ストーカーですが、なにか? | ナノ




ひとつの決断

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皇さんに言われたことについて、僕は僕なりに考えた。苑のために僕がすべきこと。変わらなくちゃいけないこと。

営業時間が終わったら藤井さんに話さなくちゃ、と家を出る前から何度も自分に言い聞かせた。
大丈夫。きっと藤井さんなら分かってくれる。
話すべきことを、頭の中で繰り返し確認した。もし怒られても仕方が無い。でも僕は、苑のために、覚悟を決めたのだ。

「有木、出るぞ」

店仕舞いを終えて裏口から出ようとする藤井さんが、もたもたしている僕に言った。
今、話さなければ。そう考えるほど、緊張で口の中がカラカラに乾いて、喉が詰まった。

「有木?」

固まった僕を不審に思った藤井さんは、ドアノブに掛けた手を離した。ギィ、と錆びた音を立ててドアは閉まる。辺りは薄暗い。でも藤井さんが僕に近づいてきたことは分かった。

「ああああの、ふっ、藤井さん」
「なに?」
「ぼっ僕っ、辞めます!」

声が裏返って、みっともない決意表明だった。
恐くてまともに藤井さんの顔が見られない。視線は藤井さんの胸下らへんをさまよっている。

「仕事、辞めるってこと?」
「は、はい」

声音はいつも通りだ。でも藤井さんの手が持ち上がって、僕は殴られるんじゃないかと思い、ぎゅっと目をつぶった。
想像したような衝撃や痛みはこなかった。
そのかわり、優しく頭を撫でる手の平を感じた。恐る恐る目を開けると、藤井さんは笑っている。

「やっと決めたか。遅いよ」
「……怒らないんですか?」
「怒るわけないだろ。いつか辞めるって思ってたよ」

僕のことはなんでもお見通しなのだ。
それは、藤井さんが僕を理解してくれているという安心感を与えてくれる。
そんな人の元を離れるのは、寂しい。

「ごめんなさい。まだ何のご恩も返せてないのに、勝手なこと言って」
「恩を売った覚えはないなぁ」
「僕を……僕の魂丸ごと全部を、貴方に渡したのに」
「確かにあの日、俺はお前の全てを買った。だから、お前をどうするかは俺の自由だ。仕事を辞めさせることもできる」

あの日、商売に失敗した僕は路地裏で複数人に回され、お金も全部盗られ、服もろくに着ないままゴミ捨て場に放置された。まだ自分一人で身売りをしていたときのことだ。
ぼろきれのようにゴミと一緒にされた僕を拾ったのは、藤井さんだった。

「あのままカラスにつつかれるか、通報されて警察に連れて行かれるかしてたかもしれない。そうならなかったのは、藤井さんが助けてくれたからです」
「いいように商売道具にしただけさ」
「貴方に救ってもらったんです」

盗られた分のお金を稼ぎ直さなくてはならなかった。だから「僕を買ってください」とお願いした。そんな僕を家に連れ帰り、身を清めさせて、食事を与え、休ませてくれた。その間に僕が何度も「体を買ってほしい」と頼むものだから、藤井さんは呆れながら僕にしゃぶるよう要求した。残念ながら、彼は勃たなかった。そのとき既に不全になっていたと知ったのは、もう少し後になってからだ。
藤井さんは勃起しないものを馬鹿みたいに必死にしゃぶる僕を、買った。僕の全部を、魂を、これから先の人生を、全部買うのだと言って。そうして僕は藤井さんに「飼われる」ことになった。

「俺は自分のエゴにお前を巻き込んで、ここまで道連れにしちゃったんだよな。もっとはやく解放してやれてたら、お前は全然別の人生を送れてたかもしれない」
「別の人生なんて考えられません。僕は自ら望んでこの道を選びました。貴方に買われた日も、この店で働くと決めた時も」

飼われてからは売春を禁じられた。そのかわり、この店の手伝いをしてお駄賃を貰った。電話番や皿洗いしかさせてもらえなかった。乙木さんが時々ご飯を食べさせてくれた。学校にもちゃんと行くように言われた。僕はそれに従った。
何をするにもどんくさくて、物覚えも悪い、無能な自分が唯一できることが、体を売ることだった。だから、高校へは行かずに店で売り子になろうと決めた。藤井さんの店で働いて売上に貢献することが、僕の思いつく唯一の恩返しの方法だった。

「どんなに働いても返しきれないほどの恩を、僕は貰いました。肉親にも育ててもらえなくて、その肉親すら殺されて行くあてのない僕が生きてこられたのは、藤井さんがいてくれたからです」
「俺が余計な茶々入れなくったって、お前はちゃんと自分で生きていける子だよ」
「そんなことない……貴方がいなかったら、僕は……」

一人では、生きているだけでどうしようもなく辛くて、寂しかったから。

「もう俺がいなくても大丈夫だろ?苑くんもいる」
「…………苑も大事な人です。藤井さんも、代わりのきかない、特別な人です」
「これからは苑くんのために、ちゃんと生きなさい。そのために、辞めるんだろ?」
「っ、……はい」
「いい子だ」

藤井さんは僕を優しく抱き締めた。
この腕の温もりも、セブンスターの香りも、さようなら。

「たまに顔を見せに来いよ。乙木さんにも」
「はい」

ぼたぼたと落ちる涙を受け止めてくれるのは、もう貴方じゃなくなってしまう。
でもこれからは、苑がいる。

「今まで、ありがとうございました」



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