ストーカーですが、なにか? | ナノ




33.感情の自覚

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 藤井さんの家に転がり込んでから、一ヶ月が過ぎた。時折、呟くサイトを覗いては苑くんの投稿を見て会いたくなるのをぐっと堪えた。僕の話題はこれといって出てこなかった。もう怒ってもいないのかもしれないし、むしろ忘れ去られているのかと思うと、悲しいという気持ちとこれで良いんだという気持ちがせめぎ合って苦しい。
 僕も、早く忘れなくてはならないと、仕事にのめり込んでいった。店の方よりも外に出て買われる方が多くなった。これが本来の僕だ。よく知りもしない人の性欲処理をしている間は、何も考えなくていい。苑くんのことも。

 それなのに、藤井さんが、あの夜にした行為のせいで、僕は一人でいるときに苑くんを思い出して性欲を抱いてしまう。自慰なんてほとんどしなかった。する必要もないくらい、毎晩誰かと性行為をしていたから。それが、今になって、苑くんのことを考えて、いやらしいことをしてしまうんだ。

 それがとても嫌だ。

 僕の性欲処理に苑くんを使うなんて。僕が他人の処理をするのは平気だけど、それと同じことを苑くんがするなんて。そんなことを考えてしまうなんて。
 僕はなんて酷いんだろう。かつて自分が嫌な思いをしたことのある行為を、勝手に妄想の中で苑くんにさせる。こんなんじゃ、嫌われて当たり前だ。なにより、そんな自分が僕自身一番嫌いだ。

「有木、苑くんに会いたくない?」

 唐突に、藤井さんがそう尋ねてきたのは昨日のこと。仕事を終えて、藤井さんのアパートに帰って、シャワーを浴び終わった僕に、煙草を吸いながら藤井さんがそう言ったのだ。

「今更……、合わせる顔もないですよ」
「答えになってない。会いたいか、会いたくないの二択だ」
「会いたく、ないです」

 会いたくない。きっと苑くんだって、同じだろう。会いたくない。会いたくない。

「有木は苑くんのことが好きじゃないの?」
「っ、すき……じゃ、駄目でしょう?迷惑じゃないですか」
「じゃあ好きなんだな」
「……嫌いには、なれませんよ」

 嫌いになる理由など、ひとつもない。僕が嫌われることはあっても、僕が苑くんを嫌いになることはない。

「どうして、そんなこと聞くんですか」
「有木さぁ、ズリネタにしちゃうくらい苑くん好きなのに、なんで遠ざけるの?」
「ず……っ!?なっ、なに言って」
「え?違うの?オナニーなんか全然しなかったくせに、最近してるだろ?」
「っ、あ、そ、それは……っ!」

 煙と一緒に吐き出された言葉は、驚くほどストレートだった。思わず髪を拭いていたタオルをギュッと握りしめてしまい、引っ張られた髪の毛が痛い。

「苑くんで抜いちゃうくらい好きなら、いっそ抱いちゃえば?」
「できません!そんなこと絶対駄目ですっ!」
「なんで駄目なの。お客さんじゃないから?」
「そ、そうですよ。それに、苑くんだって嫌に決まってるじゃないですか。僕なんかの性欲処理しなきゃいけないなんて」

 そもそも苑くんは僕と違ってノンケなので、抱かれるなどという思考に辿り着くことなんか微塵の可能性もないのだ。ただ気持ち悪いと思われて終わりだ。藤井さんは何を言ってるんだろう。仕事のし過ぎで疲れてるんだろうか。

「お前が今まで金を貰ってやってきた性行為は、確かに性欲処理だ。でも、世の中にはそれ以外の意味を持つ性行為だってある。商売とか関係無しに、好きだと思う相手と体を繋ぐことは、愛情表現だよ、有木」
「あい、じょう……」
「金とかそんなもの一切関係無しに、愛し合う者同士が肉体関係を持つことは、決して悪いことじゃない。根っこは同じ性欲でも、意味が違うんだ。お前が苑くんを好きなら、抱きたいと思うことは、悪いことじゃないよ。むしろ当たり前のことだ」

 新しい煙草に火をつけた藤井さんは、穏やかに笑って諭すように言う。
 僕が苑くんを好きなことは、悪いことじゃない、のか。やらしいことを考えてしまうのも、悪いことじゃない、のか?本当に?

「ただし、ちゃんと好きだと伝えないで肉体関係を持つと面倒になるから、ちゃんと想いを伝えてからそういうことしろよ。ヤるためには『恋人』という肩書きが必要だ。例外を除いては」
「コイビト」
「そう」

 考えたこともなかった。僕と苑くんが恋人になるなんて。

「僕は、苑くんに恋をしていたんですね」
「そうだね」

 僕の濡れた髪を、藤井さんが優しく撫でた。まるで、よくできました、とでも言うように。


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