赤く情熱的な瞳が私を見つめる。 彼の薄い唇が少しだけ開き、そしてその言葉を告げた。
「なまえが好きだ」 「……っ!!!」
飛び上った瞬間、眼の前に飛び込んできたのは簡素な部屋だった。
先ほどまで目の前にいたカミュの姿など髪の毛一筋すらない。私を見つめた瞳も、好きだと、その言葉を吐き出した声も、ここにはない。
開け放たれた窓から、昼時の穏やかな風が吹き込んだ。白いカーテンをさらりと宙に靡かせ舞わせたそれが、私の頬を撫ぜる。
ひんやりとしたそれを感じた途端、現実を認識し、自分の頬がかっと熱くなったのを感じ両手で覆った。
「や、やだ、夢?」
恥ずかしい。
恥ずかしい!
恋人のカミュが、初めて私に好きだと言ってくれたのは、彼が私に告白してくれた時だ。
それ以来、彼は私にそう言った言葉を囁かない。 あまりそういうことが好きではないのかもしれない。カミュは優しいしそれに紳士的だ。私はカミュに何も不満はない。
でも、だからこそあんな夢を見るとは思ってもいなかった。
なんだ、私、どうした、私! まさか欲求不満なのか? しかしそんなことはないとも思う。だって私はなんのカミュに対し、不満もないのだから。
だがしかし、私はあんな夢を見てしまったのだ。
「…うー」
夢の中の出来事だったのに、心拍数は上がったままで頭を抱えて枕に顔を埋めた。 こんなことならシエスタなんかするんじゃなかった。 久しぶりにシエスタをしたと思ったら、これだ。
変な夢を見てしまったせいで、カミュと上手く接することができなくなったらどうしよう。 それに、なんだかカミュにも申し訳ない。勝手に変な夢を見てしまってごめんねと謝りたいくらいだ。
「あー!」なんて、頭を抱えて間抜けな姿で呻いた。瞬間、聞きなれた大好きな声が、私を呼ぶ。
「なまえ?」 「ひっ!」 「…どうした?」
開け放したままだった扉から顔をのぞかせたカミュの顔を見た瞬間、さらに頬に熱が集まった。
彼の髪がさらりと肩からこぼれるのとほぼ同時に、先ほどの夢が脳裏によみがえる。
好きだ、と、私に言った、彼の言葉、
「…っなななななんでもない!!」 「しかし、顔が赤い。熱があるのでは…、入るぞ」 「だっだめ!入っちゃダメ!」
慌てて両手を振って否定した私を、カミュは僅かに訝しむような目で見た。
「どうかしたのか」 「なんでもないからっ!大丈夫だから!!」
頼むから今は近づかないでくれと思った。
カミュには申し訳がないが、今彼の傍に寄ったら私の顔が爆発する。 そしてやはりそれ以上にカミュと顔を合わせることが気まずかった。あんな夢を見たなんて、彼にだけは知られたくない。
だがカミュは何を勘違いしたのか、眉を寄せたまま「私が何かをしてしまったのだろうか」と言った。
それだけでも私を焦らせるのには十分だったのだが、言葉と相反するように顰められた彼の顔が恐ろしくて仕方がない。
おかしい、
本当に変だ。 どうして、この人は怒っているのだろう。
「カ、ミュ?どうして怒っているの?」 「怒ってなどいない」 「怒っているわ」 「違う」
寝台の上に半立ちになった私のもとまで、カミュは大股で近づいた。 すぐに手をとられ、触れた熱に心臓がまた一つ跳ねた。
突然の出来事に一瞬声が喉につまる。
「っ、カミュ、」
すぐに一体どうかしたのかと言いかけた私に、カミュは眉を顰めたまま言った。
「他に好きな男でもできたのか」 「…っな、んで」
顔が赤いと言ったカミュが、私の手を引いたまま顔を近づけた。 彼はふっと冷たく笑うと、いつものカミュの口ぶりからは想像できないほど冷たい声で言う。
「誰か、男のことでも考えて」 「違う!!」
考えるより先に叫んでいた。
どうやらカミュは勘違いしているらしい。 それも早く解かなければ面倒なことになる誤解だ。
だが私には生憎上手く誤魔化すような高等な対話能力など持っていない。さらに言えば、私の頭が単純なせいだろうか。まるでひねった様子のない言葉が、そのまま飛び出していった。
「カ、カミュが私に好きって言ってくれる夢を見たの!だからそれでっ、て、照れたの!言わせないでよ、もう!!」
恥ずかしかったのだからと叫ぶように言った私に、カミュは目を真ん丸にした。そして呆気にとられたのか、しばらくそのまま黙り込む。私のほうはと言えば、カミュに真実を告げたせいで余計に顔の熱が高まった。
「そ…、そんな顔しないでよ、一人で騒いで、私、馬鹿みたいじゃない」
最期のほうは消え入りそうな声だった。 言ってしまったという後悔の念と、羞恥に、掴まれていた腕を振り払った。そのままシーツを頭から被ることでなんとか耐えようとする。そんな私にカミュが声をかけた。
「…そのために、顔を赤くしていたのか」 「ただの夢なのに、赤くなるなんて変なのは分かっているから!そのことに関しては何も言わないで!」
穴があったらさらにマントルまで掘り下げて隠れてしまいたい。 シーツの中でくらくらとする意識の中、なんとかそれに耐えようとしているとカミュが呟くように言った。
「…不安に、させていたのだろうか」
その言葉よりも、その声こそがどこか不安げに聞こえて顔をのぞかせた。目があったカミュが小さく息をつき、私の隣に腰かける。すっと伸ばされた手に頭を撫でられ、子ども扱いかと唇を尖らせれば彼は僅かに頬を緩ませた。
「……?」 「大切にしようと思っていたのだが」
不安にさせてしまったらしいと申し訳なさそうに言ったカミュに私はとにかく必死で首を振る。
「大切にしてくれているよ!カミュはすっごく!」
それこそ私なんかが文句をつけられるようなものではない。だから私は決して不安ではなかったのだ。
カミュは私の言葉を黙って聞いていたが、数秒後に黙ったまま私を抱きしめた。そんなことをされるのは初めてのことで、混乱の中でも心拍数が異常なほどに上がる。このままいくと、私の心臓は爆発しちゃうんじゃないか、なんて思うくらいの早鐘だ。
それでも、やっぱり嬉しい気持ちと幸せな気持ちが、それ以上に胸の中に湧き起って私はそのままカミュの胸に頭を預けた。暖かくて広いそこで、カミュの香りを胸いっぱいに吸い込む。変態みたい、なんて思いながらも、初めての経験が幸せで頬が緩んだ。
そして思う。
好き、なんて言葉はやっぱりいらないかも。
だって言葉がなくても、カミュが私のことを大切にしてくれているのは分かるし、愛されているということも感じる。カミュがこんなふうに抱きしめるのは、きっと私だけ。それで十分だ。言葉は、カミュの分を私が彼に伝えれば良い。
「カミュ、すごく好き、大好き」
カミュはその言葉にもっと強く抱きしめてくれた。 これ以上抱きしめられたら、本当に私は消滅する。というより、消滅しても良いくらい幸せだ。
やっぱり、言葉なんていらない、そう思った刹那。
「私のほうが、なまえを想っている」 「は、」
それはあまりにも突然の言葉だ。心の準備なんてしていなかったから、私はそれを理解するのに少々の時間を必要とした。さらに、その言葉を理解した後も、いや、理解したからこそ私は硬直する。
なんてことだ。
先ほど、言葉なんていらないと思ったばかりだったのに!
カミュのたった一言が、私のその決意を粉砕したのだ。
彼の言葉は素直に嬉しいと思う。
絶対に嘘をつかない、誰よりも真っ直ぐな人だから、余計に。口で伝えることのできる愛と、行動で示す愛があるけれど、この人のそれはどちらも信じてしまう。
私、彼に愛されているんだ。
それは、夢での衝撃を遥かに越え、私に直接の影響を与える。 自分の頬が熱くて仕方がない。心臓も、うるさい。それに本格的にくらくらとしてきた。そんな私にカミュはなおも止めを刺す。
「好きだ、なまえ」 「…っ」
頬に手を添えられ、上を向かされる。カミュと目が合うと、そのまま髪を梳かれた。大きな手が、髪をするすると梳いていくのが心地良い。だが、
「愛している」 「も…、もういい、よ」
恥ずかしくて、嬉しすぎてどうにかなってしまいそうだから。
カミュの髪の赤、鏡に映る私の頬の赤、カミュがいつも纏う黄金、私がいつも着る白、青空、花、草、今この瞬間も世界は色に満ちている。
鮮やかなそれが、瞼の裏でちかちかするほどに鮮烈に私の目に焼き付く。 一瞬、一瞬を逃さないように。彼といられるこの時を忘れることがないように。
再び頬に添えられた大きく節くれだった手に、私の手を重ねた。
「わ、たしも、カミュが好き、だよ」
ぽつりと吐露した心情。 温かな赤と、柔らかな笑みが、そこにあった。忘れたくないほど、綺麗な笑顔に一瞬見惚れる。不思議そうに私の顔を覗き込んだカミュの胸に、私はそのまま頭を預けた。
とくんとくんと規則正しい音を伝えるそれに目を伏せた。そうすると、恥ずかしかったことや色々なことがどうでもよくなる。そしてそれと相反するように高まる気持ち。それは私の恐らく根本にあるもので、私はその気持ちに従うことにする。
ただ黙りカミュの背中に手を回す。とくりと一瞬早くなったように感じた彼の鼓動や暖かな体温に、だらしなく緩んだ頬はそのまま放置。
そのままさらさらと髪を梳いてくれる彼にされるがままになって、ぼんやりと考える。
ああ、
やっぱり私はこの人が好きなんだ。
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