ストーカーですが、なにか? | ナノ




25.喧噪の余韻

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 ああ、今日という日は、何て素晴らしい日だったんだろう!

 早朝に帰宅してから、約束の時間まで、興奮してほとんど眠れなかった。とりあえずシャワーを浴びてからずっとサイトを監視して、苑くんの午前中の行動を把握した。休日の苑くんは大体10時前には起きて、勉強したり漫画を読んだりしている(とサイトで呟いていた)。
 今日は録画していたアニメを消化していたらしい。苑くんがそのアニメの一話を見たと言っていた時、僕は直後に原作の漫画とゲームをとりあえず一揃い集めた。無論、アニメも録画済み。これがなかなか面白かったので、ついつい苑くんとレータくんのやりとりに横やりを入れてしまった。学生さんはお小遣いでやり繰りするから、一気に全部揃えるのは大変なんだろうなぁ。僕ので良ければいつでも貸すのに。

 お昼近くになって苑くんがサイトから離脱した。きっと昼食と出掛ける準備をしているんだろう。苑くんが僕と会うために今日着る服を選んだり髪の毛をセットしているなんて!彼の人生のうちのほんの数分数秒でも僕が占めていた。身に余る幸せだ。

 こんな特別な日にも、僕はいつもと変わらなかった。いつものシャツ、いつものパンツ、いつもの靴、いつもの腕時計。今日は天気が良くて暑くなったけど、傷跡が目立つ腕はできるだけ出さないように長袖。

 約束の時間の五分前に、玄関を出た。
 そしたらほとんど同じタイミングでお隣のドアも開いた。苑くんだ、と分かった瞬間、彼が笑い出して僕もつられて笑っていた。会ったと同時に笑顔が見れたなんて、素晴らしい。
 幸先の良いスタートに、僕は浮き足立っていた。並んで歩いているという事実にも、ただただ喜び以外の何も感じなかった。苑くんがお話してくれる、苑くんが耳を傾けてくれる、苑くんが僕を見てくれる、苑くんが腕まくりをする、苑くんが歩幅を合わせてくれる。こんなに苑くんを近くに感じていられる。それだけで幸せ過ぎて爆発しそうだった。

 ドーナツ屋さんは日曜の午後ということもあってか、とても混み合っていた。でも「混んでるね」なんて言いながら列に並ぶのも、苦痛にならない。僕より少しだけ低い位置に見える耳とか頭とか、見てるだけで楽しいんだもの。きっと成長期だから、あっという間に僕より背が高くなるんだろうな。苑くんに見下ろされるのも、良いなぁ。
 ショーケースに並ぶたくさんのドーナツを見て、苑くんは美味しそうだと連呼した。そしてとても迷っていた。食べたいものを全部じゃなくてちゃんと選んで我慢するなんて、とても偉くて思わず苑くんが選ばなかったドーナツを自分のトレイにのっけていた。これをあげたら喜んでくれるかな、と思って。
お会計は僕がすると決めていた。藤井さんが奢ってあげなさいって言っていたし、これは苑くんへのご褒美なのだから。もちろん苑くんは遠慮していた。奥ゆかしい……。

 空席を探してよそ見をしていたら、不意にシャツが引っ張られた。僕のことだから、どこかの誰かに引っ掛けてしまったのかと思って、少し焦って振り向いた。予想は外れ。
なんと苑くんが裾を掴んで引いていた。
 思わぬ出来事に悲鳴をあげそうになった。苑くんの手が僕(のシャツ)に触れている!僕はまるで雷に打たれたみたいな衝撃に一瞬動けなかった。かろうじて返事だけして苑くんの背中をなんとか追うが、生憎人混みを縫って歩くのは苦手なので僕は随分と遅れてしまった。先に席についた苑くんは僕を待っていてくれて、とても嬉しかった。

 さらに嬉しいことに、苑くんと初めてツーショットで写真を撮ってしまった。と言っても、写っているのは彼と僕の手だけなのだけど、いつも密かに撮っていた写真と違って僕も苑くんと同じ画面に入っているのだからこれはとてもすごいことなのだ。苑くんはそれを嬉々としてサイトにアップしていた。僕はその画像を即座に自分のスマフォに保存した。あとで大きめに引き伸ばして印刷して、枕元にでも貼っておこう。

 そうしてドーナツを食べ始めたのだが、もぐもぐしている苑くんが可愛らしすぎて僕は卒倒寸前だった。ほらほら、またほっぺにクリームを付けて。できることなら僕がそれを指で掬い取って舐めたい。なんなら直に舐めとってもいい。もちろん、そんなことするまでもなく苑くんは紙ナプキンで拭い去っていた。
 満足げにドーナツを食べる苑くんへ、僕のドーナツを半分差し出すと、彼はいらないと言った。でもこれは本来なら苑くんの口へ入るはずだったドーナツだから、食べてほしかった。半ば無理矢理に押し付けると、苑くんは僕がしたのと同じようにドーナツを半分にして「あげる」と僕のお皿にのせた。できることならこれに防腐処理を施して一生保存しておきたい。だって苑くんが触れたドーナツ、苑くんがくれたドーナツなのだ。食べるのはもったいない。

「あとさ、その敬語やめない?」

 ストレートな言葉に、僕は言い淀んだ。
 そうなのだ。苑くんが僕の仕事を知ってしまってから、どう接したら良いか分からなくなって、変わらずに今まで通りでいいと思いながらも少しだけ遠ざけてしまった。部屋に呼んだものの、僕は置物と化していたし、途中から逃げてしまったし。それに皇さんにも釘を刺されてしまったし。
 それでも苑くんはもっと距離を詰めてきて良いと言う。仲良くしたいと言う。僕も同じなら嬉しいと言う。
 だけど僕は身売りするしか能がないし、学も金もないし、なんの面白味もないつまらない奴だし、なんならドMで変態のゲイだ。こんな僕と苑くんが?

「僕みたいなのと仲良くして良いんですか?」

 この一言が苑くんを怒らせることになるとは思わなかった。うんざりしたような、呆れたような、そういう顔で苑くんはまるで僕が君を嫌がっているみたいに言うものだから、僕は慌ててそれを訂正しなくてはならなかった。
 別に怒らせたかったわけじゃなくて、ただ不安なだけ。その原因は全て僕にあるのだけど、苑くんに誤解を与え声を荒げさせてしまった。大失態だ。僕はただ苑くんが好きで好きでどうしようもないだけなのに!

「……分かった、分かったから落ち着いて」

 とりあえず座れと促されて、ようやく僕は店内の注目を集めているという事実に気がついた。ああ、苑くんに恥をかかせてしまった。冷静な苑くんの声が、僕をクールダウンさせてくれる。ごめんなさい。

「お、怒ってます?」

 恐る恐る苑くんの顔色を伺うと、どうやら表情はいつもの彼だ。しかし、内に秘めた怒りの炎がメラメラと燃えているかもしれない。もしそうなら、それを隠して平静なふりをすることができるなんて、苑くんは大人だ。僕なんかよりずっと。

「いや。怒ってな……うん怒ってる」

 やっぱり!怒ってるんだ!僕のせいで怒ってるんだ!どうしようこの罪は重い。こうなったら首でも吊るしか……!!

「だから敬語やめて。そしたら許す」

 いたずらっ子のような笑みで、苑くんはお許しの条件を僕に与えた。荷造り紐でも首吊りできるだろうかと考え始めていた僕にとって、その条件は容易いもので、僕は一も二もなく頷いた。

「はいやめま……やめる」

 してやったり顔の苑くんは、僕の答えに満足してくれたみたいだ。そんな嬉しそうな顔してくれるなら、どんなお願いも僕は受け入れるなぁ。
 ドーナツと一緒に苑くんが笑ってくれるという幸福も噛み締めた。それはとろけそうなほどに甘かった。

 そんな一悶着のあとに、今度は思わぬ出会いがあった。サイト上で『レータ』くんとして関わりのあった、苑くんの同級生が偶然居合わせたのだった。印象はサイト上と全く変わらない、明るくて元気な子。苑くんの親友だけあって、彼もとてもいい子だった。苑くんが楽しそうだったので、僕もなんとか笑って会話に参加できていたが、人見知りしていたことはばれていなかっただろうか。
 レータくんは年相応の好奇心を持ちあわせた子のようで、いろんな質問に僕は答えた。その中で苑くんのことも新しく知ることができた。ただ、途中から苑くんの様子がちょっと変わったことが気になっていたけれども。
 しかし、職業を聞かれた際に苑くんが庇ってくれたことが、僕にとってとても嬉しい出来事だった。別に、フリーターだとか適当にお茶を濁すことはいくらでもできたのだけど、そうしないで済んだのは苑くんのおかげだった。優しい優しい苑くん。君のその優しさで、僕は何度救われたことだろう。

 少しでも長く苑くんと一緒にいたくて、僕は一度アパートへ戻るという選択をした。藤井さんが「家に送っていくまでがデートだぞ」と言っていたし。デートじゃないけど。
 夕焼けで長く伸びた影が二つ並んでいる。それだけで僕は心が満たされた。僕の影が今にも踊りだしてしまうんじゃないかっていうくらい、楽しくて嬉しくて幸せだったんだ。



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