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「カノン、…?」

仮面に手をかけたなまえの腕を無意識に掴んでいた。僅かに動揺した声色と、聖闘士として鍛えているとはいえやはり細いその腕に眉が寄る。

こいつは今何をしようとした?

そんなことは仮面に触れているなまえの指先を見れば分かる。仮面を外そうとしたのだ。ふざけているわけでもなく本気で迷いなく、顔を見せてくれないかという俺の戯れの言葉に対し。


「…なまえ、仮面の掟を憶えているか」
「顔を見られた女聖闘士は相手を愛すか、殺すかというものなら」

なんの迷いもなくなまえの口から飛び出したその答えにさらに混乱する。女聖闘士の掟を忘れたわけではないらしい。それなら何故なまえは俺の言葉に従い顔を見せようとした?まさか俺を殺す気はないと思うが、それにしてもその行動は理解に苦しむ。


まさか俺と愛し合えるとでも本気で思っているのだろうか?

ここ数日の自らの行いを顧みれば、それは当たらずとも遠からずという答えだろう。
惹かれていると言った。話をしたいとも言った。近づいたのは俺の方だ。

理由など特にない。これはただの暇つぶしであり、遊びのようなものだった。初めに声をかけたことさえ、ほんの些細な興味が発端だ。その髪を太陽に輝かせながら華麗な組み手をする姿にどんな女なのだろうかと思っただけのこと。そこに意味などない。

顔を見せてくれないかという狂言もまた同じ。ほんの少し相手を試そうと思い口から出たからかいのようなものだ。


だが、なまえは実際にその言葉に従おうとした。
馬鹿なのか、確信犯なのか、それとも別の何かなのか皆目見当もつかなかったが、つい余計なことを口にしてしまう。


「世の中には二種類の人間がいる」
「…突然なんだ?」
「騙される人間と、騙す人間だ」

訝しむような声を出したなまえの腕を仮面から離し、言葉を続ける。短い付き合いではあるが、俺が呆れるほど愚直な女に対する警告として迷うことなく。


「これは忠告だが、気安く相手に顔を見せようとするな、気安く話しかけてくるような他人を信用するな。必ず裏がある」


なまえはその言葉にしばらく沈黙を守った。
だが、すぐに小さくため息をつくと肩を竦めて俺を見上げる。直接見ることはかなわなかったが、仮面の奥で確かになまえは俺を見ていた。アテナのような見透かす瞳で、きっと。そしてその眼を欠片も揺るがすことなく彼女はその言葉を言ったのだろう。


「別に、良い」
「…なに?」
「別にいい、構わない。だって何も変わらないんだ、私の顔がカノンに見られても、見られなくても」

なまえの言っていることが分からずに返答ができない。一方のなまえはさして気にした様子もなく、自らの言いたいことだけをそのあとに続けた。


「私はカノンが好きだよ、どこがと問われれば答えにくいが、確かにお前を愛している。多分…、お前の全てを愛しているんだと思う」

一瞬理解に苦しんだその言葉が、次の瞬間には頭の中に浸透していく。
なまえが俺のことを好きだということも、俺の全てを愛しているらしいということも、理解ができないまでも脳はそれを知る。だからこそ余計に言葉に詰まった俺になまえは言葉を澱ませることなく紡ぎ続ける。


「だから、変わらないんだよ。私はただ今まで通りにお前を愛せばいいだけ、…ほら、何も変わらない」


仮面の奥で笑ったような雰囲気を見せたなまえに、ようやく言葉を絞り出す。それは隠せなかった本音であり、戸惑いでもあった。

「……お前、馬鹿だろう?」
「うん、知っているよ。だが馬鹿にしか見えない世界というものは確かにあるらしいから何も問題はないと思っている」
「屁理屈だ」
「そんなことない。それに馬鹿でも本当に大切なことは分かっているつもりだ。だから言わせてもらうと、私はカノンが本気でなくてもカノンのことが好きだ。だが、そのカノンが気安く言葉に従うなというのなら私はそうしよう。だから次に仮面を取るのは、そうだな…」

なまえはお前が本気になってくれたらにしようかと言うとくすくすと笑い声を漏らす。やがて俺の肩を叩くと、「また会おう」と柔らかな声色で呟き通り過ぎて行った。なんだかよく分からない花の香りを残していったなまえの後ろ姿を茫然として見送る。


まさか、俺の心意が気づかれていたのか?
「本気になってくれたら」というあいつの言葉から推測するに恐らくそうらしい。だが、それでもあいつは俺を好きだと言った。暇つぶしに騙していた人間を好きだと。もう少し頭の良い女だと思っていたが、どうやらなまえはプロ級の馬鹿のようだ。そう考えながらも髪を掻き乱した。


「あー、くそ」

苛立たしげに舌打ちをしたところで何の解決にもなりやしない。なぜなら俺は、いつの間にか熱くなり始めた頬から目を逸らす方法を知らないからだ。
誤魔化すように背中を向けたものの、いつもより早い心臓の鼓動を止める方法すら、何も分からなかった。

分からない。何も、何も。
なまえを望むこの気持ちの正体さえ、何も。

振り返ってみたところで、最初に興味を持ったあの髪はすでに青空に溶けて見えなくなっていた。

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