その男子生徒の名は、ホグワーツ中の全ての生徒が知っていた。アルファード・ブラック。スリザリン寮の今年度からの監督生で、何より目を引く美貌(男性には一般的に用いるにはおかしな表現かもしれないが、それが彼の美しさを表すに最も適切なのだ)と、己の血の美しさを自慢するスリザリン生の誰もが認める純血。加えて、学年末試験で一位か二位をとり続けていれば、マグル生まれの生徒でもよくよく知る人物となる。
 ウィーズリーの双子から見たアルファード・ブラックは、彼の人生に面白さ、楽しさというものが存在しているのか全くわからない人間である。堅物、つまらない人とも言う。
 大広間で二人がゾンコのおもちゃでひとしきり生徒達を笑わせ、その後マクゴナガルからひとしきり説教を食らった時でも、それを見ていたのにもかかわらずアルファードだけは表情をぴくりとも動かすことはなかった。彼の表情筋は削げ落ちてしまったのかもしれない。
 しかし、フレッドとジョージの二人はスリザリンの純血はいやな奴らばかりだと、アルファードとは関わりたいとは全く思っていない。監督生のくせにこちらには何ひとつ注意をしてこないのをこれ幸いと、その存在を無視さえしていた。




「……なんだよ、これ、」

 その日、人気のほぼない廊下で不運にも頭上からたくさんの水をかぶってしまったアルファード・ブラックの濡れて透けたシャツから、無数の傷跡が見えた時までは。
 本当ならフィルチを標的とするためにあらかじめ罠を張っておくつもりだったのだが、偶然通りかかっただけのアルファードにかかってしまったのは彼にとって本当に残念な事故だ。さすがの彼も怒ることだろうと思って謝りの言葉でもかけようかとフレッドが彼に近づいて、そうして彼の背にそれを見つけた。今日がこのイギリスにしては珍しい茹だるような暑さで、みなローブなど着る生徒はおらず、シャツ一枚だけの状態だったからこそ、これに気づいてしまった。
 まるで鞭で打たれたかのようなそれはもうずいぶんと古いだろう傷跡で、シャツ越しにもそれがよくよくわかる。それも、アルファードが魔法で身を乾かしてすぐに見えなくなったが。

「おい、ブラック、その傷……」
「お前には関係のないことだ」

 思わず困惑の滲んだ声をかけてしまったが、返ってきたのはひやりとした拒絶の言葉が一つ。差し出した手をひどく振り払われたようで、少しだけむっとするが、そんなフレッドを置いてアルファードはさっさとその場から去ってしまった。

「関係ないって、言われてもなあ……」

 彼から拒絶されたところで、フレッドはもうその傷の存在を知ってしまった。知ってしまったからには、湧き上がる疑問を見て見ぬふりなどできない。



 アルファード・ブラックはかの殺人鬼、シリウス・ブラックの一人息子だ。
 母親が誰なのかは誰も知らない。相手が純血なのかマグル生まれなのかもわからない。ただ、長男として生まれたシリウスはアズカバンに収監されており(今年度の頭にアズカバンを脱獄しているが)、その弟であるレギュラス・ブラックはとうに死んでいる。レギュラスが亡くなった同じ年にブラック当主であったオリオンも息をひきとった。今や肖像画となっているらしいヴァルブルガ・ブラックも数年前に亡い。
 たった一人残されたアルファード・ブラックはその血統こそ誰も証明ができないが、生前のヴァルブルガ・ブラック、そしてマルフォイ家らの純血の貴族達は、アルファードを正当なブラック家の者であり、すなわち全くの純血であると認めているのだという。長い歴史のあるブラック家をそうやすやすと取り潰しにするわけもいかないのだろう。

 家族のいないアルファード・ブラックはかつては祖母のヴァルブルガと暮らしていたようだが、現在は夏季休暇中などの長期休暇のみマルフォイ家に身を預けられており、たまに本邸へ帰りブラック家当主としての執務をしているのだという。同い年であるフレッドとジョージはこんなにも遊びまわる毎日を過ごしているのと比べて、大層楽しみも何もない人生であることだろう。


 と、ここまでが、フレッド・ウィーズリーがアルファード・ブラックについて知っていることだ。

 フレッドはグリフィンドールの談話室を通り過ぎ、男子寮に帰ってからも考えた。
 アルファードに鞭をふるった人物は、祖母のヴァルブルガ・ブラックか、マルフォイ家の者である可能性がかなり高い。弟に飽きもせず絡んでくる一人息子のおぼっちゃまが主犯である可能性は低いだろう。となると、あの鼻持ちならないルシウスか、その隣でつんとしたおすまし顔のナルシッサか。いずれにせよ、いやなやつであることには変わりない。

「なあ兄弟。アルファード・ブラックのあの傷についてどう思う?」
「ひどい折檻の痕だ。俺達なら三日も経たずに家出してるな」

 ちらりと魂の片割れの顔を見ると、彼も同じことを考えているようだった。



 こんなにも他人の、それもブラック家の者のせいでこんなにも心を乱されているのが信じられなかった。あいつのあんなにひどい傷さえ見ていなかったら、今頃は彼のことなど気にも留めず、楽しい気分でいっぱいだっただろうに。
 あのタイミングであいつと出会わなければよかったのに、とさえ思うほど、心をかき乱されていた。表情の読めない彼の顔が頭から消えない。




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