深夜のとあるバー。
カウンターに並んで座る男が二人。



一人は、拘りがあるのだろう。シンプルだが、衣服の上からでも分かるしなやかな肉体の全てを、最高級の品で包んでいる。とろける様な甘い色をした赤毛が、ゆるく肩口に下りるその曲線に至るまで、全てが完璧だった。

それに反し、その隣のもう一人は何の拘りもないのか、それとも機能性のみを追求したスタイルなのか。何の変哲もないシャツとスラックス姿で、ジャケットすらも羽織っていない居住まいは他愛ない勤め人といった風情を通り越して、まるで路地裏を居処とする無頼人の様だった。ただ、その髪だけが眩しい白銀をしていて、冴え冴えとした光を放っている。



一見すれば真逆の二人だったが、しかしその横顔が一様に恐ろしく整った美丈夫である事と、目が合えば吸い込まれてしまいそうな青い双眸をしている事、そして気怠げにグラスを傾けてはいるが、身に纏う何処か油断ならない気配は同じだった。それもその筈。二人は共に同じ夜の闇に属する者たち。このヨコハマの夜を取り仕切る、ポートマフィアの幹部と、暗殺者。名を、中原中也。そしてエルフィンと云った。



しかし今は両名共に仕事を終えてから、凡そ数時間が経過した所である。つまりオフだ。故に二人はこうしてゆるりと酒を呑みながら余暇を過ごしている。そして、泣く子も黙るポートマフィアと云えど、二人はまだ二十二歳の若者でもあり。燦然たる美貌と色香を持ってはいても、オフともなればその会話は極めて年相応のものであった。



事の発端は、中也が徐に放った一言である。





「……そういやぁよ」

「なんだ」

「手前、イタリア野郎なんだよな」





思い出した様に云う中也にエルフィンは返事をしなかったが、答えは明白で、「何を今更」と書いてある様な呆れ顔をしていた。また何か妙な事を言い始めたぞ、こいつ。



ついさっきまで澄ました顔をしていた癖に、明らかに面倒臭そうなエルフィンの顔も全く意に介さなくなるほど酔っているらしい。

酔った中也は面倒臭い。否、それは全ての酔っ払いに言える事で、そして酔っ払いの面倒なぞを看てやるのは御免被りたい所であったが、それでもエルフィンが一応「……それがどうした」と先を促してやるのは、相手が(それが喩え可愛げとは無縁の野郎でも)可愛い恋人であるからだ。





「イタリア人ってぇ事は……イタリア語喋れんだよな」

「当たり前だろ」

「なぁ、なんか言ってみろよ」

「……」

「おらおらどうした」





にこにこ……否、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて、エルフィンを煽る中也。確か中也は語学に関しては、日常会話程度の英語を少々操るくらいのものの筈なので、単に面白がっているだけなのは明白である。エルフィンの出身を知れば誰もが一度はこう言うが、聞いても意味が分からない異国の言葉を聞きたがる心情はエルフィンには理解し兼ねたし、向こうは愉快でも此方は微塵も面白くない。故にこの手の冗談は好かなかった。

……が、相手は先程も述べた通り、気持ちよく酔いが回って面倒臭くなった、可愛い恋人である。別に締まりのないご機嫌な笑顔が年相応に幼くて可愛かったとか、そんな事は問題ではない。黙ったままのエルフィンに、挑発しているつもりなのだろう、どうしたんだよ〜照れてんのか〜?あ〜〜〜???と絡み続けているのが可愛いとかも、全く問題ではない。大人しく応えてやるのは、彼があくまでパートナーだから、である。



……だが、やられたらやり返すのが、エルフィンだった。





「わかったわかった、いいから黙れ」

「やぁっと喋る気になったか」





得意気な顔に一矢報いるべく、────とびきり甘い言葉を舌に乗せて、紡いだ。





「……Sei più bella del mondo.(お前は世界で一番美しい)」

「……あ?」





中也の顔から笑みが剥がれ落ちて、固まる。
それに反比例する様に、エルフィンの口元はゆるりと弧を描いて。





「Sei il mio tesoro.(お前が一番大切だ)」

「おい手前」

「Ti penso sempre.(いつもお前の事を考えてる)」

「おい、コラ、おい」

「Non posso vivere senza te.(お前なしには生きられない)」

「……ッ、響きでわかるぞ!口説いてんだろ!!!」





エルフィンが言葉を発する度にみるみる赤くなって、終いにそう噛みついてきた中也に、喉の奥の方から、思わずくくっという笑いがこぼれる。

聞き慣れない、ましてや既知の言語とは異なるルーツを持ち、単語から意味を察するのは殆ど不可能だと思われる言葉を前にしても尚、この男は「響き」でそれが解ったらしい。
酔っていても、そういう機微の良さは変わらないのだ。そうでなければ幹部は務まらないだろう。けれどもそんな所が無性に好ましく、そして愛らしかった。





「口説いて悪いか?」

「あ゙ぁ゙!!?」

「俺は面倒だから言わねぇけどな。俺の母国(くに)では女は口説くのが礼儀だ。こんな言葉なら掃いて捨てるくらいある」

「俺は女じゃねぇ」

「そうだな。だが恋人を口説かない男はいねぇだろ」

「〜〜〜よくもそうぬけぬけと……!」

「なんだ、照れてんのか?」

「うるせェ!!!」





先程言われた煽り文句をそのまま返してやれば、顔を真っ赤にした中也はそう吐き捨てて勢いよく立ち上がる。





「帰る」

「おう」

「ついてくんな!」

「家同じだろ」

「帰ってくんな!!!」

「拗ねるなよ」





カウンターに幾ばくかの紙幣を置いてから、やや覚束無い足取りで出ていく中也の後を追い掛け、丁度ふらついたその肩を引き寄せて支えてやる。

触るな、このホモ!と自分を盛大に棚上げして叫ばれて、周囲の人間が何事かとエルフィンたちを振り返ったが、中也も視線も無視して、むしろ見せ付ける様にそのほつれた髪を耳に掛けてやる。そして露になった白い耳殻に、そっと吹き込む。





「さっき言った事の意味、知りたくないか」

「うるせェ……!響きで解るつったろ!」

「なんだ、興味ないのか」

「……ッ」





悔しそうに睨んでくる赤い顔に、にやりと笑って、とどめとばかりに囁いた。





「帰ったら教えてやるよ。……ベッドの上でな」

「……ッ死ね!」

「っはは!」





飛んできた鋭い蹴りを避けながら、とうとうエルフィンは声を上げて笑うのだった。








「愛してる」と百万回





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