「……不二先輩」
後ろ姿に声をかけると、振り向いた彼は、私を見て少し驚いたような顔をして、それから口を開いた。
周助と一緒にいたテニス部の人たちも少し、驚いているのがわかった。
「なんだ美月か。美月の声で呼ばれたのに、誰かと思った」
変な日本語だ、と思ったけれど、言いたいことは何となく伝わってきたので、私はそっぽを向いて見せた。
どうせ、気色悪い呼び方をするな、とでも言いたいのだ。
「これ、さっき竜崎先生から、先輩に渡すよう頼まれました」
「ああ、ありがとう」
「それじゃ」
用事が済んだので、そのまま自分の教室に帰ろうと、周助に背を向けた。瞬間、腕をつかまれる。
竜崎先生を少しだけ、ほんの少しだけ恨んだ。どうしてよりにもよって私に用事を頼むんだろう。
「美月」
無遠慮に注がれる視線に嫌悪を覚えながら振り返った。周助の後ろに、少し戸惑っているらしい菊丸先輩が見える。
「ちょっと来て」

私が彼、不二周助と幼馴染だというのは、この青学ではもう有名な話だ。
去年私がここに入学して早々、私を見つけた周助が私を名前で呼び、私も名前で呼び返したことが、彼のファンに知れて、次の日学校へ行くと質問攻めにあった。
不二君とどんな関係なの、と三年生の先輩にも聞かれた。私は驚いた。青学で、周助がそんな人気者になっていたとは、知らなかったのだ。小学生の頃もモテてはいたけれど、これほどだったとは。
幼馴染だから許されていた部分も沢山あったのだけれど、つい昨日、ちょっとした事件があった。
「ちょ、やめてください」
「……さっきからなに、その敬語」
周助が不快そうに顔を歪めた。
学年こそ違えど私と彼は同い年なのだ。お互いの親には、小さな頃からほとんど同級生のように扱われ、育てられた。
抵抗しても力で敵うはずもなく、私は人の少ない階段まで周助に連れてこられた。少ない、とは言っても人が全くいないわけではない。
「すっごく気持ち悪いんだけど」
やっぱり、と思って、やっぱりそっぽを向いた。私だって、気持ち悪い。
「どうでもいいじゃないですか。授業遅れるから離してください」
まだ無遠慮に視線を向けられているので、敬語をやめるわけにはいかない。もう気持ち悪くてどうにかなりそうだ。
どうしてこう、女の子っていうものは面倒なのだろう。
「どうしたの」
「どうもしな……、しません」
周助は少しだけ笑った。
「誰かに何か言われた?」
ずばりその通りだったけれど、はいそうですとは、言いたくなくて首を横に振る。言葉が出てこなかったので、かろうじて、首を振った。
「まあ、耳には入ってるんだけどね」
げ、と思って周助を見ると困ったような笑顔だった。誰に聞いたんだろう。
「大丈夫だよ、別に」
今にも、ごめんね、と言われてしまいそうな気がしたので、敬語をやめて小さな声で言い、笑顔を見せた。
周助が悪いわけじゃない。ただ、彼女たちは私のポジションがうらやましいだけで、ちょっとやり方を間違えただけだ。
「手は出されてない?」
「うん」
ほんとは頬を引っ叩かれたけれど、腫れるほどじゃなかった。頷いたのに、周助はそっと左頬に触れてきた。
「ちょ、流石にそれはやめてよ」
まさかばれたか、という焦りと、周りに人がいることの焦りで、私は彼の手をやんわり押しのけた。
周助だけなら、まだこんなに視線は集まらないのかもしれない(全くないわけじゃ絶対ないけれど)。けれど隣に女の子がいるとなったらこうだ。さっきからもうずっと、とびきりきついのが背中に突き刺さっている。
「……昼休みさ、」
先輩や周助のファンの女の子が怖いわけじゃないけれど、毎日はなるべく平和なほうがいい。
「体育館の裏でご飯食べよう」
私は素直に頷くことが出来なくて、曖昧に笑って見せた。
「約束だからね」
ぽん、と私の頭を叩いて周助は戻っていった。


授業に出たくなくて、そのまま階段を駆け上がった。自分の学年の階も過ぎて、屋上へ。
上がった息を落ち着けてノブをひねる。風はないものの、空気が冷たい。
「さむい……」
この生活もきっと来年の春になれば望み通りに平和になるんだろう。そして私も青学の高等部に入学したら、元通りになる。けれど周助の傍からは離れたくない。
頬を引っ叩かれても、生意気だと言われても。大体生意気っていうのは、周助の話によく出てくる、テニス部のルーキーみたいな子のことを言うのだと思う。

寒さに耐えられなくなって、校舎の中に入る。階段に腰を下ろした。
すると、階段を上がってくる足音が聞こえた。まさか先生かな、と思ったけれど、もう授業が始まるのに先生が屋上に来るわけもない。きっと同じように授業をサボろうとしている人だろう。
目を瞑って近づいてくる足音に耳を傾けた。一定のリズムで軽やかに近づいてくる。
「……美月?」
少し下から(きっと踊場だ)、私を呼ぶ声が聞こえた。同時に足音も止まる。
はっと瞼を持ち上げると、そこには教室に戻ったはずの周助がいた。

ちょうどチャイムが鳴って、私と周助は無言で見つめあった。
チャイムが鳴り終わると、彼がゆっくり階段を上がってきて、隣に腰を下ろした。

周助が何も言わないので、私は何だが居心地が悪くなって、その横顔をそっと見上げた。ほんの少しだけ表情を伺うことが出来たけれど、こてん、と彼が肩に頭を預けてきたので、それもすぐに見えなくなってしまった。心臓が一気に跳ね上がる。
「しゅ、周助?」
「やっと名前で呼んでくれた」
「……ごめん」
周助が私の手を握る。何とか、私も握り返す。
こんな変な雰囲気の周助と接するのは初めてで、もう、どうしたらいいのかさっぱりわからなくなってしまった。

「美月」
「なに?」
「ごめん」
「なんで周助が謝るの?」
「……だって」
そう言うと、周助は顔を上げて、さっきと同じように私の左頬に触れた。
また、どき、と大きく心臓が跳ねる。
「痛かっただろ?」
「全部知ってたんだ」
諦めて笑うと、周助も苦笑いをして手を離した。
「周助が悪いわけじゃないよ。周助が謝るのは変」
「そうかな」
「そうだよ」
それきり、少しだけ沈黙が続いて、周助が静かに口を開いた。
「美月は僕と幼馴染じゃないほうがよかった?」
私は弾かれるように周助を見た。周助もこちらを見て、とても近い距離で目が合う。
私ははっきりと首を横に振った。
「幼馴染でよかったよ。周助が責任感じることは……」
ない、と続けたかったのに、残りの言葉は周助の唇に吸い込まれてしまった。瞬きさえ忘れて、周助のキスを受け取っていた。

唇が離れたかと思うと、周助が私の肩に顔を埋める。
「守れなくてごめん、本当に」
慌てて首を横に振った。
「だからべつに、」
「ねえ美月」
「な、なに?」
「もう恋人になろうよ。そうしたらもう誰にも文句は言われないし、僕が言わせない」
何だか私の望む平和は、この先ずっと訪れないような気がした。それでもいいや、と思って、潔く頷いた。だって周助が大好きだ。
周助が顔を上げて、もう一度キスをした。

授業の終わりを告げるチャイムを聞いてから、私たちは手を繋いで階段を下りた。
手を繋いでいるのを見て、多くの先輩やクラスメイト、後輩が驚いた表情をして、次々に噂は学校中に広がっていった。
そんな様子を唖然と見ている私に周助は苦笑いを零す。

周助は言葉の通りに、どんな手を使ったのか、一週間ほどで周りを落ち着かせ、私は平和な学校生活を送ることになる。






no title(不二周助)
/
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -