ストーカーですが、なにか? | ナノ




19.背後と眼前

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 ありきの部屋に来て一時間が経過。その間、ありきは特になにかをするわけでもなく、ソファの端っこでミネラルウォーターのペットボトル片手に、ぼんやりとしていた。
部屋の主のくせに、やけにひっそりとそこにいる。まるでインテリアの一部だ。時々聞こえる、ちゃぷんと水が動く音が、やけに大きく響く気がした。

 別に静かなのは構わないんだけどさ。集中できるから。

 数学でこんなに長々と文章を書くなんて、と思いながら証明の問題を解いていく。証明始め、証明終わり、をもう五つも繰り返した。飽きるし手首疲れるし、これを覚えるのかと思うと……。

「苑くん、そろそろ休憩しませんか?」

 うんざりしてきた所で、ありきに声を掛けられた。あーいいね、絶妙なタイミング。

「ん!そうするわ」
「エクレアあるんですけど、食べませんか?」
「た、べ、る!!」

 即答すると、ありきは嬉しそうにそそくさとキッチンへ消えて行き、手にエクレアを二つ持って戻ってきた。近所のコンビニで売ってる、見慣れたパッケージのそれは、カスタードクリームが挟まっている俺の好物だ。

「丁度いいお皿なくて……、このままでごめんなさい」
「全然気にしない!俺、これ超好きなんだよねー」

 申し訳なさそうに眉を下げるありきから、エクレアを受け取って、袋を開けた。手が汚れないように半分だけ袋から出して齧りつくと、甘さが口中に広がって幸せ気分だ。
 ありきは向かい側に座って、そんな俺をニコニコしながら眺めてる。
 
「ありき、食べないの?」
「ふふ。苑くんがあんまり美味しそうに食べるので、つい見惚れてしまいました」
「あ、そう……」

 時々、この隣人は会話が噛み合わない。

「人の見てないで、ありきも食べたら?」
「これも苑くんにあげます」
「いや、太るし。ありきも食べてよ」
「そうですか……」

 なぜか残念そうにして、ありきはカサカサと袋を開けた。俺と同じようにしてエクレアに齧りつき、もそもそと咀嚼して飲み込む。そしたら少し表情が明るくなって、そういや甘いもの好きだって呟いてたこともあったっけ、と記憶をちょっと引っ張り出してみた。

「ありきも甘いもの好きだったよな」
「好きです」

 覚えててくれたんですね、とありきはへにゃあっとした顔になる。笑うと本当にへにゃあって緩むから、なんだかこっちまで脱力する。

「あ、駅前にさ、新しいドーナツ屋さんができたんだけど知ってる?」

 ふと思い出して話題を振ると、ありきはカクカクと頷いた。美味しそうですよねぇ、なんて呑気に言っている。口の端にカスタード付けながら。

 ドーナツの話でひとしきり盛り上がって、互いの手からエクレアが消えた。ありきの口元には相変わらずカスタードが付いてる。

「ありき、付いてるよ。口元」
「苑くんも付いてますよ、チョコ」
「え、嘘」

 言われてゴシゴシと口をこすると、確かに手の甲にチョコレートの色が移った。うわ、恥ずかしい。
 ありきも指先で唇の端を拭っていた。それを舐め取る仕草とかが、やけに艶かしく見えるのは職業のせいなんだろうか。

「さて、どうしましょう、もう少しお勉強します?」
「あー、うん。できれば……。ありきは、いいの?仕事の時間、とか」
「僕は6時に家を出るので、それまでなら大丈夫です」

 仕事、という単語にピクリと肩が動き、ありきは視線を落とした。あまりこの話題は好まないんだろう。他人に良くは思われない仕事だっていうのを分かってて、隠してきたんだろうな。

「その、なんていうか……、ごめんな」
「気にしないでください!僕からお誘いしたんですから」
「そうじゃなくてさ」

 ありきはキョトンとしている。
 割と冷静になって考えてみたら、多分、俺の勝手な好奇心のせいで、傷つけたと思う。ありきが知られたくなかったことを暴いて否定した。そういう反応がある程度予測できたから、ありきは隠したんだろう。

「俺、興味本位でありきの仕事嗅ぎ回ってさ、事情とかなんも知らないで勝手なこと言って、嫌な思いさせたよなー、って。だから、悪いことしたなって」
「…………」

 真っ直ぐに見たありきの黒目が揺らぐ。動揺?泣きそう?変なこと言ってごめんだけど、謝らずにはいられなかった。これも多分俺の身勝手なんだろうな。

「苑くんは何も間違ったことは言っていないし、悪いこともしていない。だから、謝る必要なんて無いんです」

 もちゃもちゃと指先を遊ばせて、困ったような顔で下を向くありきは、きっぱりと言い切った。

「でも僕は、これ意外に生きる方法がないので……。だから苑くんがそういう風に言ってくれるの、とても救われます。嬉しい」

 なんだか大袈裟に言われた気もするけど、どうやらありきは許してくれるらしい。困った顔のまま微笑って、顔を上げた。そういえばこの隣人が怒っているところも見たことがないな。大概笑ってて、こないだはしょげた顔してたけども。
 もしかして、とか、ひょっとして、の領域を出ないけど、あの店の人達を除けばこういうありきの顔を知ってるの、俺くらいなんじゃないかな。近所付き合いも薄いし、夜行性だし。サイトの知り合いとも会ったような話聞かないし。
 それってなんか、優越感。特別感。

「……勉強、しますよね?」
「あ、うん」
「僕もあれこれするので、そのへんちょこまかしますけど気にしないでくださいね」

 テーブルの上のゴミを二つと空のグラスを掴んで立ち上がると、ありきはキッチンへ行き氷を入れ直したグラスにコーラを注いでまたテーブルに置いた。「ありがと」と言うと、「はい」と笑顔が返ってきた。

 本当にありきはちょこまかしていた。あっちに行っては洗い終わった衣類を置き、こっちに行っては風呂掃除をし、そっちに行っては冷蔵庫から新しいミネラルウォーターを取り出し、ベランダに行ったら煙草を吸っていた。
 いつも外から見る、ベランダで喫煙するありきを、こうして背中から見るのもなんだか新鮮だ。

 不思議な感慨を抱きつつ、苦手な数学の問題をちょこちょこ進める。俺の部屋だろうがありきの部屋だろうが、どこで解いたって苦手なもんは苦手だ。すぐに手が止まる。まぁ、部屋で兄貴の相手しながらやるよりは、集中できるけど……、なんて思っていたらスマフォが鞄の中で震え出した。振動の時間が長いから、着信だ。

「もしもーし」
『苑、ごはんの時間だぞ!』

 兄貴だった。今日の夕飯早いな、と思ったけど多分食べたら兄はすぐ家を出るんだろうと察しがつく。大方、苑と食べたい!とか母さんに言ったんだろう。

「分かった。すぐ帰るから」
『どこ行ってたんだよ。ちゃんと俺にも教えてから行って欲しいな』
「ああ、お隣さんちだから」

 そう言ってチラッとベランダを見ると、ありきは呆然とした顔で、俺の家のベランダを見ていた。指に挟んだ煙草が、ぽろりと落ちる。
 次の瞬間、電話口から兄の驚いた声が聞こえて、ありきの後退る姿が見えた。

『お前がなんでここにいるんだ!!』
「兄貴?どうした?」

 電話から耳を離さないまま、気になってベランダへと出ると、ありきはあわあわしていた。

「あ、あ、まさか……うわぁ……」

 うわ言のように繰り返すありきの視線の先を追ってみれば、隣の(つまり俺の家の)ベランダには兄貴がいて、こちらは逆に身を乗り出してきている。

「苑!はやく!帰ってきなさい!」
 
 電話口と目の前と、両方から声が聞こえてきて変な感じ。……なんて思ってる場合ではなさそうだ。

「なに?兄貴とありきは知り合い?」
「帰ってきたら話してあげるから、はやく出てこい!」
「皇さん、別に何もやましいことはしてませんから!だから逮捕しないでください!」
「るせー!有木の話は聞いてねぇ!」

 名前を知っているから、知り合いらしい。とにかく、この大人たちがぎゃあぎゃあ騒ぐせいでご近所さん方が何事かと窓を開けたりし出したので、早々に退散したほうが良さそうだ。

 鞄にがさっと勉強道具一式を詰め込み、ベランダのありきに「またな!今日はありがとう!」と言い置いて、玄関へ向かう。サンダルつっかけてドアからドアへと慌てて駆け込んだ。

 ただいま、と言う前に兄貴が玄関へ現れ、手を引かれて俺の部屋に連行された。なんだなんだ、血相変えてどうしたんだよ兄貴。

「もう、そんなに引っ張らなくても大丈夫だって!」

 部屋に来てようやく手を離してくれた兄貴は、俺に向き直り「ごめんごめん」といつもの調子で謝った。

「ありきと知り合いだったんだな。びっくりしたよ」
「びっくりしたのはこっちだ。なんで苑が有木と一緒にいるんだ……」

 ぐしゃぐしゃと後頭部の髪を掻き毟りながら、兄貴は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。なんでそんな焦ってんだろ。

「どこで知り合った?いつから?」
「え……、ネットで、一年位になるかなぁ。隣に住んでるとは露知らず、だけど」
「サイト?まったく、サイバー犯罪にでも巻き込まれたらどうするんだ……。知らない人にはついて行ったら駄目だぞ!」
「いや、お隣さんは知ってる人だぞ」
「ふむ。このご近所付き合いが希薄な時代に、ちゃんと交流があるなんてさすが苑だ」

 叱るのか褒めるのか、どっちかにしたらいいと思う。えらいなぁ、なんてにっこりしてるけど、本題は?

「兄貴こそ、知り合いだったんだな。知らなかった」
「ん……まぁ、知り合いだがな。それはいいんだ。そんなことよりも、だ」

 兄貴は、ガシッと俺の両肩を掴んで真顔で迫ってきた。本当に、真剣な顔。こうして見ると、兄貴は男前で、その遺伝子を俺にもちょっとくらい分けてくれても良かったんじゃないかって思う。警官という職業柄、体格も良くて、身内が言うのも何だけどモテるんじゃないかなぁ。
 なんてことを、ほんの数秒の間に頭に思い浮かべていたら。

「お前が女を好きになっても男を好きになっても、真剣に相手のことを想っているなら俺は味方してやる。だけど、有木は別だ。あいつはやめておけ」

 ……ちょっと、何を言っているのか分かりません。

 えっ、好きとか想うとか、どういうこと?

「あー、えーと、うん。……つまり?」
「有木との交際は認めません!!!」
「はぁ?」

 ちょっと待て。何がどうして交際に発展するんだ。不純同性交友か。ありきと俺がか。そうか、そういうことか。

「って、なんでだよ!ありきはただのお隣さんでサイトの知り合いだろ!知人以上の何になんの!つうか俺はゲイじゃないのでご心配なく!」

 まったく何を言い出すのかこの兄は。とんだ勘違いだ。そりゃあ兄貴は女にも男にも好かれるような人間だから、そういう思考回路になるのかもしれないけど。お生憎様、俺はまったくと言っていいほど、そういうことに縁がない。

「……本当か?」
「本当、本当。嘘だと思うなら、ありきにも聞いてみなって」
「いや、信じてるよ。苑は俺に嘘つかないからな」

 なんか、妙に信頼されてるけど、そういうの悪い気はしない。まぁ単に兄貴がブラコンなだけなんだけどな。

 それっきり会話は途切れて、母さんが呼ぶ声で二人ともリビングへ足を向けた。夕飯は兄の好物が並んでいた。

 結局俺は、兄とありきがどういう知り合いなのかを聞きそびれてしまった。




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