一度玄関ホールに戻り、階段を上がった先の廊下の左右には扉があり、レギュラスはどちらを開こうか少しだけ迷い、結果としてしかしなんとなく左側の扉のノブに手を伸ばして開けようとした。しかしそこには、鍵がかかっているようだ。光源となっている杖の先をノブに向けて、解錠呪文を唱える。しかし重要なものが中に眠っているらしく、解錠呪文は役に立たない。仕方がないのでこの扉を破壊することにした。とはいえ、無理やり吹き飛ばしてしまえば中にある貴重な品々も壊れてしまうだろう。レギュラスは破壊呪文ではなく崩壊させるための呪文を唱えながら杖を払うように動かすと、まるで砂のようにさらさらと扉は崩れていった。重厚な扉も、塵にしてしまえば脆いものだ。レギュラスはそのまま部屋の中へと足を踏み入れた。
 扉の向こう側は想定どおり埃だらけだったが、応接間と同じく他の場所よりはましだった。けれども無数の本が無理やり詰め込まれたり横積みにされている雑然としている。部屋の中心にある机にも本が積み上げられていて、この書斎に入り浸っていた者は部屋をきれいに保つこともできなかったらしい。
 レギュラスは机の上に積み上がる一番上の本を手にとり、ぱらぱらとめくった。意外にも、その本は闇の魔術に関する本ではなかった。魔法使いの体内をめぐる魔力の流れについて書かれた、マグルで言うところの医学書に近い。また近くに放置されている羊皮紙を広げて読むと、そこには呪文詠唱と無詠唱でどれほど魔法発現にかかる時間や効力に差が生じるかなどが書かれている。古びたその羊皮紙の状態から、おそらくこれはアステル家の先祖が書き上げたものだろう。
 アステル家が闇の魔術の研究の先頭に立っていたと誰もが言うが、それにしては違法な魔術に関しての物品が少ない。そもそもこの家にそれらのものが存在しない、なんて馬鹿なことはないはずで、きっとどこかに隠されているとレギュラスは見込んでいる。

 ふとレギュラスはデスクから目を離して本棚を見つめた。なんとはなしに視線を向けて、理由のわからない違和感に眉を寄せた。その正体を確かめるべく、並んだ背表紙を確認していく。本も羊皮紙も無造作につめこまれたり、立てることもせずに横づみに積まれているものが多い。中には倒れてしまいそうなほど雑多な状態のものまである。しかし、たったひとつだけ整然と並べられた本棚があったのだ。しかもそれはほぼすべての本が同じような本ばかりで、よくよく注視して見ると同じ本が二冊並んでいるものすらある。そのおかしさに気づいたレギュラスはその棚をまじまじと見て、魔力探知の呪文を唱えるとその棚の右端の本になにやら仕掛けがあることがわかった。その本の背表紙に杖を当ててそっと魔力を流すと、重い音を立てて本棚が横にずれる。するとそこに隠し部屋が現れた。
 純血の魔法使いの屋敷には、一族の秘密や当主にとって見られたくないものを保管するための部屋がある。ブラック家も含めた多くの場合、その場所は厳重に隠されていて容易に見つけることができないようになっているのだが、やはりこの屋敷にも同じように隠された部屋が存在したのだ。そしておそらくは、レギュラスがここにきた目的の答えもあるはずだ。
 中に入ってみると、そこは小さな部屋になっていた。中央にはひとり分の大きさの机があり、その上に置かれているのはなにやらたくさん書き込まれた羊皮紙と古びた本が数冊、乾ききった羽根ペンとインクもある。ひととおり部屋を見回した後で、レギュラスはデスクの上に無造作に置かれた本を手にとる。数ページめくってみると、レギュラスの予想が当たっていることがわかった。これは闇の魔術に関する書物だ。書斎に魔法省が立ち入っても闇の魔術に関わるものを所持していると気づかれないよう、この部屋の中に保管しているのだろう。そう考えながら羊皮紙の数枚を手にとった。
 その羊皮紙にはとある魔術の研究理論がほぼ殴り書きで記されていた。発表には理論、実験過程、そして結果と再現性が求められるのだが、この羊皮紙には理論のみが書かれていて、文章としてのまとまりもない。書かれていたのは、高密度の魔力を物に付与する方法についての理論だ。どうやらアステル家はこの研究に没頭していたらしい。レギュラスはその羊皮紙の最後のページまでざっと目を通してから、思わず眉を寄せる。
 それは、高密度の魔力を任意の物質に付与するという論文だった。それは付与する側の対象が人であっても物であっても可能であり、魔力さえあればあらゆるものに高密度の魔力を付与することができるというものだ。しかし彼らが生前成し遂げたかっただろうその結果は記されていない。
 これが我が君の所望していたものであると確信した。きっと彼らはこれを完成させるためにすべてを費やしてきたに違いない。しかしその努力も虚しく、結局完成させることはできなかったのだろう。もしくは、完成させた代償に一家もろとも命を落としたのかもしれない。いずれにせよ、レギュラスはさらにこの屋敷を探索して完成品を探す必要がある。書斎の窓をちらりと見ても、光の反射の中にライラは見えない。

 ここまできたレギュラスはなんとなく察していた。アステル家の者は全て、先ほどの闇の魔術によって全滅してしまったのだ。
ライラもその両親も、魔法で動く肖像画も、この屋敷や島自体にかかった魔法も。全てが魔力付与の生贄となってしまったのだろう。それならば、確実にこの屋敷の全ての魔法を吸い尽くした成れの果て、闇の魔術の産物は確実に存在するはずなのだ。
 ゴーストもどきとなってしまったライラは、きっとそれを見つけてほしいのだ。きっと、そうに決まっている。







 アステル家は純血の家の中でも闇の魔術に精通している。ほぼ唯一と言って良い研究者で、杖の振り方や呪文の唱え方で威力は微々たるものではあるが変わるのだと提唱している。それを彼の方がお気に召したようで、それ以来アステル家はさらに一目置かれるようになっていた。そのアステル家の当主が新しい闇の魔術を考案したらしい。それも、当主は自慢げな様子であったとのことだ。

「レギュラス。お前の同級生にアステル家の娘がいたな。それもあまり出来はよくなさそうな娘が」
「はい、おりますが……」

 ホグワーツへ向かう前日、父に呼び出されて告げられたのはそんな命令だった。父はアステル家が気に入らないわけではないのだが、かの家の新しい魔術が気になるようだ。少なくとも、五年生になるレギュラスがほぼ確実に監督生になるだろうということよりも重要らしい。

「その娘から情報を引き出しなさい。そう労力も必要ないだろう」
「……はい」

 きっと父はレギュラスがライラと顔見知りであることは知らない。だからこそ、レギュラスの中にほんの少し生まれた葛藤に気づくこともなかった。

 ホグワーツ特急に乗っている間、途中から空模様が怪しくなってきていたが、コンパートメントの窓から覗く黒い雲はその範囲を広げていき、ホグズミードに着いた頃には雨が激しくなっていた。さらに時間が経過すると天気は悪化する一方で、その夜にレギュラスが天文台でライラを見つけた時には土砂降りになっていた。なにも見えないだろうに彼女は天文台のふちに座り、脚をゆらめかせながら外を眺めている。

「……ライラ」

 声をかけると彼女はゆっくりとこちらを見る。その表情は柔和なのにどこかぼんやりとしているように見える。風に乗って届く雨粒も気にせず、髪を耳にかけながらライラはレギュラスを見つめると微笑んだ。

「レギュラス、いい休暇を過ごせた?」

 雨の音だけが響く中で、彼女は言う。レギュラスはそれに曖昧に濁した。
 レギュラスにとって四回目の夏期休暇の間、シリウスはついに家に帰ってこなかった。父はずっといらいらしていて、母は親戚一同から糾弾されたのもあって半狂乱であった。レギュラスはというと両親の言い争うような会話には加わらず、ただ黙々と勉強をしていた。両親の、シリウスに対する怒りの標的と自分をすり替えられたくはなかったからだ。もちろん兄に対する失望はあったが、それ以上に両親の落胆が大きかったのだ。
 そんなことをライラに告げる必要もないだろうと、話題を変えるように口を開く。

「それよりも、ひどく濡れているじゃないか。ほら、中に戻ろう」

 雨風は強くなっていく一方で、ライラは天文台の端から動こうとしない。ローブも髪の先もずぶぬれになっているにもかかわらず、彼女はそこに座ったままだ。レギュラスが手を差し出すと、ライラは少しだけ迷ってからその手を握り返した。
 彼女の身体は冷えきっていた。体温が低めのレギュラスでも寒気がするほどだ。ライラの手を引いて立ち上がらせる。雨粒はライラの顔をも濡らしていて、いつもよりも彼女の顔色も悪い気がする。

「いつからあそこにいたんだい」
「夕食の途中で抜けてからよ。なんとなく、外を見ていたかったの」
「もう夏も終わったんだから、夜は特に冷える。風邪を引くだろう」
「大丈夫。……少し、両親と仲違いをしてしまっただけよ」

 ライラの手を引いて天文台を降りていく。彼女の手はやはり冷たくて、レギュラスの手にすっぽりと収まってしまうほど小さかった。はっとして振り返ると少し後ろで同じように階段を降りているライラと同じ目線で、階段一段分の身長差があるということで、それは今の二人の距離であると気がついた。
 ……一年生の頃の身長なんてほぼ変わらなかったはずなのに、いったいいつから自分はライラをこんなに見下ろすようになったのだろう。この小さな同級生は、しかしあっという間に大人になってレギュラスの前から消えてしまいそうだ。まだまだ大人にはなりきれないレギュラスを置いてきぼりにして。
 レギュラス自身の方が身長が高いはずなのに、どうしてかそんなふうに思ってしまって、離さないようにきゅっとライラの華奢な手を握っていた。


「……そういえば、君の父君が新しい魔術を発明されたとか聞いたけど、君はなにか知っているかい」

 天文台を出た時に、ふと父の言葉が脳裏によぎった。新しい闇の魔術とやらをライラが知っているかはわからず、思い切って尋ねてみた。闇の魔術に携わるアステルにいるのだから、いやな顔はされないだろうと踏んでのことだった。
 ライラはぴたりと足を止めて、柔らかい笑みを固めた。けれどもそれは一瞬のことで、すぐに表情は緩んだからきっとレギュラス自身の見間違いなのだろう。

「ごめんなさい、わからないわ。お父様もお母様も、大事な魔術だからって教えてくれないの」
「いや、いいんだ。うわさで聞いたから、なんとなく聞いてみただけだ」

 その答えは予想していたから、残念そうな様子は見せずに首を振った。

「期待に添えなくて申し訳ないわ。……まだ理論の段階だから、実践までにはもう少しかかるかもしれないってお父様が話していたのは聞いているわ」
「そうか、ありがとう」

 なにひとつ収穫は得られないだろうと思っていたけれど、彼女の口からそれらしい言葉を聞くことができたのは幸運だった。あとで父へふくろう便を送ることにしようと決める。
 それと同時に、新しい闇の魔術についてライラが知らなかったことに少しほっとした。もしもそれを知っていたなら、今後も打算的な付き合いをしなければならなくなっただろうから。
 そんなことを考えながらライラと手を繋いだまま、レイブンクローの談話室までもう少し距離が離れていればいいのにとぼんやり思った。ライラの手は先ほどよりも冷たくなくなっていて、もう少しこうしていればあたたかさを取り戻せるような気がしたのだ。


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