ストーカーですが、なにか? | ナノ




31.他人と写真

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 俺が隣人に酷い態度を取ってから、隣人がまたいなくなった。ベランダから姿が消え、すれ違って挨拶することもなく、ポストには投げ込みのチラシが溜まる一方だ。もちろんサイトにだって現れない。
 時間が経つことによって、少しずつ冷静になってはきたものの、考えをまとめることが一向にできない。感情に収拾がつかないけれど、とにかく謝りたかった。ただ、謝ろうにもその相手がいなくては、どうにもならない。ないないずくしで、溜め息ばかりが虚しく量産された。

 さすがにひと月もこの状態が続くと、不安になってくる。
 避けられているだけかと思っていたが、どうやら隣人が帰ってきている気配はないようだ。もしかしたら前のときみたいに引きこもっているだけなのかもしれないが、それにしたって一か月もの間一歩も外にでないなんて、無理じゃなかろうか。そりゃあ四六時中隣人の部屋のドアを監視していたわけではないから、本当にたまたま遭遇していないだけかもしれないけれど。なんにしたって、こんなに長い期間姿を見ないんじゃそろそろ本気で心配になるってもんだ。

「やっぱり、ここに電話するしかないのか……」

 机の引き出しの奥から取り出したのは、あの店の電話番号が書かれたカード。ここならいるはずだ。万が一ありきがいなくても、他の誰かがいる。藤井さんとか、藤井さんとか、藤井さんとか。

『はぁい、BAR.Fu-jiでーす』
「あ、あの、」
『あー、丸井苑くん?』
「え?あ、はい……」

 思い切って電話をかけると、以前と同じ人が出た。なぜ名乗る前に名前が分かったんだろうか。まさか一回電話をかけただけで名前を覚えられるなんてことはないと思うのだが。

『ちょっと待っててー。有木さんはいないから』

 そして用件までお見通し。なんなんだろう。もしかして、俺の行動を見越したありきが何か言っていたのかもしれない。電話の向こうでは店内に流れる音楽と人の話し声がガヤガヤとうるさかった。ありきはその中にはいないらしいが、ということは外にいるわけで、外にいるならそれは誰かに買われているのかもしれなくて、また気分が悪くなる。身体を売ることに対する嫌悪、というよりは、もっと違う何かがそうさせる。……気がする。

『……ノブ、電話置くときは保留にしろって何回も言ってるだろ。ああ、もしもし苑くん?悪いね待たせて。藤井だけど』
「ども、こんばんは」

 少し間を開けて電話に出たのは藤井さんで、やっぱりというか何というか、この人はいつもありきのお世話係みたいだなと思う。

『君、今から外に出られる?』
「今からですか?ちょっと……」
『君の隣人の部屋に、15分だけでいいから』
「まぁ、それならなんとか」
『無理言って悪いね。今から30分後に、有木の部屋に来てほしい。よろしくね』
「分かりました」

 藤井さんは「ありがとう」と言って電話を切った。
 あの部屋に行けば、ありきに会えるのだろうか。会えたらどうやって謝ろうか。許してもらえるだろうか。そんなことばかり考えて、時計の針が進むのをひたすら待った。

 長針が盤上を半周するのが、とても遅く感じた。

「コンビニ行ってくる!」
「こんな時間に?もう寝るわよ」
「いいよ鍵は持ってくし、すぐ帰るもん。おやすみ!」

 さっさと帰って来なさいよ、と欠伸を噛み殺しながら母親が言ったのを背中で聞きながら、サンダルをつっかけて家を出た。もう藤井さんは来ているんだろうか。隣の家のドアを3秒くらい見つめて、一回深呼吸。よし、と心の中で呟いて呼び鈴を押した。

「や、こんばんは」
「こんばんは」

 中からすぐに藤井さんが出てきた。黒いシャツと黒い細身のパンツ姿は、もしかしてあの店の制服なのか。いつもこの格好だ。御伽という店でも、前にここに来たときも。そしてまるで自分の部屋のように、俺を中へ招き入れる。

「まぁソファにでも座って」
「あの、ありきは……」
「ここにはいないよ」

 そろりと見渡した室内には、確かにありきの姿はない。言われるままにソファに腰掛けると、藤井さんは「失礼」と言って煙草に火をつけた。

「やっぱりうちの店に電話してくれたね」
「ありきが、そう言ってたんですか?」
「いや。俺の予想。それに、有木がいても電話には出なかっただろうね」

それは、一体どういう意味なんだ。俺からかかってきた電話だから出ない、ってことなのか?

「君、有木の電話番号とかアドレスとか知らないの?」
「知りません。ネット上で話すのがもっぱらです」
「そうか。それじゃあ有木とはすぐに音信不通になるわけだ」

 立ったまま煙草を吸う藤井さんは、俺を見下ろして薄く笑っている。馬鹿にしているのか、憐れんでいるのか、よくわからない。なんとなく得体の知れないこの人は、少し苦手だ。

「どうして、藤井さんが俺をここに呼んだんですか?」
「君と話をしたかったから。有木抜きでね」

 煙をふーっと吐き出して、短くなった煙草を携帯灰皿に捨てたら、また新しい煙草に火をつける。藤井さんはヘビースモーカーなのか。きつめの匂いが辺りに漂うが、わざわざ俺がいない方へ向かって煙を吐くのは、たぶん俺への配慮なんだろう。

「君は有木をどう思う?」
「どう、って言われても……」

 それはあまりにも漠然とした質問で、なおかつ自問自答を繰り返しても結局結論が出ないものだった。俺はありきをどう思っているか?

「ネットの知り合いで、お隣さんです」

 現状は、これだ。他に何と言いようがあるんだろう。

「まったくその通りで文句のつけようがない回答だ。困ったね」

 困ったと言いながらも、藤井さんはやっぱり笑っている。意図がさっぱり汲めない。この人は何を考えてそんなことを俺に聞くのか。にこやかに三本目の煙草に火をつけて煙を吐き出すこの人が、もはやオバケか何かのように思えてきた。

「君はどうして有木に怒鳴ったんだい?」
「それは……」

 この人は有木と親しいとはいえ、俺にとっては赤の他人だ。それなのに、親友と話しているのを見てムカついて、それに気が付いてないことに更にムカついたからシカトしたなんて、言えるわけがない。

「聞いたところによると、有木が君の友達と二人で話した時に少々失礼があったとか、有木が君にしつこくおせっかいな質問をしたとか、そういうことに対して君が怒っているんじゃないかと有木は思っているみたいだけど、違う?」
「……違います」
「俺の憶測は、有木が君の友達と普通に会話していることに苛ついて、そのことに気が付かない有木の鈍感さに腹を立てた、って感じかなぁ。これも違う?」
「…………違いません」

 どうして、何の関係もないこの人に分かってしまうのだろう。俺のことなんか何も知らない、この人なんかに。
 なんだか悔しくて、思わず下唇を噛んだ。藤井さんは煙草の火を消した。新しい煙草に火をつけることはしなかった。

「嫉妬したわけだ。有木と関わる友達に」
「別に、そんなんじゃないです」
「それまでは君だけが有木と関わりを持っていて、特別だって気がしていたのにねぇ」
「だから、そんなんじゃないです!」
「じゃあなんだっていうんだい?有木の分際で君の大切な友達と話すなんて嫌だと思ったのかい?」
「そうじゃないですよ!っていうか、なんで貴方にこんなこと話す必要があるんですか!」

 俺とありきのことなのに、なんでこの人がわざわざでしゃばってくるんだ。知ったような顔して口出しして、なにが面白いんだろう。俺よりも自分の方が有木のことを理解してるって自慢したいのか?なんだよ、なんなんだよ。

「じゃあ答えたくなかったら答えなくていい。君は、有木のこと好きかい?」
「……」
「仮に好意を持っていたとして、そういう相手を独占したいと思うのって、君たちの感覚では恋とかいうんじゃない?」
「……」

 何言ってるんだろう。そういうのって普通、異性に対してそう思えばの話じゃん。男同士なら友情とかそういうのだろ。俺、ゲイじゃないし。

「知ってのとおり、有木は同性愛者だ。そして有木の気持ちは、たぶん君も知っていると思うんだけどな。まぁ分からなければ直接本人に聞けば良いよ。有木はもう君に会いたくないと言っているけどね」

 会いたくない……?ありきが、俺とは、もう会わないのか?どうして?俺の態度が悪かったから、怒ってるのか?
 ただただショックだった。心臓がやたらと大きな音を立てて、冷や汗が流れる。いつも優しかったありきが、いつも笑いかけてくれたありきが、もう俺に会いたくないと言っている。嘘だろ。嘘だと思いたい。

「俺が話したかったことはこれで終わり。時間を取らせて悪かったね」

 そう言って藤井さんは玄関へ向かった。反射的にその背中を追い掛けたのは、本当に二度とありきに会えないような気がしたからだ。

「まっ、待って!待ってください!ありきに会わせてください!」
「それはできない。ああ、そうだ。有木の部屋をちゃんと見たことないだろう?中に入って見てごらん。俺はもう帰るけど、鍵はかけなくていいよ。盗まれて困るものはないから」

 藤井さんは本当にそのまま出ていってしまった。ありきの部屋?勝手に入っても良いんだろうか。いや、既に勝手に玄関開けちゃってるんだけど。

 ……藤井さんが良いって言ったから。

 いいわけっぽいけど、そういうことにして玄関から引き返した。
 一度だけ入ったことのある部屋。あのときは入口で立ち止まっていたし、薄暗かったから中の様子もよく分からなかった。そのドアをゆっくりと開ける。ごめん、ありき。
 入口のすぐ近くにあるスイッチをパチンといれた。オレンジ色の常夜灯しかつかなかったから、部屋の真ん中まで行って電灯の紐を引っ張り、明りをつける。少し遅れて輝き始めた蛍光灯に照らし出された部屋の中を見て、息を呑んだ。

「な、んだこれ……」

 壁に貼られた沢山の写真、写真、写真。
 写っているのは、俺だ。登下校の途中やベランダから撮ったと思われる写り方。ほとんどが制服を着ているときのものだけど、中には私服姿も数枚ある。

「盗撮?マジかよ……なにしてんだよ、ありき」

 ぐるっと部屋の壁を見渡して、枕元にまで写真が貼ってあることが分かった。そして、その枕元の一枚だけが他の写真と違っていた。

「これ、ドーナツ食べに行ったときのやつだ」

 ドーナツの上に二つのピースサイン。俺のスマホにも残ってる。なんでこんな写真、わざわざ大きく引き伸ばして貼ってるんだよ。他のは普通のサイズなのに、これだけ。
 そんなに、嬉しかったの?俺と写真撮ったのが。写ってるの、手だけなのに。


――好きです大好きです本当に好きなんです!!
――ごめんなさい好きです嫌いになりましたか怒りましたか本当にごめんなさいでも好きです苑くん好き。


 写真を見て思い出したのは、慌てたありきがまくしたてた言葉。


――それは、君の事が好きだからです。


 それは、鍵を忘れた俺を招き入れてくれた日の言葉。
 
 なぁ、ありき。好きって、どういう意味の好きなの。教えてよ。
 


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