34.再会の瞬間
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僕が苑くんに対する恋愛感情を自覚したところで、どうしようもないということに気がつくまでにそう時間はかからなかった。僕から離れたくせに、どの面下げてのこのこと苑くんの前に姿を見せれば良いのか。それに、苑くんは僕に会いたくないだろう。僕の恋心はいつの間にか芽生えてようやく自覚した瞬間、速やかに自滅していった。始まってもいないのに失恋してしまったのだ。
「今日、苑くん店に来ると思うよ」
「……へ?」
藪から棒に、藤井さんが僕に告げた。出勤してしばらく経ってからのことだった。すぐには理解が追い付かなくて、ぽかんと藤井さんを見つめると、その人に変わった様子はない。
「だから外に出なくていいから」
「あ、あの、ちょっと意味が分かりませんけど」
まぁ来ないかもしれないけど、と言って藤井さんは開店準備を進める。会うことはないだろうと思っていた矢先に、会えるかもしれないなんて言われた僕はどうしたら良いのか。
とりあえず、いつもどおりに仕事をしなくては。開店まであと30分だった。
「有木さーん。丸井くんだよー」
開店してから一時間。ぼんやりとグラスを拭いていたら、そんなノブくんの声が聞こえてきた。不意を突かれた僕は、危うくグラスを落としそうになってしまった。丸井くん?僕の知ってる「丸井くん」は、丸井苑くん以外には皇さんくらいしか浮かばない。ノブくんがまさか皇さんのことを「丸井くん」と呼ぶとは思えないし、でも苑くんがここへ来るとも思えない。
「あの、ノブくん、丸井くんって……?」
「やだなぁ、お隣さんの苑くんでしょー?とぼけないでよー」
「う、うそっ」
まさか、本当に来るなんて!あわててカウンター内から飛び出そうとすると、肩を掴まれた。藤井さんだった。
「あれ、会いたくないんじゃなかったっけ?」
「えっなんでそんな意地悪言うんですか?」
「昨日まで会いたくないもんって拗ねてたくせに」
「そんな拗ね方してませんよ?」
「店内じゃ困るから、裏口まわってろ」
そう言って藤井さんはすたすたと店の入り口まで行ってしまった。ここからじゃよく見えないけれど、苑くんらしき声が聞こえてきて、本当に彼が来たんだと実感が湧いてくる。
もっとちゃんと、苑くんの声が聞きたい。苑くんの顔が見たい。
「ごめんねノブくん。ちょっと行ってくるね」
「はいはーい」
なぜか那緒さんが藤井さんに呼ばれていったけど、とにかく苑くんに会いたい。通用口を抜けて店の裏に通じる扉まで、早足で歩く。
苑くんが何を思ってここまで来たのか分からないけれど、僕は僕の気持ちを伝えたい。ちゃんと知ってもらいたい。拒絶されるかもしれないのは恐いけど、優しい苑くんはきっと上手く断ってくれるだろう。そうしたらまた、今までと同じように、苑くんがいなかった生活に戻るだけだ。苦しくても、辛くても。
ドアノブに手を掛けたと同時に、反対側からドアが開けられた。那緒さんが中に入ってきて、一言「いるよ」とだけ残して店内へと戻っていく。
誰が、と言うまでもなくそこにいたのは。
「苑くん……っ!」
一ヶ月以上ぶりに会うことのできた、お隣さんだった。
「……久しぶり」
少し曇った表情で苑くんがそう言った。苑くんの声だ。本当に久しぶりの。
「もしありきが、会いたくないって思ってたら迷惑になるの分かってたけど、電話しても取り次いでもらえなかったから」
「お店に、電話くれてたの?」
「聞いてなかった?」
「うん……」
藤井さんめ、と苑くんが恨めしげに小さく呟いた。そうまでして僕に会いたいと思ってくれていたと、自惚れてもいいんだろうか。少しずつ期待の芽が膨らんで、心臓が痛い。
「話があるんだ。ありきに」
「うん」
苑くんの声は揺るがない。僕は手が震えてるというのに。良い話か、悪い話か、どっちだって苑くんが僕にお話してくれるなら、ちゃんと最後まで聞かなくちゃ。聞き終わるまで、心臓がもつといいなぁ。
「俺、ずっと謝りたくて。嫌な態度しちゃったから。ありきは悪くないのに、ごめん」
「そんな……僕が悪かったから」
「いや、ほんと、俺一人で勝手にいろいろ卑屈に考えて、八つ当たりしたんだ。ごめんな」
自分の服の裾をぎゅっと掴んで、俯きがちに苑くんは謝った。思わず抱きしめたくなるほど、いじらしく可愛らしい。そして、僕に対して八つ当たりしてくれるほどには親しくなれていたのかと思うと、嬉しくなる。ますます心臓が痛くなって、それでも僕は苑くんから目を逸らせない。動き出す口唇が紡ぐ言葉を目で見て耳で聞く。
「なんか、嫌だったんだ。ありきが玲汰と普通に話してるの見て、なんでだよって思った。サイトじゃ俺だけがありきに会ったことがあって、しかもお隣さんで、生身のありき知ってるの自分だけだって、ちょっと自分が特別みたいに思ってたから。それなのに初対面の玲汰とはあっさり打ち解けて、俺の知らないところでやりとりとかあって、俺だけ特別じゃなかったんだって分かったら、すげー嫌だった。へこんだし。なんでそんな風に思うのか分かんなくてイライラして……。藤井さんには、そういうの、独占したいとか思うの、……恋、だって言われた。でも俺、分かんない。だって、男を好きになったことない。友達とかそりゃ好きだけど、それと違うって言われたら、分かんねえよ。分かんねえけど……、ありきがこのままいなくなるのは、やだ」
苑くんが必死に話すことを、僕は黙って聞いていた。出てくる言葉はどれも、信じられないほど僕に都合が良かった。夢かもしれない。でも噛み締めた唇が痛いから、これは現実。
藤井さんは苑くんと密かに会っていたようだ。どこで何を話したか知らないけど、少しだけ妬ける。
「……それと、聞きたいことも、ある」
「うん……なぁに?」
長い独白のあと、ふっと一息ついて苑くんは続けた。聞きたいこと。見当がつかなくて、心臓が余計にどくどくとうるさくなる。自分を抱き締めるみたいに、右手で左腕をぐっと握り締めた。
「最初に謝っとくけど、ありきの部屋、見たんだ。勝手にごめん。藤井さんが見てみろって、言ったから」
「そう、……そっか」
「見たよ、写真。全部」
秘密、というほどのものでもない。ただなんとなく言わないできたことだ。僕が毎日苑くんを見てきたことが、苑くんを恐がらせてはいけないと思って伏せていただけ。
でも、知ってしまったんだね苑くん。
「どうして、隠し撮りなんかしたんだよ。なんで俺なの?前に、俺に向かって好きって言ったことあったよな?それどういう意味なの?隠し撮りと関係ある?」
矢継ぎ早に苑くんが疑問を僕に投げかけてくる。語気からは戸惑いが伝わってきた。僕は質問に答えなくちゃいけない。それは僕が伝えたいことを吐き出すことにもなる。
「僕も、苑くんに話がある」
顔を上げた苑くんと目が合う。不安の混じった二つの視線が絡まって、息苦しい。握り締めた拳に汗が滲む。
一呼吸、二呼吸、間をおいて、できるだけ声が震えないように。
「長いし、つまらない話。だけど、聞いてほしいんだ。君に」
頷く苑くんに、僕は語り出す。
過去と、今と、これからの話。
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