しばらく暖炉の火を見ていた後に談話室を通り抜けると、その奥には一家そろって食事をしていたのだろう長いテーブルと均等に並べられた椅子が複数の椅子があった。あまりいい趣味だとは言えないテーブルや壁のごてごてとした装飾に眉をひそめた。そうして、テーブルの上に視線をやる。

「……ふたつ」

 テーブルの上には皿があった。そう、ふたつしかなかったのだ。この一家は三人家族だったのに。
 皿のない空席をつい手で撫でる。埃をかぶってはいるが、ローズウッドの良い椅子であることは一目瞭然だ。もしかするとここにライラがかつて座っていたのかもしれない。
 そういえば、とレギュラスは己の空腹感を思い出した。壁際の棚に鎮座している時計を見れば、最後に食事をしてから九時間くらい経過していることがわかる。集中力を維持するためにも、レギュラスは食事をとることにした。チーズ風味のポテトのクリスプ、この屋敷の近くにあるマグルの駅で購入した手作りのものだ。両親はこんなジャンクなものは食べ物ではないと一蹴するだろうが、正直なところレギュラスは嫌いではない。マグルのものの中でこれだけは認めてやってもいいと思うくらいには気に入っている。
 なんとなくそのテーブルの席に座るのはためらってしまって、レギュラスは壁に寄りかかりながらチップスをひとつ口に放り込み、冷めたそれがあまりおいしくないことに気づいた。魔法界の持ち帰りの食べ物はそもそも保温魔法が施されているから、わざわざ魔法をかけるという発想に至らなかったのだ。仕方がないと杖をひとふりして、そうしてつまんだふたくちめはレギュラスの満足のいく味だった。これならばいいかとそのまま腹に収めていく。その間も頭の中ではライラのことばかりを考えている。

「……ライラ、君になにがあったんだ」

 あの、複雑な表情を浮かべたライラ。学生時代にはあんな顔を見たことはなかった。もしかするとレギュラスがそれ以外の顔を見ていなかっただけかもしれないけれど、レギュラスが見た彼女はいつも穏やかであった。たとえ、心ない人から嫌がらせ紛いの行為をされたとしても。
 初めて見る彼女の表情、いったい何を考えていたのだろう。いったい彼女の身に何があったのだろう。いったい、彼女はどこに行ってしまったのだろうか。

「……いや、違うな」

 自分自身で言った言葉をレギュラスは否定した。彼女は確かにここにいるからだ。この屋敷の中にいて、きっとまだ何かを伝えようとしている。そんな気がするのだ。







 大広間でなんとはなしにハッフルパフのテーブルに視線を向ける癖がついていることに気づいて、レギュラスは苦いものを噛んだような気持ちになった。ライラに声をかけてからたった半年でこの有様だなんて、まったくもって情けない話だ。いや、半年もの時間を経たからこそだろうか。

「ブラックくん、きみとても変な顔をしているよ」

 二つ離れた席に座ってそんなことを言ったスリザリン生の同級生を睨みつけてやれば、相手はなぜ睨まれているのかわからないといった表情を浮かべてすっと視線を逸らした。
 今日の昼にはみなホグワーツ特急に乗って各々の家は帰り、夏休みを過ごす。その期間めいっぱい楽しむ生徒もいれば、次年度の勉強に励む生徒もいる。レギュラスもどちらかといえば次年度の準備をする方だが、それは勉強よりもクィディッチのスリザリンチームに入るための練習が中心だ。母のヴァルブルガはクィディッチを野蛮なスポーツだからとあまりプレイヤーになってほしくはなさそうだったが、勉強もクィディッチも頑張るからと両親に宣言したため、なんとか容認されている状態だ。
 それはさておき、レギュラスは一年生最後の朝食としてベーコンと卵を挟んだマフィンとあたたかいパンプキンスープを選んだ。それを口に運びながらレギュラスはちらりとハッフルパフのテーブルを見ると、ちょうど空いていた席にライラが座ったところであった。紅茶が注がれたティーカップに口をつけていて、その横顔を見てふと思う。
 いつものライラなのに、どうしてか彼女に違和感を覚えた。その正体もつかめないままじいと彼女を見つめていたが、はっとして慌てて視線を外す。そうして自分の手元にある食事へと意識を向けた。
 食事をとりながらレギュラスがちらりちらりと彼女の方を見ていると、先ほどの違和感の正体がようやくわかった。単純に、食事量が普段よりも少ないのだ。それだけではない。いつもならやわらかな笑みを浮かべているはずなのに、今日に限って表情が暗く見える。
 いったいどうしたというのだろう。気にはなったものの、自分から声をかけることもできず、ただ黙々と食事をするだけだった。

 けれども、やはり気になってしまうものは仕方がない。早く帰宅したい生徒が荷物をまとめてホグワーツ特急のプラットホームに向かうのを横目に、レギュラスはライラの姿を探していた。ライラに落ち込んでいるように見えた理由を聞いて、すっきりして帰宅したいのだ。……帰宅すると、家に反抗した兄のことで必ず頭を痛めることになるのだから。
 ハッフルパフの寮に入ることはできないけれど、きっと寮にはいないだろうという確信がレギュラスにはあった。図書館を探し、クィディッチ競技場の近くを探し、最後に思い立って湖のほとりに足を運んだところで、ようやく見慣れた後ろ姿を見つけた。

「……ライラ?」

 そっと声をかけてもライラは振り返らない。ただじっと湖の水面を見つめているようだった。

「ライラ!」

 焦れたレギュラスが少し大きな声を出すと、ようやく彼女は振り向いた。

「……レギュラス」
「呼んでも返事をしないから。どうしたんだい?」
「……どうって?」

 アステルの声は震えていて、もしや泣いているのかと心配になったがそうではなかったらしい。顔を覗き込むレギュラスに、ライラはうっすらと活力の乏しい笑みを浮かべて見せた。
 その表情を見て、ああやっぱり何かあったんだなと確信してしまった。しかしそれを口に出そうかと躊躇っているうちに、ライラの方から言葉を発した。

「心配かけてしまってごめんなさい。少しだけ……帰りたくないなって思って。しばらくの間ホグワーツを離れることに落ち込んでいたの」
「寂しいって……また九月になればここにくるじゃあないか。夏季休暇なんてあっという間だよ」

 レギュラスの言葉にライラは目を丸くした後に、ふっと表情をやわらげて小さく微笑んだ。それからライラは少し視線を落とす。

「……そうね」

 寂しくならないようにとライラに伝えたのに、それでも彼女は寂しそうにつぶやいた。

「レギュラス、本当にありがとう。こんなにたくさん私と話をしてくれて。この半年、とても楽しかったわ」

 それはこちらも同じだと言おうとして口をつぐむ。なんとなく素直にそれを認めたくなくて言い淀んでしまった。
 ライラは一ヶ月に一回ほど、彼女自身が人との話し方を忘れないようにといった程度の意図だったかも知れないけれど、それ以上にレギュラスはライラに話しかけた。人通りの少ない廊下ですれ違いざまに挨拶をしたり、たまに空き教室でじっくり話をしたり。その中でも湖のほとりは絶好の隠れやすさで、二人で会うにはちょうど良かった。
 彼女が申し訳なさそうにしつつも嬉しそうな顔を見せるたびにほっとしたような気持ちになって、彼女と話す時間は心地よかった。だからもっと一緒にいたいと思ってしまう。そんなことを口に出してしまえば、きっと困った顔をするだろうけど。

「……別に、苦ではないから」

 ぶっきらぼうな言い方になってしまったかもしれないと思いつつも、それ以上のことは言えなくて、本当はもっと気の利いたことを言いたいのにどうしても上手くいかない。レギュラスの様子をみてライラはくすりと笑うと、いつものように穏やかに言った。

「……いやだなって思ったら、やめていいのよ? 無理して付き合ってくれなくても……」
「来年もやめるつもりはないよ」

 きっぱりと言い切るとライラはきょとんとした目を向ける。すぐにその意味を理解したようで、ぱっと花開くように笑顔を見せた。
その表情の変化を見てレギュラスは少し安心した。彼女にはそのくらい明るい表情の方が似合う。たとえ、純血の貴族としては出来損ないだとしても。


- ナノ -