帰ってきた俺の姿を見た同居人はぱちくりと目を見開いた後、すぐにいつもの様に…否、いつもより昂った声で、甘ったるい声を漏らした。
「うふふぅ。今日は随分おめかしして帰ってきたんですね?」
とぉっても素敵ですよぅ。と笑う彼女。
全身血みどろの、一体何処が素敵なのか。
もう自分のものなのか他人のそれなのか…恐らくはこの殆どが他人のものだが…解らない程ぐっしょりと、鉄臭いもので濡れた身体を見渡す。
…本当に酷い有様だ。
「今日は着替えてこなかったんですねぇ」
「事情があってな」
手短に返して、悪いが古新聞か何かひいてくれないか、と頼む。廊下を汚してしまう、と言うと彼女は事も無げに「有川は構いませんよぅ。汚れてる方が素敵ですぅ」なんて、今にも歌いだしそうな程に上機嫌で…むしろ恍惚としている。
「俺が嫌なんだ」頼む、とは言ったものの、口から出た声は思った以上に苛立ちも顕で、しまったと後悔する。
驚いた様な顔でじっと見つめてくる彼女に努めて優しく、「お前と住む家を、汚したくない。だから頼む」と乞う。彼女は暫く無言で考えてから、言った。
「…あのね、カウリオさん。有川は血が大好きですよぅ」
期待したものとは違う言葉に肩を落とす。伝わらなかったのかと、小さく溜息をついた。
しかし、彼女は思わぬ言葉を続けた。
「でもね、有川は血よりも、カウリオさんの方が好きですよ」
「…は?」
顔を上げると彼女は音もなくすぐ傍に来ていて、…思わず俺は後ずさった。…汚してしまう。
しかし彼女は…優雨は、そんな俺の挙動に気付きながらも、迷わず脚を進めて、俺の頬に触れる。華奢な身体が、俺の腹にぺたりと寄り添う。纏っていた白い衣服は、見る影もなく赤く染まっていく。
「綺麗でしょう」
汚れていく服を呆然と見つめる俺に、優雨は言う。
「有川は白いお洋服が好きです。血がついたとき綺麗だから」
そう笑う。
血濡れになっていても優雨の笑顔は曇らない。
しかしその笑みは普段とは違って、何処までも穏やかだった。慈愛の籠った眼差しに困惑していると、優雨はするりと離れて、言った。
「カウリオさぁん。…おいで?」
そう言って腕を広げる優雨に、今度は俺が目を瞬かせる番だった。
「ほらっ。…来ないんですかぁ?」
そう小首を傾げる彼女に観念して、小さな胸に身を預ける。
細い肩に顎を乗せれば、彼女の手が背と、頭を撫でる。血を吸った上着がぐじゅぐじゅ気持ちの悪い音を立てて、乾いて固まった髪は耳障りに鳴った。
穢れた身体への不快感、彼女を汚す罪悪感に眉を潜めていると、耳元でひそやかに、彼女が囁く。
「血は好きですよぅ。汚い人間の中で一番綺麗ですぅ。…でもね、有川は血よりカウリオさんが好き」
先程と同じ言葉を繰り返す優雨。けれど彼女は、言うのだ。
「あなたは汚れたりなんかしない」
どういう意味だ、と目を見開く。優雨はただ揺るぎなく、
「あなたは穢れない。あなたの心にはいつも正義がある。それが曇らない限り、あなたは穢れたりしない。泥も血も臓物も、あなたを汚す事は出来ないんですよぅ」
何で汚れてたって、あなたが悪に膝を折ってしまわない限り…有川にはこの世の何よりも綺麗に見えるに違いないんです。
…と、厳かにそう言った。彼女が俺の血濡れた頬と額に、口づけを落とす。それはまるで洗礼の口づけの様に思えた。
「だから有川に変な遠慮なんか、するだけ無駄ですよぅ。わかったらさっさとお風呂連れていってください」
廊下は汚す為にあるんですから、と聞いた事もない文句を誇らしげに言って俺を見上げる彼女の唇は、深紅に濡れている。それを拭ってやって「…わかったから、もうそんなもん口につけるなよ」と言って彼女を抱き上げた。
「わかってないですぅ。汚くなんかないんですってば」
そう尖った唇に俺はキスを落として。
「汚ぇよ。俺以外の奴の血なんか口につけるな」
呆然とする彼女に、そう言ってやった。
「…汚れるなら俺の血で、なんてさいていですねぇ」
「そうか?」
「…でもさいこうですぅ…」
「だろ」
…殺した癖に。
自分だけ未来へ歩んでいくなんて赦さない。
…誰のものかも解らない血液がにちゃにちゃとぼやいて、俺の脚を引き留めようとしている気がしたけれど。腕の中にいる天使がそれを切り取ってくれるから、俺は彼女のため、たゆまず進まねばならないのだ。
床に遺された亡霊の名残を嘲笑うかの様に、天使は上機嫌にハミングする。…罰ならいつか受けてやる。だからそれまで、地獄で待ってろ。
心の中でそんな啖呵をきって、俺はバスルームへと向かうのだった。
白と純血
(0206)