「選ぶのは俺だ。俺はお前を選ぶ」




そう向けられた眼差しは、今まで向けられたどんなものとも違っていた。



敵を目の前にしても尚、私だけを捉えて離さない、恐ろしい程の覇気を滲ませながらも愛おしげに眇められたその瞳に、心ノ臓まで掴み取られたかの様な苦しみを感じて刹那、息が止まる。

息が出来なくて、苦しくて堪らず胸の辺りを掻き毟りたくなる衝動をどうにか堪え、やっと大きく息を吸い込んだ瞬間…涙が溢れた。



嗚呼、天劾。そなたは馬鹿じゃ。大馬鹿者じゃ。私の様な女を選ぶなど。私の様な役立たずの行き遅れの為に、漸く積み上げてきた何もかもを捨てて、そして誹議の全てを受け止めるというのか。



そなた、ちゃんと考えておるのか。涙を押し込める為にキツく閉じた瞼を開けてみれば、涙で揺らいだ視界のすぐそこに見慣れた着物の色と、やはり愛おしげにこちらを見詰める天劾の姿があった。その視線に肺を締め付けられて、水を求める魚の様に、はくはくと忙しなく空気を吸い込む。



酸素が喉を焼く。今まで寂しさや涙と一緒に、必死に胸の奥に押し込めてきたものを、天劾はたった一言で解き放ってしまった。

もうお前なしには呼吸もままならない。
そなたがいなければ空気さえも私を攻め苛む。



どうしてくれる、と言い募りたかったが、言葉にならなくて、ただ唇を噛み締めた。苦笑した天劾が手を伸ばして、頬に触れる。咎める様に優しく唇をなぞる指の腹は硬い。硬くてザラザラした、男の手のひら。橘音の中には、柔くふっくらとした幼子の手の記憶しかない。



いつの間にお前は、子供から男に成ったのか。
いつの間に私は、こんなに弱い、女に成ってしまったのか…。



次から次へと溢れていく涙を、天劾の指が優しく拭う。その手を捕まえ、押し戻して、辛うじて言葉を紡いだ。




「その言葉、嘘偽りでないのなら」




精いっぱい虚勢を張って、キッと天劾を睨み据える。




「早くあやつを片付けて…早く妾を、抱いてたも」




男は参った、とでも言う様に苦笑して、「応」とだけ言って橘音に背を向けた。



早く、早く帰ってきて。その腕に閉じ込めて。
そう祈る様に堅く目を閉じた。



…きっと、物心ついた頃にはもう手遅れだったのだと思う。本能は既に運命を感じとっていた。ずっとずっと、この男だけを想って、待ち続けていたのだ。



…橘音の二十余年にも渡る片想いに終止符が打たれたのは、これから実に数分後の事。長きに渡り焦がれ続けた腕に抱かれて、甘い空気で漸く肺を満たしたその顔は、涙に濡れながらも晴れやかに微笑っていたそうな。






はつ恋の終わる時




(2016/0106)

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