────これは悲しい哀しい物語。愛し合う二人の、物語────










チチチ、と鳥の鳴く声が聞こえる。
空は青く澄んで陽当たりも良く、絶好の洗濯日和である今日、此処ヴァリアー本部に務めるメイドである私は、仲間達が庭でシーツを干しているのを眺めながら、花瓶に花を活けていた。

私はとあるお方のお世話を任されたメイド。
悲しい事に、先日その方は亡くなられてしまった。

なのに、私は今でもその方のお世話を任されており、今この時もその方の為に花を活けている。そして綺麗に活け終わった花瓶を手に主人の部屋へと向かうのだ。



やがてたどり着いた、美しい装飾の成された扉のついたお部屋。中からは一人分の、優しい囁き声。

息を吸い込んで、ノックを三つ。





「ナターリアです」

「入って」

「失礼します」





許しを得て中に入れば、天蓋付きの豪奢なベッドの脇に、ヴァンジェーロ様が座っていた。

嗚呼、また顔色が少し悪くなっていらっしゃる。





「……ラヴィーニア様に、お花をお持ちしました」

「うん、有り難う」





朗らかに微笑むヴァンジェーロ様。
しかし青白く色が褪せ、隈も濃くなったその顔はまさに病人のそれだ。

見ていられなくて少しだけ目を背けるが、ヴァンジェーロ様はその事には気付かずに、ベッドに横たわるお人に「姫、ナターリアがお花を持ってきてくれたよ」と優しく囁きかけた。

その優しい声音と眼差しが、酷く痛々しい。
ヴァンジェーロ様に花瓶ごと花を渡すと、彼は枕元にそれを飾り、言った。





「ほら、綺麗だね」

「……ヴァンジェーロ様…」





見て、ラヴィーニア。

そう歌うように囁いて、彼はベッドを覆う薄布を開け放つ。

そこに横たわる、私のご主人様。
柔らかなウェーブを描く絹よりも美しい金の髪。同じ色の睫が縁取る大きな瞳は閉じられて、陶器の様な白い肌はまさに上等な人形の様な滑らかさ。



……そう、それはまさにヒトの手で造られた人形。

私のご主人、ラヴィーニア様の身体……死体を元にして出来た、この世で最も美しく、そして罪深い人形なのだ。





────…ラヴィーニア様がどうしてこの様な目に遭われたのか、事情はお付きのメイドである私も、良くは知らない。

ただある日、いつものように二人仲良くお出掛けになられて、……私がその事に気がついたのは、広間の方から何やら騒ぎが聞こえてからだ。



何事かを叫ぶヴァンジェーロ様の声が聞こえて、何があったのかと駆けつけてみると、肩を落としたルッスーリア様と、涙を滲ませて取り乱したヴァンジェーロ様と……お腹を血で真っ赤に染めた私のご主人が、横たわっていた。

頭の中が真っ白になって、現実に引き戻されたのはヴァンジェーロ様の叫び声でだった。



嘘だと、何度も何度も狂った様に悲鳴を上げて、ルッスーリア様にまで斧を振りかぶったヴァンジェーロ様。止めようと足を踏み出した私を止めたのは作戦隊長様で、その後ろからエルフェ様が目にも止まらぬ早さで飛び出していって、ヴァンジェーロ様に斬りかかった。

仲の良い御兄妹が武器を向け合う所など、見たくはなかった。やめてくださいと何度も叫んだけれど、私の声など届くはずもなくて。



……結局、幹部の皆様が束になってかかっても無傷でヴァンジェーロ様を取り押さえる事は出来ないと判断したのか、エルフェ様が匣を開匣し、自ら共々ヴァンジェーロ様を眠らせる事で何とか大事には至らずに済んだ。

けれど、ラヴィーニア様の死によってもたらされた心の穴は、誰にも埋めようがない。



最愛の一人娘を亡くされたジル様は体調を崩され、伏せってしまわれた。夫であるベル様も気丈に振る舞っておられるが、疲れた顔で力なく微笑むばかり。

それでも二人は、ヴァンジェーロ様の為にラヴィーニア様を埋葬せず、この“処置”を施す事に決めたのだそうだ。





「……ヴァンジェーロ様、ラヴィーニア様のドレスのお召し替えを致しますので……」

「うん、わかった。外で待ってるね」





それじゃあラヴィーニア、また後で。

額に優しいキスを落とし、ヴァンジェーロ様が扉の向こうへと消える。私は頭を下げたまま彼を見送った後、恐れ多くもそっとラヴィーニア様のお洋服に手をかけた。







────…技術の進歩により、人類は遺体を生きている時そのままに保存する術を編み出した。

倫理的な観点から批判を受け、表向きには封印された禁断の技術。しかし裏社会ではそういうもの程歓迎され、表では生きられなくなったそれを生業とする者達も繁栄してゆく。



常温でも腐る事なく、肌や髪は水分を保ったまま。死後硬直も解かれた身体は柔らかく、服を着せ替えるのも楽なものだ。

しかしその肌だけは無機物の様な冷ややかさで、その温度が触れる度に彼女が死人であることを思い出させた。

それでも、嫌悪感や忌避感は湧かなかった。彼女は私の大切なご主人様で、今もこうしてお世話出来る事を、私は心から誇りに思う。



ただ、彼女が何故殺されねばならなかったのかと、行き場のない怒りと、僅かに軽くなった身体を抱き起こす度に感じる虚しさが胸を焦がす。



衣服を綺麗に整え、お顔にも少々手を加え直し、頬を薔薇色に、唇に紅をさしなおす。

そうすれば、ラヴィーニア様はまた生きている時そのままの美しい姿に蘇るのだ。





「ヴァンジェーロ様、」

「もう終わったの?」

「はい」





ラヴィーニア様の元へ行かれる時のヴァンジェーロ様の足取りは軽い。病人の顔を綻ばせて、恭しく彼は歩んでいく。





「わぁ、今日のドレスもとても似合ってるよ、姫。……綺麗だよ」





甘い囁き。掬い上げた髪に口付けるヴァンジェーロ様。

二人の邪魔にならぬよう、頭だけ下げて私は退室する。



廊下を歩きながら、ぼんやりと考えた。

部屋に花を飾り、ラヴィーニア様のお世話をし……それ以外に何か出来る事は、あるのだろうか。ヴァンジェーロ様はこの先ずっと、あの部屋で彼女を愛でながら暮らすつもりなのだろうか。



取り留めもない思考が、私の中の“現実”に靄をかけていく。



眠り続ける姫君と、彼女の眠りを守りながら、目覚めを待ち続ける王子……まるで御伽噺の様だ。

なんて悲しいお話なのだろう。
寝物語になんてとても出来ない。きっと子供が泣き出してしまう。





ヴァンジェーロ様の幼い頃を知る古株の大先輩によれば、ヴァンジェーロ様はラヴィーニア様に出会って、初めて心の安寧を得られたのだそうだ。



“────…それまではとても臆病な方で、御自身の事を何より嫌っていらっしゃった。ラヴィーニア様と出会ってあの方は変わられたのに……”。



そう漏らしたメイド長は、喋りすぎたとばかりに咳払いして、私に仕事を言いつけたものだ。

私は、その頃のヴァンジェーロ様を知らない。
仲睦まじく腕を組んで庭を散歩する、二人のお姿しか……。



これからどうなってしまうのだろう。

……きっと、どうにもならない。少なくともメイドに出来る事は、殆ど無いだろう。



あの時を止めた御伽の部屋で、ヴァンジェーロ様はラヴィーニア様に愛を囁きながら、永劫に幸せに暮らすのだ。

私に出来るのは……その御伽の部屋の番人をする事だけ。────…それがご主人……ラヴィーニア様の幸せなのだと信じて。





「……さぁ、明日はどのお花を飾りましょうか」









────これは悲しい哀しい物語。愛し合う二人の、報われない、永劫の物語────







フェアリィテイルは死んでしまった






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