が気に入っている理由が、睦朗にもなんとなく分かるような気がした。
キッチンには実家から送られてきたダンボール箱が積まれている。中には米、野菜などの食糧がぎっしり詰まっていて、しばらく食べるのには困らなさそうな量だった。料理ができない睦朗だが、これを機にできるようになろうと朝夕の食事は自炊することにしている。今朝もご飯を炊いて、味噌汁を作って、実家で漬けた株漬けを添えて朝食にした。
高校生活が始まって既に一週間。
睦朗は友達というものが一向に作れないでいた。同じ中学から上がってきた生徒たちのグループが出来上がっていて、なかなかその輪に入れずにいるのだ。今までは決して友達が少ないほうではなかった上に、知らない土地に一人でいる睦朗にとって、これはとても寂しい限りであった。ポツポツとクラスメイトと会話することはあっても、それから先に進むことがない。今日だって同じだった。訛りを隠しながら話すと、少しぎこちなくなってしまうのも、どうにかしたかった。
「友達作るの、こんなにゆるぐないことだっけ……。」
ぽつり、と零した独り言は帰り道のアスファルトに吸い込まれて消えた。
そんな日々を過ごしていたら、なんと熱が出た。
朝起きて、体がだるくて仕方ないので、熱を測ってみると明らかな高熱。
「あー、38度……なんでだべ。」
喉も痛くない。鼻水も出ない。お腹も痛くないし、頭痛もない。ただ熱があってだるいだけだった。風邪ではなさそうだが、原因不明。とにかく、これでは学校には行けないということで、睦朗は初の欠席をすることにした。
こういうとき、どうすれば良いのかパッと浮かばない。ぼんやりとした頭でスマホに手を伸ばし、とにかく担任に連絡しないと、と学校に電話をする。誰だかよく分からないけど応答した相手に、クラスと名前を告げて担任を呼び出してもらい、自分の状態を伝えるので精一杯だった。担任の清野は「無理せずにゆっくり休みなさい」と言って電話を切った。少しだけホッとした睦朗は、おとなしく布団に潜り込む。
広い家に、ひとりだけ。睦朗は、東京ってこんなに静かだっけ、と天井を見つめる。
実家にいたときは誰かしらが必ず家にいたし、一人になることはほとんどなかった。父がいて、母がいて、祖母がいて、兄がいて、さぶがいた。ご飯だってひとりで食べることはなかった。
「これが、ホームシックだべか……。」
浮かんでくる家族の顔に、少し寂しくなってしまった。それに、中学まで一緒だった友達も元気にしているか気に掛かって、もしも地元の高校に進学していたら今頃は……などと余計なことまで考えてしまう。
放っておいたらどこまでも気分が沈みそうな気がして、睦朗は布団を頭まで被って眠ることにした。眠ればきっと熱も下がるし、寂しい気持ちも紛れるだろうと目をぎゅっと閉じた。
◇ ◇ ◇
どれくらい眠っただろうか、とぼんやりとした頭で時計を確認すると既に午後だった。空腹のような気もするが、まだ熱で体が怠く何か食べるものを作る気になれない睦朗は水を飲んだだけで再び布団に潜り込む。
そうしてまた微睡み、目が覚めて、微睡んで、を繰り返した。何度目かに目を覚ましたのは夕方で、寝転んだまま熱を測ったら微熱程度まで下がっていた。ほっとしたら空腹が一気に押し寄せてきて、腹の虫が鳴き始める。
「食べるもの……レトルトとか買っておけばいがった……。」
冷蔵庫の中を思い出せば、調理しなくてもすぐに食べられそうなものは漬物くらいしかなくて、睦朗はどうしようかと悩んだ。コンビニは遠くないが外に出るのは億劫だし、かといって台所に立って料理をする気にもなれない。
諦めて漬物をつまもうか、と考えていた矢先に呼び鈴がなった。
一日中静かだったために睦朗はその音に驚き、布団から出て玄関へと向かう。実家からまた荷物が届いたのだろうかと思って引き戸をガラガラと開いた。
「はぁい。どちらさま……?」
「あ、こんにちは。」
予想していた宅配のおじさんではなく、制服を着た男子がそこにいた。クラスメイトだということは分かるのに名前が思い出せない睦朗に、気がついて名乗ったのは山本和泉だった。
「同じクラスの山本。」
「えっと、ごめん、名前まだちゃんと覚えてなくて……。」
和泉はにこり、と笑った。実をいえば和泉もちゃんと睦朗の顔と名前が一致していたわけではなかったが、嶋守、という苗字で変な自己紹介をした奴だったなと思い出すことはできた。日直だったので、担任の清野から睦朗の様子を見に行ってほしいと頼まれて来たのだ。
「具合はどう?熱が出たって聞いてたんだけど。」
「あ、うん、だいぶ下がって微熱くらいになった。」
「そう。良かった。これ今日渡されたプリントね。」
和泉からプリントを受け取りながら、睦朗は頬が緩むのを抑えきれずにいた。寂しく過ごしていた睦朗にとって、和泉が心配してくれたことは跳び上がりそうなほど嬉しかった。和泉にしてみれば担任から言われたので来ただけだったのだが。
「ありがとう山本くん!わざわざ来てくれて!」
プリントを受け取った睦朗から満面の笑みを向けられて、大袈裟だなぁと和泉は思う。そしてまだ渡していないものがあった。手に提げたコンビニの袋に入っているのは、ゼリーやスポーツドリンク。熱があるときでも口に入れやすいものを選んで、ついでに買ってきたものだ。
「あと、これも。良かったら。」
「え、嘘、いいの?ありがとう!」
「家の人が何か作ってくれると思うけど、ちょっとおせっかい。」
「全然おせっかいじゃないよ!すっごい助かったよ!もうめちゃめちゃお腹すいて、……あ。」
「あ。」
睦朗が空腹だと言おうとしたら盛大に腹の虫が鳴って、二人で顔を見合わせてしまった。恥ずかしさに睦朗は赤面したが、和泉は思わず吹き出した。
「ぷっ……。」
「あ、わ、笑わないで!うわうわ!やばい!しょしい!!」
「あははは!ごめん。良いタイミングだったから、つい……!」
動揺のあまりに口をついて出た言葉が方言だったことに、睦朗は気が付かなかった。和泉もさして気に留めはしなかった。ひとしきり笑うと、睦朗はまだ赤面していて、少し申し訳ない気持ちになる。
「ごめん。笑っちゃって。」
「うん……んじゃあさぁ、友達さなって。」
「え?」
「友達になってくれたら笑ったの許すすけ。」
睦朗の言葉は和泉にとって予想外だった。見舞いに来てくれたクラスメイトに対して厚かましいのでは、と心配になる睦朗に対して、和泉はおおよそ男子高校生の口から出たとは思えない言葉にまた笑みが零れてしまうのだった。同じクラスの生徒に「友達になって」とは、交換条件にしては随分緩い。
「面白いこというね。いいよ、友達になるから許してね。」
「ほんと!?ありがとう!」
和泉の答えを聞いた瞬間、睦郎の目が輝いた。ようやく友達のいない寂しい学校生活から脱却できた喜びで、万歳して駆け出しそうな勢いだ。一人くらい友達が増えたくらいで大変な喜びようだな、なんて思っている和泉は、自分が睦朗の東京に来て初の友達だということは知らない。
「もう一人で寂しくて死にかけてたから超嬉しい……。」
「そんな大袈裟な。」
「本当。家でも学校でも一人ぼっちとか、死にそうなレベルで寂しい。」
「家でも?」
「んだ。俺、一人暮らしだから。」
和泉にしてみれば、同い年で一人暮らしとは随分と思い切ったことで驚きを隠せない。それは確かに寂しいかもしれない、と同情してしまう。
「じゃ、これからは一人じゃないね。友達になったから。」
「うん!んだね!山本くんがいい人で良かった!」
自分が友達になったくらいで大いに喜ぶ睦朗につられて、和泉も嬉しいような気分になった。ニコニコと上機嫌な睦朗は、次の瞬間ちょっとだけ背筋が凍る思いをすることになる。
「ところで、それどこの方言?」
隠していたはずの方言が、知られてしまっていたのだった。
[ 7/17 ][*prev] [next#]
[目次]
[しおりを挟む]