「右だ!!」
短い怒鳴り声に即座に反応し、右へ銃口を向ける。
直後、天井から床へと落ちてきたそれに引き金を絞り込んだ。
銃弾は黒い影の正体である低級の悪魔の腹部へと直撃したが、それが身を反らしたため僅かに軌道を逸らされ絶命させるには至らない。耳障りな悲鳴が響き、血を吐き出したそれが私に向かい長い爪を振りかざし地面を蹴った。
「っ!」
宙へ舞ったそれの心臓に銃弾を撃ち込むのと、アイオロスさんが背後からナイフを投げたのはほぼ同時だった。
胸に食い込んだ銃弾とともに眉間に深く突き刺さったそれを外すことなく、私のすぐ目の前に落ちたそれは、もう動かなかった。
「…助かりました、アイオロスさん」
絶命していることを確認し、背後へと振り返る。銃を手にしたまま私へと足を進めたアイオロスさんは私の言葉に肩を竦めた。
「私がナイフを投げずとも君の銃で十分だったようだがな」
アイオロスさんはそれ以上何も言わず、ゆっくりと私を通り過ぎ、地面に倒れ伏した悪魔の前に膝をつく。
そして額に突き刺さったそれを引き抜いた。
赤黒い血がぴっと飛び出したことに顔を顰める。 だがアイオロスさんはまったく気にせずに血に濡れたナイフを持ち、立ち上がりながら振り返った。
「…それで、保護対象は?」 「解放と同時に逃げ出しました」
今頃外の住民に飛びついて警察でも呼んでいるだろうことを想像しつつアイオロスさんに告げる。
保護すべき対象を保護することができずに逃げ出されてしまった。 少し詰めが甘いことは否定できないが、連れ去られた被害者の保護または救出という今回の任務の条件はすでに満たされている。町に逃げた青年は処理班が保護し、カウンセリングを行ってくれるはずだ。
だがアイオロスさんは気に入らなかったらしく、それでも私にではなくすでに逃げ出した男性に対し嫌味を呟く。
「助けてくれた女に礼も無しに逃走とは情けのない奴だ」 「でも…、こんな状況下でしたら一般人はすぐに逃げると思いますよ?」 「特に銃器を持った悪鬼の如く形相の女が相手ならな」 「それ誰の事です、アイオロスさん」
冗談なのか本気なのかいまいち判断しにくい軽口をたたいたアイオロスさんを睨む。 彼はそんな私に楽しげに笑った。
まったく、仮にも女子に対して“悪鬼”とはとんでもない表現をする人ではないか。 そもそもそこまで私の顔はひどくはない。あくまで中間層にいると信じたい…、仮にそうでなくても本人を前にそんなことを言うなんて、やはりとんでもない人だ。そんな悪態を心の中でついた時、アイオロスさんの大きな手が、優しく頭に乗せられた。
「冗談さ」
ほんの一瞬頭の上に乗っていた手はすぐに離される。
その手の意味も分かっていない私が何か言うより早くアイオロスさんは「行くぞ」と言い、歩き始めた。よく分からなかったが、それほど重要な事でもないだろうと考えすぐにアイオロスさんの後を追う。
そんな私たちが足を止めたのは、ほぼ同じ瞬間のことだった。
ぐるりと部屋の中を見渡す。 背後で倒れている悪魔ではない。それ以外の何かの気配だ。
「…まだ、何かいます?」 「“何か”がな」
正体がつかめず、それでもどこからか感じる視線に顔を見合わせた。
任務の目的である悪魔はすでに倒した。救出対象もすでに危険区域を出ているはずだ。与えられた任務は一応完了している。
違和感を放置し任務を強制的に終えるか、調査を続けるか。その二択の答えはすでに決まっていた。
「行くぞ、なまえ」 「はい、アイオロスさん」
銃弾の予備を確認しながら、すぐにアイオロスさんの後を続く。
何か気がかりを残し、処理班を呼ぶわけにはいかない。 処理班の人間はほとんどが非戦闘要員で構成されている。彼らを守るためにも中途半端な任務の切り上げは許されない。
「でも…、どうします?」
相手の正体も場所も知れない。
アイオロスさんを仰ぎ見ながら問いかける。 彼は一瞬黙り込んだ後に私を見て人差し指を立てながら提案した。
「相手の居場所も正体も分からないが、こそこそと隠れている雑魚相手に手間がかかるのも面倒だ。いっそのことこの廃ビルに火をつけて…」 「無理です」 「冗談に決まっているだろう、そんなに真面目な顔をしてくれるな」 「…え、ちょ…っ、ちょっと、アイオロスさん?」
目を細めたアイオロスさんに銃口を向けられる。
なんだ?否定したからか?だから今から私の額の風通しが良くなることが彼の中で決定してしまったのか?
そんな馬鹿な!
私はそう思うが、銃口はだんだんと額に向かい、そして
通り過ぎた。
私の頭上へと銃口が向いた瞬間、アイオロスさんが間もなく引き金を絞る。 すぐ近くで聞こえた大きな銃声に反射的に身が竦んだ。喉の奥に何とか悲鳴を押し込み、呆然としながらもアイオロスさんを見上げる。
「なっ…なにをっ」 するのですかと続けられるはずだった言葉は飲み込まれた。
背後で短い悲鳴が聞こえたためである。
肩越しに勢いよく振り返ると、窓からこちら側へ倒れこむ青年の姿。先ほど、ここから逃がした保護対象のはずだ。倒れこんだ彼の体から勢いよく鮮血が溢れだしたのを見てアイオロスさんに向き直る。
「…なんてことを!!」
慌てて応急処置をするために駆けつけようとした私の腕をアイオロスさんが掴む。「状況観察を怠るな」そして私が手とその言葉を振り切るより早く、倒れこんだ彼にアイオロスさんはさらに銃弾を撃ち込んだ。
普通の人間なら、怯み、判断に悩んでいる間に撃ち殺されるだろう銃撃。
しかし、彼は顔をあげた瞬間、近くに倒れこんでいた悪魔の体を盾に身を守った。一般人だとしたら信じられないほどの状況判断能力と行動力、そしてあまりに素早いその身体能力に気が付く。彼は、違う。
慌てて私も身をひるがえし、それに銃を向ける。だがやはり人間だと思い込んでいた青年にまだ迷いを振りきれていないというのも事実で、銃声の合間に声を張り上げる。
「保護対象じゃ、なかったんですか?」 「あれが保護すべき対象に見えるか?」
冷静なアイオロスさんの言葉の直後にかちり、と乾いた音が響いた。弾切れか。
アイオロスさんがその用済みになった銃をホルスターに手早く戻す気配と同時に、全身を悪魔の血と、自ら流した血によって赤く濡らしたそれはゆらりと立ち上がった。
「…保護対象には見えませんね。でもこんなことってあるんですか」 「情報の混合の結果としてよくあることだ」
そんな一言で片づけられる状況ではないだろう。 何が目的かは知らないがあのままでは人外のこれを逃がしてしまうところだった。それも人の多く住む町にだ。
考える間もなく、唸りながら飛び掛かってきたそれの横腹に蹴りを入れ、壁へと叩きつけた。すぐに照準を合わせ発砲する。だがそれが壁を蹴り、飛びのいたため、足首に銃弾はかすっただけだった。
「では、あれは何故戻ってきたんです!?倒してしまっていいんですか!」 「野放しにしておくつもりか?」 「まさか」
ならばここで片付けなければならないことは分かっているだろう。アイオロスさんの低い言葉に従う以外の行動を私は知らなかった。
「戻ってきたのは都合が悪いからだ。私はこれと初見だが、直接会った君に正体を気付かれると面倒だから、先に片付けておこう、そんなところだろう」 「私のせいですか?」 「他に何が?」
本来なら最初に出会ったときに気配に気が付き止めを刺しておくべきだったのだというアイオロスさんの意見には全力で同意ができる。しかし、それでも私は気づくことができずに逃がしてしまったのだ。それが私のせいと言わず、誰のせいになるのか。他に何が問題があると言ったアイオロスさんに顔を顰めて首を振る。
「いいえ、何も」
先ほどは今の溢れるような悪意や殺意がすっかり身を潜めていたから気が付かなかった。…気が付かなかったで済む問題ではなくなるところだったが、これは私のもとへと戻ってきた。私を片付けるためだったとしても。
何にせよ、人々のためにも町に出すわけにはいかない。
そう思った瞬間、アイオロスさんに背中を押された。
「え?わ、わっわっわ、」
慌てて足を出そうとしたところに死んだ悪魔が倒れこんでいることに気が付き、踏みつけないように足を前に出した。そのため大きく態勢を崩しかける。そこへ元保護対象のそれが飛び掛かってきた。
銃を向けるにしても、この態勢からでは軌道がずれ、まず当たらない。
ならばと隠しナイフへと手を伸ばした瞬間、短い発砲音が響き銃弾がそれの脳髄を打ち抜いた。瞳から光を無くし、腕をだらりと落としながらも飛び掛かる勢いだけは消えなかったそれを、飛び込んできたアイオロスさんが蹴り飛ばした。
壁にぐしゃりと叩きつけられたそれは、もう動かなかった。
無表情にそれを見下ろしながら私の前に立ったアイオロスさんへと視線を送る。
「…何故、押したんですか」 「ちょうどいい囮になってくれたことを感謝している」 「そんなところだろうと思っていましたけど、ちょっとは優しさを期待した私が間違っていたみたいですね!」
やはり彼の私に対する扱いは、パートナーに対するものとは思えないのだが、私の認識が間違っているのだろうか? 世間一般ではパートナーを囮に敵の前に弾き飛ばすものなのか?
…恐らく、私の認識が間違っていないのだろうが、真にそれが正しいことを祈る。 そんなことを考えながら、もう動かなくなった二つの死体を見下ろした。
ふいに私を見たアイオロスさんが言う。
「もう死んでいる」 「…そうですね」 「何故踏まなかった?」
悪魔を指しているだろう言葉に、それを見下ろす。
「何故、ですか?」
踏めるはずがない。 例え悪魔とはいえ、死後にも辱めを受けさせる必要はない。私はそれをもう何度も言っている。だからもう知っているだろうとアイオロスさんをまっすぐに見つめた。
私の心意に、アイオロスさんはすぐに気が付いたのか首を振った。
「違う、そうではない。君は生きている、これは死んでいる。それが事実だ。死んだ者に気を使いすぎ、君が危険を冒してどうする?」
ようやくアイオロスさんの言いたいことを理解した。 死者への敬意の前に、今の命を大事にしろとでも言いたいのだろう彼が、それを決定づける言葉を口にした。
「お前の態度ではいずれ命取りになるぞ」 「…だからといってどのような相手でも死体を無碍にすることは許されるべきではありません」
私の言葉に、アイオロスさんはしばらく地面に転がったそれらを見下ろしていたが、やがて無表情のまま踵を返した。
「あの、彼は結局何だったんですか?」
壁に寄り掛かって死んだ、人の姿をしたそれから視線をそらさずにアイオロスさんへ問いかける。アイオロスさんは「さあ」と短く呟いた後、ほんの一瞬だけ足を止め続けた。
「悪魔と長時間ともに居続けると、気が触れてあちら側に引きずり込まれる人間がいると言うが。それか、元から奴らの仲間だったか、どちらかだ。どちらにせよ、なまえ、迷う必要はない、それは我々の倒すべきものだった」
短く、どこか冷徹ささえ感じるその言葉に一瞬言葉がつまる。しかしすぐになんとか言葉を彼へと投げかけることに成功した。
「何故、倒すべきと決まっているのでしょう?彼は一度逃げました、戻ってきたのは、正体に気が付いた私が自分を殺しに来るかもしれないと言う恐怖心からではないのですか?だとしたら、暴力が暴力を呼んでいるだけで、彼は何も悪くないのでは…」
アイオロスさんはその言葉に振り返らずに再び歩き始めた。
「しかしただ単に殺人を楽しんでいただけかもしれない。もしも、などとそのようなことを言えばきりがなくなる」 「でも…」
もしかしたら、彼にも大切な人がいたのかもしれない。 そう思うと居たたまれない気持ちになった。悪魔だから、それらの仲間だから、大切な人がいないとも限らない。
「外見は、ただの人ではないですか」 「外見で中身を量ることはできない」 「中身を量るだけの時間を私たちは持ちません」 「ああ、持たない。他者の内部を正確に知りきるだけの時間を私たちは持たない。それを持つのは神々だけだ、神々はそれを我々に与えなかった。与える必要がないと判断したからだ。だから種族でエクソシストは判断するしかない。なまえ、もしも恨むのなら何も与えない君の神を恨むが良い」
私はあくまで神に従うが、なんて道化師も笑ってしまうような台詞を吐いたアイオロスさんに足を止めた。
アイオロスさんはそのまま低い声で続けた。
「いつまでたっても甘ちゃんは治らないな」 「なんのことですか」 「それを踏みつければ態勢を崩すことはなかっただろう」
私が踏みつけないだろうことを見越して背中を押したくせに、そんなことを言うアイオロスさんに黙り込んだ。
だが、その沈黙にキリがないと判断するとすぐに私は会話を続けることを選ぶ。
「私は、神に感謝こそすれ恨むことなどありません」 「君の神は、人に何も与えやしないのに?」 「安息と平穏をお与えくださいます」
何度目のやり取りだろうか。 この件に関しては分かりあえないだろうことを知りながら、きっぱりと言うと、アイオロスさんはようやく振り返った。 私はちょうど取り出した十字架を部屋のドアノブにかけているところだった。
「それは一体、どういうつもりで?」
私の行為について訊ねたアイオロスさんに向き直る。最後に十字架をそっと握り祈りをささげた後に答えた。
「せめて彼らが主から死後の安寧を与えられるように」
その回答にアイオロスさんは鼻で笑った。
その反応はすでに想像していた通りで、私は怒る気も起きずに肩を竦める。
「君は、本当にこの仕事に向いていないな」 「私はエクソシストですよ」
向いている、向いていないの問題ではない。 覚悟があるか、どうか。重要なのはそれだけだ。そして私はその覚悟を持っている。自分がエクソシストでいるという覚悟を、もうずっと昔に決めている。
改めて私の顔を見たアイオロスさんはすぐに息をつくと目を伏せた。 そしてもう問題は終わったとばかりにくるりと体の向きを変えて歩き出す。報告をするための携帯を取り出しながら、彼が私に声をかけた。
「帰ろう、なまえ」 「はい、アイオロスさん」
なんだかんだ言って、私のことを待ってくれる、または共に行こうとしてくれるアイオロスさんに少し嬉しく思う。
パートナーとして、最初のころより少しは認めてくれているのだろうか。 その答えなど私には分からなかったが、今はそれで良い、ただそう思い彼の後を追った。
背後で風に揺れ、扉に当たり音を立てた十字架を一瞬だけ振り返り、そしてもう私たちは振り向くこともなかった。
多分明日も明後日も明々後日も、私は何も与えないとアイオロスさんがいう神を信じ、主のために多くを殺す。今までそうしてきた私には今更停滞などできないのだ。それが自己を守る行為であり、同時に他者を守る行為であると、私は信じて疑わない。
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