37.希望と余韻
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ためらいがちに『恋人候補』と言った苑くんの可愛さたるや。僕は喜びで爆発しそうです。
駄目なら駄目で仕方ないと逃げ腰な僕に、苑くんは精一杯の勇気を振り絞って応えてくれた。そんな苑くんが大好きだ。堪えきれずに泣いてしまって、苑くんより年上のくせに情けない。けれど、そんな僕の顔を自分の服の袖で拭いてくれた。遠慮がちにそっと袖をぽんぽん当ててくれたのは、もしかしたら強く擦ると僕が痛いかもしれないと思ってくれたのかもしれない。そういう優しさが嬉しい。一瞬、仕事のことを忘れかけた。
少しだけ抜けて苑くんを送っていく許可を得られたので、僕は彼と並んで駅まで歩いて行く。 送らなくていいと言われたけれど、変な輩に声を掛けられるのは危ないし、何よりもう少しだけ一緒にいたいがための口実だ。
「有木、ずっと部屋に帰ってきてない?」
「うん。帰ってなかった」
「……俺のせい?」
「ううん、僕の身勝手。明日からまた、あの部屋に戻るよ」
「そっか」
ホッとした苑くんの表情に、僕もまた安堵した。あそこにいても良いんだ。苑くんの近くに。
並んで歩くのは、一緒にお出掛けしてドーナツを食べたあの日以来だ。恋人になれたら、もっとこうしていられる時間が増えるんだと思うと、自然と頬が緩んでしまう。
「あっ。写真」
「うん?」
「いつから撮ってた……?」
そうだ、僕の部屋の写真はもう見られてしまったんだった。訝しむ顔で苑くんは僕をちらりと盗み見た。僕は記憶を引っ張り出してみる。
「いつから、かぁ。苑くんが高校に入ってからだなぁ」
「そんなに前から……」
うわー、これは引いてるんだろうなぁ。軽くショックを受けた苑くんの表情、初めて見た。んん、嫌われるだろうか。
「もう盗撮はすんなよ」
「う、ん」
「あと部屋の写真も、恥ずかしいから捨てて」
「えっ、ええぇ……!」
どうやら今までのことは許してもらえるらしい。盗撮さえしなければ。でもあの写真を捨てるのはもったいない。折角の苑くんの写真なのに。
「しまっとくんじゃ、駄目かな?」
「駄目」
なんと……。でも苑くんが言うんだから仕方ない。写真はまた撮ればいい。盗み撮りじゃなければ大丈夫。
渋々頷く僕を見て、苑くんはヨシと呟いた。もっと言うこと聞けば、褒めてくれるのかな。苑くんに褒めてもらえるなら、どんなことでもできそうだ。
「ちゃんと捨てれたら、また部屋に遊びに来てくれる?」
「うん、いいよ。ほんとに捨てたかちゃんとチェックするからな」
「わかった」
いいよ、と言った苑くんは笑っていた。やっぱり笑ってる顔がとても好きだ。もっと見ていたいのに、目の前にはもう駅が僕らを待ち構えていた。この街がまだ眠らないことを象徴しているみたいに、駅舎の灯りは煌々と眩しい。
「じゃあここで」
「改札まで行こうか?」
「一人で行けるって!大丈夫だよ」
できれば苑くんが電車に乗り込むまで見送りたかったけれど、それは無理なようだ。断られたものは仕方ないので、僕はここで退散するしかない。最後に思いっきり抱きしめたかったけれど、恋人でなくちゃできないんだろう。
「じゃあ、気をつけてね」
「ん。送ってくれてありがとう。じゃね」
ひらひらと手を振って人波に紛れていく苑くんを、見えなくなるまで目で追い続けた。ちゃんと家まで無事に帰れますように。踵を返して僕はまた来た道を戻る。幸せな余韻を引きずって、隣人から恋人候補になった彼を思い浮かべながら。
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