36.告白の返事
---------- ----------
「隣人じゃなくて、恋人になりたい」
ありきがそう言った。俺が全く意識していなかったところで隣人は救われていたらしい。こんなことで救われたと思うなんて、いったいどんな人生送ってきたんだろう。ありきの過去のことは全く知らない。知ったらありきが言うように、俺はありきを嫌いになるんだろうか。
時折言葉に詰まったり、声が震えたりしながらも、ありきは話し続けた。そして多分、今は俺の反応を待っている。垂れ目に涙を溜めて、それでも俺を見ている。涙目なのに、いつになく強い視線に感じた。それがありきの意思の強さなのかは分からないけど、なんとなくそんな気がする。
俺は、どうなんだろう。やけに口の中が乾く。無理矢理ツバを飲み込んで、口を開く。
「……うまく言えないけど、俺、ありきと同じ意味じゃないかもしれないけど、今のありきは好きだよ」
ネットでだって仲良くできてた。話も合うし、優しいし、いい奴。だけど、それはネット上の『ありき』であって、隣人の『有木』のことは知らないことだらけだ。もっと知れば、もっと好きになれるかもしれない。それが友情とは違った意味の好きなのかどうか、確かめることができるかもしれない。
「俺は有木の知ってる部分、全然少ない。昔のこととか含めて。だからもっと知りたい。そこから始めるんじゃ、駄目かな、こ……恋人……候補ってことで」
言葉にしてみるとびっくりするくらい恥ずかしい『恋人』という響きに、まるでこっちが告白してるような気分になる。目を合わせて言えるわけなんかなくて、視線をずらした。心臓がありえない速さでどくどくいってる。頬が熱くなってる。ビルとビルの隙間の薄暗い裏口で良かった。きっと俺、赤面してるから。
「駄目じゃ、ない」
詰まった声が返ってきて、見るとありきはボロボロと泣いていた。その涙を拭おうともせず、ひたすら流しっぱなしにして俺を見ていた。顔をくしゃくしゃにして、しゃくりあげるありきは、年上とは思えないほどに幼く感じる。
「うれし……っ、だめだと、おもっ、たから…………あ、いがと、ありがとっ苑くん……!」
「いや、そんな、泣くなってば」
いまいち踏ん切りのつかない中途半端な返事でも、有木は嬉しいと言って号泣する。そこまで想ってくれる有木に、俺はちゃんと応えられるんだろうか。
でも、目の前の泣きじゃくる大人を見ても不思議と可愛いって思えるから、きっと大丈夫な気もするんだ。
「顔ひっでぇ。まだ仕事中だろ?」
すぐには人前に出られそうもないくしゃくしゃの顔に、小さく笑みがこぼれてしまう。拭いてあげたくてもハンカチなんか持っているわけなくて、仕方ないからソデを伸ばして涙を拭いてやった。加減がわからなくて、控えめにポンポンと頬や目元を叩くようにすると、有木はおとなしくされるがままになっている。あらかた綺麗になったし、こんなもんで良いかな。ぐすっと鼻をすすって泣くのを我慢している有木は、無表情のまま瞬きしなくなってロボットみたいになってしまった。
「ごめん、袖が……」
「気にすんなよ。鼻水は拭いてやんないけど」
「ありがとう」
ロボになった有木はじーっと俺を見つめてくる。そんなにガン見されたら恥ずかしい。しかも何を考えてるか全く読めないから、どうすれば良いのか分からない。
「有木、仕事、そろそろ戻らなくて大丈夫?」
「ああ……、そうだね。戻らなくちゃ」
ようやく現実に引き戻されたらしい。有木は困ったような顔をして少し俯いた。視線が外れても、どこかくすぐったいような感覚は変わらない。
「急に呼び出してごめんな」
「ううん。来てくれて嬉しかった。ちゃんと話せて良かったよ」
「うん。俺も」
自分の気持ちも、有木の気持ちも、確認できた。少しだけど前進できた。ちょっとだけ清々しい気分。だけどまだ、変化した関係にドキドキしている。
「帰り、一人で大丈夫?送って行こうか」
「んー、いや。一人で大丈夫」
「じゃあ駅までは送るね。何かあったら困るから」
「いいよ、仕事中なんだからさ」
「藤井さんに話してくる」
別に遠慮とかではなく、本当に大丈夫なのに有木は譲らなかった。店舗の中へさっと戻っていって、俺は一人で暗がりに残されてしまった。ちょっと落ち着かない。早くこないかな、と思いながらスマホで電車の時間を確認して、ポケットにしまったところで再び有木が出てきた。
「待たせてごめんね。行こうか」
そう言った有木はもう泣き顔ではなく、あのふにゃっと力の抜けた笑顔になっていた。
[ 38/71 ][*prev] [next#]
[目次]
[しおりを挟む]