夏編最終章



あれから跡部景吾は私に必要以上に触れるようになった。暇があれば私の側に来て手やら足やら髪やらに触り、匂いを嗅いだり何かを囁いて来たり。いい加減セクハラで訴えてやろうかと思っている所だ。


「ちょっと、暑いんだけど」

「おう」

「聞いてんの」

「お前シャンプー替えただろ」

「替えたけど」

「お前に似合うな。前のも好きだがこれも良い」



セクハラ行為に比例してこいつとはコミュニケーションも取りにくくなったように思う。元々人の話を聞くタイプではなかったけど。小さく溜息を吐くと、やっと目線を合わせてきた跡部景吾。相変わらずの綺麗なお顔で。


「あんたモデルでもやれば?相当稼げると思うよ」

「お前が望むなら」

「……………仲良うしてるとこホンマ申し訳ないと思うんやけどな、あんな、お二人さんもう朝礼始まるで。あとええ加減それは俺達の見えないとこでやり」

「何だ忍足邪魔すんじゃねえ」

「ありがと忍足君。ほら行くよ跡部景吾」

「………ほなはよ戻りや」


忍足君はひらひらと手を振って部室から出ていった。すでに外は静かだったのでもう私たちしかいないのだろう。鞄を持っていまだ拗ねている跡部景吾に声を掛けると、彼も同じように大きなテニスバックを持ち上げて近づいてきた。


「お前はいつになったら俺様の名をちゃんと呼ぶんだ。ずっと跡部景吾のままじゃねえだろうな」

「そうだね…じゃあ苗字が同じになったら名前で呼んであげるよ。」


「冗談だけど」と付け加えて部屋から出ようとしたらドアノブごと手を握られた。おいおいまたスイッチ入ったんじゃないよね。いつになく真剣な顔で私と目線を合わせてきた彼のこの表情はたまらなく好きなものではあるけど、こういう時はロクな事を言わないという事もすでにわかっている。



「なら今すぐ籍を入れに…」

「行く前に教室」

「教室行ってからならいいのか?おい夏美」



跡部景吾は容姿端麗頭脳明晰日本屈指の跡部財閥跡取り息子。完璧という言葉がこれ程よく似合う男なのに。こうしてただの取り柄もないような庶民女子を追っかけてはくっついて愛の言葉を囁く。


何故ここまで私に惚れているのか聞いても見当違いな事を言われるのがオチなので敢えて聞かないが、彼の愛情はじーんと私の心に伝わってくる。いつの間にやら私はこの男の事が好きになってしまったみたいだ。不覚にも、本当に不覚にも。



「いつか言うからそれまで待っててよ」


聞こえないように言ってやった。
半そででは少し肌寒くなってきた頃。もうすぐ秋だ。


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