君はいつも無防備で、僕に安心しきった笑みを向けるんだ。
どんかん
今日はどんな本を読もうかな。
ウキウキしながらルウは書庫への階段を踏みしめる。
扉を開けると独特の古くさい本の匂い。ルウはこの落ち着いた匂いも好きだった。
これから新しい知識を得るだろうという期待からくる興奮を落ち着かせるべく、めいっぱい息を吸い込み、体中を本の匂いでいっぱいにする。
「さてと、今日はここからかな」
そう言ってルウは、まだ読んでいない本が並ぶ棚に手をかけた。
(残る場所はあと一つ)
彼女の部屋、自分の部屋、リビングに台所にテラス。
それらのどこにもルウはいなかった。
となると残るは彼女のお気に入りの場所である書庫のみ。間違いなくそこにいる。
ルウほど行動パターンがわかりやすい娘もそうそういないのではないか。
そう思いながらイオスは書庫の扉に手をかけた。
「ルウ?いる?」
やはり静かなイメージが強い書庫なので、声を潜めて呼び掛ける。
「………イオス?」
すぐに返答があってイオスは驚いた。
ルウのことだから、また本に意識を集中させていて、自分の声など届いていないと思っていたのに。
「どこ?」と問うと、奥の方で手がヒラヒラと振られているのが見えた。
「何を読んでるんだ?」
床に座り込んで読書に熱中しているルウの上から、彼女の手にある分厚い本を覗き込んだ。
「これ?これはリィンバウムの伝承をまとめたものよ」
「へぇ………」
こちらをちらりとも見ないルウにイオスは多少むっとしたが、いつものこと、と思って隣に座った。
「おもしろい?」
「うん!とっても!」
ほら、そうやって簡単に隙を見せる。
イオスは思った。
ルウは、隣にいる僕が男だとわかっているのだろうか。
今僕が君を襲ったとしたら、どうするつもりなんだろう。
屋敷はみんな出払っていて、書庫には二人きり。声をあげても誰かが来る可能性はきわめて低い。
こんな無防備な彼女相手に召喚術を唱えさせるヒマを与えるほど、イオスは甘くない。
その上、体力云々では明らかにこちらが有利だ。
一緒にいて安心できる存在と思われているのはもちろん嬉しいが、もう少し警戒したっていいと思う。
そういうことを、ルウは本当にわかっているのか……?
「……わかってない」
「え?」
心の中で言ったつもりだったが声に出てしまっていたことに気づき、イオスはハッと口をおさえた。
「どうしたの?」
(そんな純粋な瞳を向けられると……)
壊したくなる……。
自分はどこかおかしいのかもしれない、と思った。
それが生まれつき持っていたものなのか、戦の中に身を置くうちに備わったものなのかはわからないけれど。
どこから沸いて出るのか、破壊願望。
それを止めるのは彼女にしかできないのに、当の本人は煽るばかり。
もう限界は越した。
「ルウ………」
イオスはルウの頬を撫でる。
ルウは驚き、しかしすぐにくすぐったそうに笑った。幸せそうに。
(これから僕に何をされるかわかってない証拠だ)
その真直ぐな眼に恐怖という闇を注いでやりたい。
ルウの頬を撫でていた手にわずかな力を込め、自分と彼女の顔の距離をゆっくりと縮めていく。
ルウは不思議そうな顔をして、互いの唇が触れるか触れないかのところで瞳が揺らいだ。
それをイオスは見逃さない。
「……僕が、恐い?」
確認に近い問い。
ここで彼女が頷けば、イオスは自制することができ、ルウとの関係に少しの気まずさを残すだけだった。
しかし。
「なんで?」
ルウの答えは疑問だった。
何でルウがイオスを恐がるの。
予想に反する答えにイオスは戸惑った。
「だって……ルウはこれから何されるかわかってる?」
イオスの問い掛けにルウは頬を赤く染め。
「………キス、じゃないの?」
と言った。
それは単に恋への憧れからくる表情では決してなかった。
目の前にいる少女は正しく恋する乙女そのもので、自分はとんでもない勘違いをしていたのだとイオスは悟った。
「ルウは、嬉しいよ?」
だってイオスだもの。
彼女の無防備さは、ただの鈍感からくるものではなかった。
ただの友情からくる信用ではなかったのだ。
自分を男として意識し、少なからず想ってくれている上での無防備さであり、信用であったのだ。
そうとわかれば、もう遠慮することはない。
微笑むルウの柔らかそうな唇に吸い付き、やっと手に入れた彼女をイオスは存分に味わった。
―――――
イオス君だって男の子ですから。
2007/05/25
2008/03/01 加筆修正