夢の中の君


 その週の水曜日から日曜日までフリットウィック教授がどこぞの著名な魔法使いの数日間に渡る講演会に出席するので、ハッフルパフは教授の不在時の講義を埋めるために数日早いレイブンクローとの合同講義が行われることになった。
 グリフィンドールとスリザリンほどの確執のないレイブンクローとの合同講義を嫌がる生徒は少なくともハッフルパフにはおらず、どんなものになるのだろうとクラスは沸き立っていた。そもそも彼らが入学して三回目の呪文学の授業であり、そして初めて二つの寮が合同で授業を行うのだ。
 セドリックももちろん合同講義を楽しみにしていた。セドリックは人見知りな性格ではない。まだ知らぬ誰かと親交を深めたいと、飛行術の授業と同じくらいにわくわくしている。
 そして当日、いつもよりも人数が多い呪文学の教室。この学年ではやはり入学した時から整った顔立ちのセドリックと入学早々いたずらを仕掛けていたグリフィンドール寮のウィーズリー兄弟が有名で、やはりハッフルパフとレイブンクローの合同講義ではもっぱら視線を集めているのはセドリックだった。
 ホグワーツ入学前から魔女もマグルも問わず女の子からよく話しかけられていたセドリックは一年生で入学後すぐにもかかわらず多方からの視線をものともせずに過ごしており、彼の友人はそれをまるでおかしなものを見るかのような目を向けていた。

 そんなセドリックが呪文学の実技の時間でみなが呪文を唱えている中、ひとりの女子生徒に気がついた。青のネクタイをつけたその女子生徒は、セドリックの記憶が正しければメイベル・ハリントンという名前であったはずだ。その彼女が呪文を唱えて杖を振り、魔法を発動させるまでの全てがセドリックの目に入った。
 それが、彼の心にすとんと刺さった。
「ミス・ハリントン! 魔法の素晴らしい出来栄えに、レイブンクローに五点加点!」
 フリットウィック教授の言葉も今は耳に入らない。セドリックはずっと彼女を見つめていた。
 ホグワーツの生徒には珍しい色の瞳をふちどるまつ毛は髪と同じ色できれいで、目鼻立ちは整っているだろうけれど、それだけが好ましいわけではないということは自分のことだ、よくわかる。
 それよりもなによりも、彼女の魔法はとても美しかった。ただそれだけがセドリックの心をつかんでいた。

「魔法が美しいってなんだ? 彼女の見目がいいからって変な比喩だな」
「違うんだ、本当に美しいんだよ。なんていうか、きらきらして見えるんだ」
 おかしな奴、と友人には笑われて、けれどセドリックにはなにがおかしくて笑われているのかわからない。彼女の振るう杖は手入れこそされているものの装飾などひとつもされていないというのにただの棒に見えないのはきっと彼女の杖を持つ手がしなやかだからだろう。ほっそりとした指が曲線を描いていくさまは感嘆のため息を吐きたくなるような優美さをまとい、杖の先を見つめる彼女の瞳はまるで宝石のようでずっと見ていたいと思う。
 そうして、授業が終わり彼女の姿が下ろした毛の一房までも見えなくなるまでセドリックの視線はその姿に縫いとめられていた。自分が恋に似た感情を持っていることは、聡いセドリックもしばらくの時間を要した。



 恋心を自覚したセドリックだが、最初に大きな障害があった。セドリックは好かれるばかりでいたために、特定の人物に好意を向けられるためになにをすればいいのかわからなかったのだ。
 万人に好かれる方法ならばいつも行っているが、それではいけないということだけはわかっている。だから友人に聞いてみた。気兼ねなく話せる彼は、わざと感極まったかのような仕草でセドリックを茶化した。
「セドリック、君にも好ましいと思える人ができたなんて、俺は嬉しいよ」
「冗談を言っていないで、本当に教えてくれないか」
「聞かなくてもわかるんじゃないか。君のことを好いてくれる人と同じようにしたらいい」
 彼の言葉はなかなかに名案だった。思い返すと、名乗らずにラブレターを送ってくれる女の子よりもしっかり対面で告白してくれる子の方が印象は強い。しかし、初対面の挨拶は得意なセドリックでも好きな女の子の前で赤面してどもらずに挨拶ができる自信がなかったから、幼子のようにまごついてはメイベルに声をかけるきっかけの一歩すら踏み出すことができなかった。二年弱の間、ずっとそのままだった。

 その間も、セドリックの耳にはメイベルの話は舞い込んでいた。なにせ、セドリックも知る可愛らしい見目の女子生徒だ。うわさも一緒についてくるが、その真偽、そしてうわさを流したであろう人物の善悪くらいは判別がついた。なぜなら、セドリックは大広間や図書館、学内クィディッチ試合直前の観戦席でいつもメイベルがいないかとちらりと見渡すことが癖になっていたからだ。
 彼女が変身術の授業で羽根ペンを花に変えたという話を聞いて、メイベルが形作った花はなんだろうかと考えた。一目見たイメージはたおやかなスノウフレークのようで、けれど髪に刺したら似合うだろう華やかなダリアも捨てがたい。いや、涼しげな雰囲気のハイドレンジアはどうだろうか。いろいろと想像は広がっていくばかりだ。
 ああ、けれど彼女はいつも凛としたたたずまいでいるから、白百合がいっとう似合うだろう。
 セドリックは自分ににとっての答えを見つけて、そうして馬鹿馬鹿しいことだと笑った。当の彼女にとっては心底どうでもいいことに違いない。それをメイベルが好むとも限らないのに。
 けれども、本当にどうでもいいことだろうけれど。彼女の好きな花はなんなのだろう。ふと、それを聞いてみたくなった。
 彼女が夢にまで出てきた時はそれはもう驚いたが、夢からいざ覚めてみると現実の彼女の方がきれいだとさえ思ってしまったのだから、セドリックはもう彼女に骨抜きでどうしようもなかった。


 結局のところ、彼女に話しかけることができたのは二年生に進級した後だったけれど。もっと言えば、話しかけたのはセドリックではなくメイベルの方であった。
「ね、あなた」
 夕焼けが差し込む図書館で、セドリックは人気の少ない棚で本を読んでいた。テーブルにいると話しかけられて集中できないから、棚に背をつけ、もたれて読んでいると澄みきった声が聞こえた。
「ごめんなさい、あなたがいるところの本をとりたくて」
 そこにいたのはメイベルだった。せっかく本がいいところだったのに、と思っていたセドリックもこれには驚いて、目の前の申し訳なさそうなメイベルを数秒の間呆けたように見つめていた。
「……ああ、ご、めん。今どくよ」
「本当にごめんなさい」
「いや、僕が悪いよ。とりたい本はどれ?」
「『海洋と湖の人魚の相違についての推論と考察』よ。青みがかった表紙の、そんなに厚くない本」
 彼女のとりたい本はすぐにわかった。たった今、セドリックが読んでいたものだ。レポートの参考にしようと思っていたが、メイベルも使うのならと本を閉じて差し出した。
「はい、これだろう?」
「え、けれどこれ、あなたが今読んでいたんでしょう?」
 眉を下げて首を振るメイベルに、それでもセドリックも本当に問題ないのだと安心させるように笑った。
「ちょうど、読みたかった文章は読み終えたところだから大丈夫だよ」
「ええ、それなら……ありがとう」
「君も、きっと使うのは魔法生物学のレポートでだろう?」
「そうなの。ならあなたもそれで読んでいたのね」
 なんでもない風を装って会話をいるセドリックだが、心臓は飛び出さんばかりに高鳴って、この心音がメイベルに聞こえていないか緊張していた。だが、決意もかためていた。これはとてもいいチャンスだ。なにもないのに話しかけるよりも容易である。
「ねえ、」
 礼を言って去ろうとしていたメイベルに、セドリックは慌てて声をかけた。突然のことでセドリックは大きな声が出たように感じたが、周りに他の誰もいなかったようで彼女が振り返る以外の動きはない。
「僕は、セドリック。セドリック・ディゴリーって言うんだ」
 なんとか自己紹介をして、しかしぱちりぱちりと目を瞬かせたメイベルの様子に、ただ自分が勝手に挨拶をしただけだということに気がついた。どうしよう、変な人だと思われてしまうかも、と冷や汗をかいた内心だったが、それはメイベルがくすくすと笑ったことで杞憂に終わった。
「とってもよく知っているわ。あなたってレイブンクロー寮でも人気だもの。私はメイベル・ルイス。よろしくね、セドリック。でもひとつだけ、あなたのそうやってなんでも譲ってしまうところはあなたの悪いところでもあると思うの。けれど私は嫌いじゃないわ」
 ふわりと花ひらくような笑みはセドリックの表情も溶かし、思わずセドリックも緊張を忘れて微笑んだ。
 どうやら、メイベルからの第一印象は悪くはなさそうだ。


 だからといって、その後すぐに恋人になったとかそういうことはなくて。セドリックとメイベルはただの、しかしとても良い友人関係を築いていた。
「セドリック、いいところにいたわ。さっきホグズミードで焼き立てのパイがとてもおいしそうだったものだから買ったのだけれど、ワンホール買ってしまったから食べきれないとさっき気づいて。だから少し食べてくれない?」
「ねえ、私の寮のシーカーのチョウ、なかなかじゃない? 現シーカーが抜けても安泰ね」
「あらセドリック、またあなたにラブレターを渡したい一年生の子が駆け回っていたわよ。さっきはクィディッチ競技場の方へ向かっていたわね。ラブレターに埋まりたくなければあそこには近づかないことをおすすめするわ」
 メイベルの友人となってからの数年、セドリックとメイベルにはしっかりと覚えている思い出がいくつもあった。どれもかけがえのないもので、ほんの少し甘酸っぱいものだ。

「見てセドリック、凍らせ魔法でホグワーツ城を作ったの! とってもきれいじゃない? このままずっと飾っておきたいくらいでしょう」
 その中でなによりも、セドリックがメイベルへの想いを募らせていくのと同じように、メイベルの魔法はさらに洗練されていた。もともと魔力のコントロールが頭ひとつ抜けている彼女は構成に無駄がなく、美しいとは言わないがホグワーツの教師もそれを褒めている。それは五年生が終わるくらいにもなるとホグワーツの上級生はみな彼女の魔法の美しさをようやく理解した。あれほどグレイスの美しい魔法についてどうでもよさそうに話を聞いていた友人でさえも、お前って魔法の見る目があったんだな、と感心されたほどだ。
 メイベルは、セドリックにとっての憧れだった。美しい魔法をあやつることはセドリックにできずメイベルにできる。そこに憧憬はあれど嫉妬なんて起きやしない。セドリックは、合理的で教科書通りのことができるのが自分の型であるとはっきりと理解している。教わったことを忠実に、そして周りを見て吸収できるものを吸収する。吸収できるものならば、の話だ。
 知識を増やして選択肢を増やすこと、そしてなにかに対応する時にどのようなことを行えばいいかのリストを頭の中で作ることはできても、センスばかりはただの真似事ではそうはいかない。セドリックがどれだけメイベルの魔法を真似しようとしてもそれはただの形だけの猿真似で、本当に才能、センスを持っている人には遠く及ばない。良い点数はとれても、人の心に残らないのだ。
 だから、セドリックはメイベルに憧れを抱いている。自分が持ち得ないものを持っているから。自分が持ち得ないものに嫉妬してもなにかが変わるでもなく、全くもって意味のないことだ。
 その憧れと好意はまた別のものであるとセドリックは考えていて、ただ友として彼女の作り出すものを見ていたいと、そうも思うのだ。もしもメイベルに振られてしまったとしても自分はこのままただの友人であり続けてもいいのではないか、と。もしもセドリック自身が他の人を好きになったとしても、友人関係は続けていられるだろうか。臆病な自分自身が、それならばずっと友人のままでいいだろうと囁いている。
 しかし、メイベルに片想いをしていることを知っている友人は、早く砕けてこい、さもないとさっさと誰かにとられてしまうぞ、と雑に言うことは前から変わらない。セドリックもこの恋情を持て余したまま卒業するつもりはなかったが、メイベルに恋人ができたようなうわさも素振りもないため、ずるずると告白を先延ばしにしてしまうのだ。
「こんなことじゃあ卒業してもお前は片想いのままだろうよ」
「それは自分でも自覚があるけれど……」
 対応が雑ではあるがそれでも親身になって話を聞いてくれる友人には申し訳ないが、もしかしたら卒業する時になってようやくセドリックは胸のうちを彼女に告げることができるかもしれない。少なくとも現在はまだメイベルに告白して振られることが怖いと思う。彼女に告白できる自信もついていないのだから。



 その決意をかためることができる機会が訪れたのは偶然であった。
 六年生になり、七年生には授業で手一杯になることを見越してこれで最後だと自分に言い聞かせて、有終の美を飾るためにクィディッチシーズンの到来を楽しみにしていた。しかし始業式で告知されたのは今年度の学内クィディッチの中止、そして開催される運びとなった三大魔法学校対抗試合だった。クィディッチができないことはセドリックをおおいに落胆させたが、しかし初めて知る対抗試合とやらへの興味もはっきりとあった。説明を聞いていくうちに、ひとつの感情がセドリックを支配した。
 この対抗試合に出たい。代表選手に選ばれたい。
 それは、自分自身の興味もあり、それに付随してハッフルパフ寮への貢献、そしてほんの少しだけ、これに優勝できたらメイベルに告白する覚悟もできるのではないかという期待もあった。

 そうして、セドリックはホグワーツの代表選手として炎のゴブレットに選ばれた。奇しくも同じホグワーツから、ひとりしか選出されないはずの代表選手の二人目でハリー・ポッターと一緒に。
 不思議には思ったが、ハリーに対して不正を働いたのだと決めつけることはなかった。彼が少しやんちゃで突拍子もないことを年に一度はしでかす人ではあるが、このようなことはしないのだと考えていた。ハリーの目が動揺に揺れていたのが、彼が起こしたことではないと思いたくて、彼が嘘をついていると思いたくなかったからだ。
「セドリック、おめでとう。あなたが名前をゴブレットに入れたと聞いてから、選ばれるのはあなたしかいないと思っていたわ」
「ハリーも選ばれたけれどね」
「あれは……少しだけ置いておいてね」
 ダンブルドア校長でさえもどのようなことがあったのかわからないというハリーの代表選手への選抜。それについてはメイベルもどう反応していいかわからないようで、眉を少し下げて複雑な笑みを浮かべる。
「けれど、あなたが尻込みしていなくてよかった。いつもあなたってクィディッチ以外ではなにかを他の人に譲ってしまうものね。それはあなたの悪いところだけれど、私はそこが好ましい部分だと思っているわ」
 頑張って、と微笑んだメイベルに、絶対に優勝を手にすると誓った。


 そして第三の課題で、セドリックはただ優勝への執着だけでひとり迷路の奥へ奥へと進んでいた。他の選手はみな敵であったからだ。第一の課題、第二の課題でこの対抗試合のために用意されたユニフォームはすでに数カ所ほつれていて、しかしそんなものは気にならないほどに泥にまみれて元の色がわからず、膝のあたりは擦れて布地が薄くなっている。まっすぐに走ることもできずに這いつくばったままの状態もあり、時には派手に転倒し、吹っ飛ばされた衝撃で一瞬意識を失って、それでもなんとか進み続けた。
 途中で出会ったハリーからフラーが棄権しただろうことを知り、襲ってきたクラムをハリーが昏倒させてくれて棄権にさせて、そうして残ったのはセドリックとハリーだった。どちらが勝ってもホグワーツの勝利は確定しているが、だからこそ二人とも負けられない。よく知る互いだからこそだ。
 そのライバルであるはずのハリーが、セドリックを助けてくれた。セドリックに襲いかかった巨大蜘蛛に呪文をあてようと試みて、そうして蜘蛛がハリーに襲いかかった時にはセドリックも同じことをした。ハリーを見捨てて先に行くなんてことは頭の中にない。果たして二人は力と息を合わせることで、巨大蜘蛛を倒すことができた。
 そこからは、競い合うべき対抗試合に似つかわしくない譲り合いだった。セドリックとしてはこの第三の課題の中で三度も己を助けてくれたハリーこそが勝者にふさわしいと考えているが、ハリーの考えは、この試合のルールの中で最も正当な勝者となる資格があるのはセドリックであるのだと言う。確かに最も早く優勝杯までたどり着いたのはセドリックではあるが、それでもハリーがもしクラムに襲われているセドリックを見捨てていれば勝者は間違いなくハリーだ。セドリックは断固としてハリーに勝利を譲る気でいるが、それはハリーも同じようで堂々巡りを見せるところであった。もしもこのまま永遠に続いていたならば審査員もこれには呆れ果ててしまったことだろう。
 本当のところを言えば、セドリックだって目の前にある優勝杯に今すぐにでも手をかけたい。ハリーが譲ってくれると言うならば喜んでそれを受け取りたいし、こんなにも目と鼻の先に栄光が待ち受けているのならばハリーを押しのけてでも手に入れたい。けれど、それは本能だけの獣の考えだ。セドリックは欲に駆られて理性を投げ出せるほど、後先のことを考えられずにはいられない。ここでハリーを出し抜いて自分が勝利を得られたとして、その後の人生でセドリックはずっと、ハリーから勝利を奪い取ったことを悔いて生きていくだろう。自分の理性的な本心がハリーにどうしたって優勝を譲る以外の選択肢を与えない。たとえ押し殺した本能が優勝杯へ手を伸ばしたいと願っても、セドリックの理性はそれを握りつぶした。
「なら、一緒に、同時にとろう。引き分けだ」
 だからこそハリーのその提案を聞いて、やはり彼は特別で勝者にふさわしいのだと考えた。セドリックに、優勝を分け合うなんて考えは全くなく、もし自分がそれを提案したとして、勝ちを譲れぬ自分自身への浅ましさを感じたことだろう。それは間違いなくセドリックがいやしい考えを持っているからで、ハリーがそれを提案したということは見下げ果てた考えを持っていなかったからだった。彼は心から、自分とセドリックのどちらも負けることのないようにと考えたのだ。それはとても素晴らしい考えで、本物の勝つべき者の思想なのだと見せつけられたような気分になった。
「君は……それで、いいのかい?」
 彼のその言葉を信じられなかった自分もいて、思わず聞いてしまった。それはハリーの心を疑うようで、声に出してからよくない言葉であったことに気がついたが、彼は気にしていないようだった。
 本当にハリーは、優勝を引き分けにするつもりなのだ。自分だけが勝利を手にするチャンスであるというのに、嫌なことも交えてたくさん考えてしまったセドリックに対してハリーはそのようなことはないようで、これが『生き残った男の子』なのか、と納得さえできてしまった。
 もちろんだと言うようなハリーのすがすがしい笑みに、セドリックも同じようなものを返した。
「さあ、一、二、三で一緒にとろう」
 ハリーを支えるようにして二人で優勝杯の前に立った。もうセドリックには、ハリーを出し抜けばそうなるか、などという考えは頭にない。ただ、二人で優勝することになにひとつ不満なんてなく、誇らしい気持ちすらあった。
 ハリーと一緒の優勝だけれど、両親は喜んでくれるだろうか。友人達は讃えてくれるだろうか。そして、メイベルは自分のことを少しでも勇敢な人だと思ってくれるだろうか。二人で優勝杯に手を伸ばすその手がひどくゆっくりに見えるくらいに、セドリックは同時に様々なことを考えていた。そうだ、優勝したら自分はメイベルに告白しようと思っていたんだ。こんな結果でも、自分は自分を認められるだろうか。そう、考えていた。

 あなたのそうやってなんでも譲ってしまうところはあなたの悪いところでもあると思うの。けれど私は嫌いじゃないわ。

 急にメイベルの言葉が囁くように頭の中に現れた。メイベルにとっての初対面で、セドリックに言った言葉だ。
 あの言葉にセドリックは救われたのだと思い出した。なんでも自分が占めてしまってはみなから妬まれるから、セドリックは本当に大切なもの以外は譲ってきた。それでも「なんでも自分のものにできる自信があるから手を伸ばさないのだ」と自分を僻む者に言われてしまうのだから、どうしていいかわからなかったのが、メイベルと初めて話した時期だ。それを肯定してくれたメイベルは本当にセドリックにとって特別で、あの時まではただの憧れに近かった感情が恋になり、セドリックはメイベルを好きになった。だから、この言葉は一番大切なもののひとつだ。
 この優勝杯自体は重要なものではないから手放してしまってもいいのではないかと、そうすればまたメイベルはセドリックを仕方のない人だと言って笑ってくれるのではないかと、そう思ってしまった。
 その言葉を思い出してしまったから、一瞬の躊躇がセドリックの手を止めてしまった。
 セドリックの触れていない優勝杯をしっかりと握るハリーの手が、信じられないものを見るかのようなハリーの瞳が、肩を組んでいたはずのハリーの身体が、一瞬のうちに消えて無くなってしまった。
 それを見ていたセドリックはどうしてか妙に落ち着いた頭で、ハリーのいた場所を見ていた。優勝杯がハリーをみなが讃える場所へと連れていったのだと思い込んでいたから。
「やっぱり、僕は情けないなあ」
 ぽつりと呟いたセドリックの声は、しんと静まり返った迷路に響いた。優勝者が出たから迷路は与えられた役割を終えたらしい。
「父さん達、がっかりさせちゃったな。謝らないと……」
 結局、セドリックの迷いが優勝を逃してしまった。セドリックは惨めな敗者に終わったのだ。目の前で優勝を逃しても、それでもなぜか激情に似た悔しさは出てこない。セドリックにあったのはただひとつ、全てが終わったのだという空虚感だけだった。



 三大魔法学校対抗試合の優勝者となったハリーを祝う騒ぎは朝になっても続いていた。これから大広間で全ての生徒が集まった正式な場があるというのに、寝ていない彼らは大丈夫だろうか。他人にそんな心配をしながらも、セドリック本人も一睡もできていなかったのだからふらふらとしながら、そうして外のひんやりとした空気を浴びに日が上がった頃にクィディッチ競技場の近くを歩いていた。
 昨晩はあんなにも広大だと思っていた迷路は、こうして全て終わった後に見るとそう広くはなかったらしいということがわかった。すでに昨夜セドリック達を襲った試練達は姿を消し、物言わぬ生垣だけがそこにあるだけだ。観覧席にあたる場所に座ってぼうとそこを見ていると、自分を呼ぶ声が聞こえた。
「セドリック!」
 振り返ると、そこにいたのはセドリックの想い人であった。セドリックの前まで駆けてきたメイベルはきれた息を取り戻すように荒い呼吸を繰り返して、それが落ち着いた頃にしっかりとセドリックを見た。
「第三の課題、残念だったわね。私がなんと言っていいものかわからないのだけれど、それでも、お疲れ様って言いたくて」
「ありがとう。そうだな、僕が負けてしまったのは力不足というよりも……」
 申し訳なさそうな表情のメイベルを安心させようとセドリックはにこりと笑った。
「どちらかというと心構えというか、精神力のようなものが足りなかったんだ。それに、ハリーには何度も助けてもらった。ハリーが優勝したことについて異論はないんだ、本当に」
 あれだけ手に入れたいと思っていたのに今は憑き物がとれたように未練はなくて、心からの言葉をあげることができた。メイベルにもそれが伝わっていればいいけれど。
「そう……」
「ありがとう。応援してくれていたんだろう?」
「それは、もちろんよ」
 互いに笑い合って、そうして。今なら、言える気がした。

「メイベル。僕、君が好きなんだ」

 あれだけ悩みに悩んでいた告白の言葉は存外にさらりと出てきて、心にもいくらかの余裕があった。
 メイベルが同じ感情を返してくれなくてもいい。ただセドリック自身の感情を伝えたいだけで、どんな反応をしても構わない。今のセドリックには見返りを求めることもない、ただ単純にメイベルへの想いだけで溢れていた。
 呆気にとられた表情のメイベルが、セドリックの言葉を噛み締めて、その意味を段々と理解していくさまがありありとわかって、そして。

「私が言おうと思っていたのに!」

 メイベルのはいでもいいえでもない返事が真っ赤になって返って、セドリックは声をあげて笑ってしまった。その拍子に目尻からぽろりとなにかが落ちて、風にさらわれていった。




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