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実に困ったと、頭をかいた。だが、そうしたところで、もちろん状況が好転するはずもなく、どうすべきかも分からずに一つ息をついた。


「なまえ」
「・・・」


無視である。何故か体育座りで壁に向かって微動だにしないなまえは先程から、私の言葉に反応すら示してはくれない。かれこれ、二時間くらいはこの状況だろうか。カノンに誘われたらしく、双児宮にまで飲みに来て大騒ぎをしていったアイオロスやデスマスクたちを自宮に追い返して、まだ飲み足りないと騒ぐ愚弟にそれなりの金を持たせて、外で飲んで来いと追い出した。それから、なまえはずっと、壁と睨みあいをしている。


「なにを怒っているんだ?」
「・・・」


何を話しかけても無視だ。これでは解決できるものも解決できない。そもそも情けない事に私には彼女が何故こんなにも怒っているのかさえ分からないため、もはや為すすべもないというのが事実だ。

真っ黒な髪を梳けば、なまえが少し反応した。もしかしたら、怒っているわけではないのかもしれない。壁とにらみ合うなまえは、何かを深く考え込んでいるようにも見えた。


「なまえ」
「・・・」
「話してくれなければ分からない」
「うん」
「私が何かしたのなら謝る。だから、ちゃんと話してくれないか」
「違うの、サガは悪くないのよ。ただ、わたし・・・、わたし、聖闘士になりたくて、それで・・・」
「は?」


ぽつりと呟いたなまえの黒い目がようやくこちらを見た。とはいえ、彼女の言葉の意味が分からずに問い返せば、なまえが突然飛びついてくる。そのまま腰に抱きついたなまえの黒い髪を梳いてやれば、彼女はもう一度同じことを呟いた。


「サガ、わたし、聖闘士になりたいの」
「何故急にそんなことを・・・」
「今晩初めてアイオロスの筋肉はがしてやりたくなったわ」
「なまえ、ちゃんと説明してくれ。それから筋肉を剥がしてはいけない。あいつの唯一のアイデンティティーを奪ってやるな」


ぎゅ、と腰に回された腕が強まった。なまえは真っ黒な目で私を見上げると口を開いた。


「サガがアイオロスと、すごく仲が良いから」
「それは・・・、なんというか、幼いころ長い時間を共に過ごしたからな」
「ずるいわ」
「・・・そうか?」
「だって、あの人はわたしの知らないサガを知っているんだもの」


子供の頃のこと、任務先でのこと、戦闘に関して、わたしの知らないたくさんのサガを、アイオロスは知っているとなまえは頬を膨らませて続ける。ああ、まったく、彼女はそんなことを二時間も考えていたのか。


「聖闘士になったら、一緒に任務にだって行けるでしょ」
「なまえ、残念だがそんな理由では女神の聖闘士にはなれないな」


そう言って苦笑をすれば、彼女は唇を尖らせた。ああ、まったくなんて、なんて可愛い娘なのだろうか。その行動全てが私にむいているととっても、大げさではないと思えるほどには愛を感じられる。ああ、本当に、なんて可愛い


「なまえ、コーヒーを淹れようか」


抱きついたままの彼女の頭をなでながらそう言えば、黒の目が私を見た。


「グリークコーヒーがいいわ。砂糖をいれた、とびきり甘いの」
「ああ」
「淹れてくれる?」
「もちろん」


ソファに移動したなまえの背中を見送った後キッチンに淹れる。粉と水を専用鍋に入れて火にかける。その間に二つのカップを準備しようと棚に手を伸ばした瞬間、背後にとん、と衝撃を感じた。


「なまえ、どうかしたか?」
「やっぱり、待っているより一緒にいたくなったの。手伝うわ」
「そうか、ではカップを出してくれるか?」
「うん」


棚からふたつのカップを取りだしたなまえが私のよこにたつ。こうしてみると、本当に小さいなと見つめていると、目があった。


「わたし、貴方のこと、ほとんど知らないのね」
「そんなことはないだろう」
「だって、貴方がどうやって戦って、どうやって生きてきたのか、ほとんど知らないもの」
「私も、なまえが何を考えて、どうやって成長してきたのか、ほとんど知らない。どちらも同じだ」
「知りたいと思うのは傲慢?」
「まさか」


恋した相手が自分を知りたいと言ってくれることを不快に感じるはずがないが、どうも気に入らないらしいなまえは未だ浮かない顔をしている。


「・・・じゃあ、サガ」
「なんだ?」
「ちょっとわたしのこと、殴ってみてよ」
「な・・・、い、いきなり何を言い出すのだ!!できるはずがないだろう!」
「だって、さっきアイオロスのこと殴っていたじゃない!なによ、アイオロスにはできて、わたしには出来ないっていうの?」


どうやらなまえは、相当アイオロスに対抗心を燃やしてしまったらしい。そもそも、恋人と仲間という立場の違いなど彼女には関係のないことらしく、しきりに奴にしたことと同じことを要求してくる。だが、だからといって、あの頑丈だけが取り柄の男と同じ仕打ちをまさか彼女にできるはずもない。さて、実に困ったことだ。鍋の中で、ぼこりと泡が立った。


「そうだ、落ちついてくれ、落ちついて考えるんだ、なまえ」
「私は落ち着いているわ」


なまえが鍋の中のコーヒーを泡だてる。そろそろ丁度いいかもしれない。彼女の視線が瞳と同じように黒い液体に注がれる。ぐるぐるとかき混ぜ続けて、泡立ってきたそれをしばらく黙っていたなまえがようやく私を見たかと思えばすぐに口を開いた。


「馬鹿なことだって、分かっているの。アイオロスに嫉妬だなんて。でも、ねえ、サガ。わたし、どうしても貴方の一番がいいのよ」
「そう、か」
「女神様より、とは言わないけれど、でも、男のアイオロスよりはって思ってしまうのは、やっぱり我儘かしら」
「いいや、そんなことはないよ」


ごぽりとコーヒーが粟立って、なまえが火を止めた。慣れた様子で手際よくコーヒーをカップに注いでいくなまえの名前を呼べば、彼女が振り返る。真っ黒の夜の瞳に、私が映り込む。


「なまえ」
「なに、サガ」


彼女の声に、すかさず頬にキスを落とす。即座に目を丸くした彼女は、そこに手を当てると白い頬を赤く染めた。日本人は、こういったスキンシップには慣れていないといったが、確かにそれは間違っていないらしい。先程までアイオロスがどうのこうのと言っていたなまえはもはや、そんなことなど考えられないのか、わたわたと慌てだした。


「な、なに急に?え?」
「なまえはアイオロスが、私のことをよく知っていると思っているようだが、」
「・・・うん」
「私はあいつにこんなことはしない」
「していたら気持ち悪いわ」
「ああ、私としても是非遠慮したい」


気持ち悪いからと少し顔を顰めた彼女に、確かにそうだと笑いを漏らせば、しばらく間を置いて、なまえも微笑みを浮かべた。


「愛しているというのも、なまえだけだ」
「うん」
「天地がひっくり返ってもあいつには言わん」
「そうね」
「日向で紅茶を飲んだり、のんびりと朝を過ごしたり、そういった時間をともに過ごすのはなまえだけだし、私が仕事まみれではなく、そういったことをすると知っているのも、なまえだけだ」
「うん」


彼女の機嫌はすっかり良くなったらしい。すでに顔には笑みが浮かんでいて、コーヒー片手にくっついてくる。


「なまえは、私の一番の恋人だ」


砂糖をスプーンで掬って、黒の中にばさりと入れたなまえの額にキスを落とせば、今度は耳まで真っ赤になった。



濃いめのコーヒーに砂糖を入れて
(甘い甘い夜にしませんか)

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