世界で一番の君
---------- ----------
最近有木は忙しいらしい。放課後に会えることが少なくなったのは、俺が就職試験のための面接練習などで居残ることが多かったからなんだけど、その忌まわしい面接試験も全部終わってあとは結果待ち。それなのに、早く帰っても有木がいない日がある。仕事らしい。
有木の仕事って言ったら、藤井さんの店の仕事だし、つまるところ売春で、俺は大変嫌な気分だ。俺、言ったよな?お客に嫉妬してるって。分かってて、辞めないのは百歩譲っていいとして、更に忙しくするってどういう神経なわけ?
今日は何日かぶりに会えた。そんな日に喧嘩なんかしたくないけど、この溜まった不満をぶつけないわけにはいかない。ちょっとオブラートに包んで、遠回しに、さりげなく、冷静に、言うつもりだ。
「苑、おまたせ。はいコーラ」
「ありがと」
キッチンから飲み物を取ってきてくれた有木が隣に座った。一呼吸置いて、よし、と心の中で呟く。
「今日は仕事大丈夫なの?」
「うん。おかげ様で一段落ついたよ」
「ふーん、良かったじゃん。……あ、あのさ」
一段落ついたならいいかな、なんて思う自分もいる。でも有木が他の奴と寝てること自体に変わりはないんだと思い直して、やっぱり言わないわけにはいかなかった。
「いつまで今の仕事、続ける感じ?」
顔に不満や不安が出てませんように!
「今の仕事って、」
「別に!早く辞めろって言ってるわけじゃないから!職業の選択の自由は国民の権利だから!ただなんとなく聞いてみたかっただけだから!」
「藤井さんのお店はもう辞めたよ」
「へぇそっか!もう辞め……辞めた!?なんで!?」
予想だにしない返事に、ひっくり返りそうだった。聞いてないぞ、そんな話。なんでもないような涼しい顔してる有木を、思わず掴み上げそうになった。
「いっ、いつ?」
「夏」
「なんで?」
「苑のために、変わらなくちゃって思ったから。ちょうど良かった、今日話そうと思ってたんだ」
有木は穏やかに笑って、慌てふためく俺に向き直った。
「僕は苑と釣り合ってないって思ってた。体売ってるし、馬鹿だし、とろいし、取り柄なんかないし。だから少しでも苑の恋人に見合うような、もっとちゃんとした人間にならなくちゃって思った」
そんな風に思ってたなんて、知らなかった。知ろうともしてなかった。俺はもしかして、有木の好きという気持ちの上に、胡坐をかいているだけなのかもしれない。だって、有木の為に何かしなくちゃなんて思ったこともない。
「僕に何ができるかも分からなかったけど、まずは身売りをやめて、一般的な仕事に就こうって考えたんだ。ハローワーク?に行って手当たり次第に面接受けて、ようやく今日採用通知もらったんだ!」
有木は心底嬉しそうに垂れ目を細くして、ジーンズのポケットから小さく折りたたまれた紙を取り出した。しわしわになった紙には、採用通知という表題と、有木太里をパート従業員として採用する旨が書かれていた。
「これで、苑が売春相手に嫉妬しなくて済むよね?……大丈夫、だよね……?」
俺が何の反応も示さないから、有木は段々不安になってきたみたいだ。顔色を窺うように俺を見つめたまま、何度も瞬きしている。
「僕、間違えた……?ごめんなさい」
「大正解だっつーの!馬鹿!大好き!」
たまらなくなって、力の限り有木を抱き締めた。
自分のことばっかり考えてた俺が恥ずかしい。こんなにも俺のこと真剣に考えてくれる有木が愛しい。
腕の中でふがふがしている有木は、間違いなく世界で一番の恋人だ。
「なんでそんなに俺のこと好きなの。好きすぎじゃん」
「うん、好き。だーいすき」
「転職おめでとう。マジで。超おめでとう」
「へへ、頑張るからね!お給料は少ないと思うけど、苑に迷惑かけないように一生懸命働くから」
「俺も、有木養えるように頑張る」
お祝いだから赤飯炊かないと……ってどうやって作るんだろ、調べなきゃ。
[ 70/71 ][*prev] [next#]
[目次]
[しおりを挟む]