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しかし、なぜこんなことになったのだろう。分からぬ。全く何事も我々には分からぬ。理由も分からずに押し付けられたものをおとなしく受け取って、理由も分からずに生きていくのが、我々生き物のさだめだ。

その時わたしの頭の中をよぎったのは、永遠の名作山月記の中盤で主人公李徴が自らの運命を、悲しみにまみれながら語った時の台詞だった。山月記、名作だ。あの無慈悲な運命の話はもはやわたしの教科書だ。あのやりきれない感じがたまらない、とまらない!何度も読み返したせいで本はすでにボロボロだけど、もう愛読書すぎて、だいたい暗誦できちゃうぞ!まあ、それはとにかく、その李徴の台詞というのを、わたしほど体現したことのある人間は少ないのではないだろうか。

「あの、痛いです」

アイオロスさんとサガさんの胸板にばっちり挟まれている。うわー、ムキムキだー、とか言いたいことはあるのだが、それ以上に痛い。必要以上に近づいて罵り合う二人はとてつもなく恐ろしく、できることなら関わり合いたくないのだが、何故か私は二人に挟まれたまま、そこから脱出できずにいる。どうしてこうなったんだろう。

「そもそもアイオロス、お前は聖闘士としての意識が少したるんでいる!毎日毎日、なまえを寵愛することだけに時間を費やしていること、聖闘士として恥ずかしくないのか!!」
「それは負け惜しみにしか聞こえないぞ、サガ。確かに私はなまえが可愛いし、構っている。けれど聖闘士としての任務は全て完璧に遂行している!そこに聖闘士としての意識のたるみなど無い」
「私が言っているのはデスクワークについてのことだ!」
「そもそも聖闘士は肉体労働で、デスクワークは神官の仕事のはずだろう?それを自分から率先しているのは、サガ、お前の意思だ。それを私にまで押し付けるのはどうかと思うんだが、お前はそれをどう考えているんだ」

わたしが執務室に来た時すでにこの状態だった。なぜこんな話になっているのか分からないのだが、兎も角頭上でぷりぷりと怒るサガさんとアイオロスさんは非常に怖い。誰か助けてくれ。そもそもなんでこの二人はこんな近くで言い合いしているんだ。止めに入ったわたしが挟まっていることを、もはや忘れていたりしないだろうなと彼らを見上げると、サガさんと目があった。

「あの」
「ほら見ろ、アイオロス!なまえがこんな悲しげな顔をしているのはお前のせいだ!お前が彼女の仕事を邪魔するから、なまえは必要以上に急ぎ仕事をしなければならなくなり、その結果疲労が増すのだ!」
「え、は?」

悲しげな顔というより、苦しいんですよ、サガさん。ええ、わたしは悲しいんじゃないんです。そう言おうと思ったが、それより先にアイオロスさんが口を開いた。

「むしろなまえにいらぬ心労をかけさせているのは、サガ、お前のほうだ」
「なに」
「お前が徹夜をするたびになまえはそれを手伝い、ともに朝まで仕事を行い、お前の睡眠不足と体調を常日頃から心配させているじゃないか」
「小賢しい反論をするな。だが、お前がそのつもりならば私にも考えがある。…どちらがより正しいか、なまえ自身に聞いてみようではないか!」
「望むところだぞ、サガ!」
「さあ、なまえ、私とアイオロスのどちらが好きか言ってごらん」
「遠慮なんてすることないぞ、ほら」

なんでわたしの話になっているんだ。というか激しく論点が変わっていっていることに気づいてほしい。ほんとうに、意味が分からない。
というか、そろそろ本当にこの胸板ばさみから脱出したい。ムキムキすぎて、ぶつかっている頬が痛いぞ。

「あの、お二人とも・・・」

そう言って離れようとした瞬間、扉が開いた。言い合いをしているサガさんとアイオロスさんは気づいていない。そちらに動かぬ身体をそのままに首だけ向ければ、目を丸くした沙織ちゃんとミロさん、そしてアイオリアさんが立っていた。

「え、あ・・・なまえさん・・・!!」
「あ、沙織ちゃん!」

助けて!と言おうとした言葉は、沙織ちゃんの悲鳴によって呑み込まれた。

「これは大の男二人が、一人の少女を取り合っている図ですか!!?リアル少女漫画ですね、分かります!」
「いや、分からないよ!」
「ああ、わたしは初めてそのような感動的な場面に対面を果たしました!!」
「それ誤解だよ、沙織ちゃんんんん!!!!」

全然感動的ではない!遺憾の意!だというのにその誤解に対して、何故か嬉々として大喜びしはじめた沙織ちゃんは正直ちょっと怖い。さすが戦女神だ、なんて見当違いなことを考えていると、彼女が突然ニケで思い切り地面を叩いた。ドゴンと、有り得ない音がして、アイオロスさんとサガさんが静かになってそちらを見ると慌てて膝をつく。

「女神!」
「このような場所においでになる必要は・・・」
「サガ、アイオロス。そこに座りなさい。非常に良い物を見させていただきましたが、なまえさんは私の大切な補佐ですよ。それを貴方達は・・・」


そして長い長いお説教が始まった。

くどくどと小さな口から流れ出す叱りの言葉に大きなサガさんとアイオロスさんが小さくなっていく姿はなんだか不思議だった。だが、その光景もミロさんの一言によって終わりを告げる。

「お言葉ですが、アテナ!」
「なんですか、ミロ!」
「私の大切な補佐とかいうわりには、なまえはあまりアテナの周囲にいないので、俺たちが構うのも当然かと!」

ぴしりと空気が固まった気がした。何故かそれを聞いた沙織ちゃんは物凄く恐ろしい笑顔でわたしを見た。え、あれ?なんでわたしが怒られる感じの雰囲気なんだ?

「・・・なまえさん・・・」
「な、なあに、沙織ちゃん!」
「確かに言われてみればそうですね・・・。なまえさんは、私の補佐です。サガやアイオロスの雑用ではないでしょう?それを何故いつもいつも彼らの世話ばかり!」
「ちょ、わ、分かった!分かったから落ちついて、沙織ちゃん!ミロさんも空気読んで発言してくださいよ!!」
「空気は透明だ」
「ああ、空気は透明だよな」

貴方達の口は慢性的な下痢でも患っているんじゃないのか。何故思ったことをそのまま全て口に出してしまうのだ。口は災いのもとだと良く行ったものだ。今一度その意味を考え直してくれ。空気は透明だと、アイオリアさんの言葉に納得したのか頷くミロさんにそう叫びたかったが、掴みかかってきた沙織ちゃんによって遮られた。

「ひどいではないですか、なまえさん!さあ、言ってください、私の一番のお友達だと!」
「とっ、友達だよ!!沙織ちゃんが一番の友達!だから、ニケを構えるのはやめてー!!」
「分かってくださればいいのです」
「なまえっ、それなら私はなまえのなんだい!」
「ああもう!いいですか、アイオロスさん!貴方は何故そのような下らない問題から離れられないんですか?私のことなんてどうでもいいんです!それを原因にサガさんと喧嘩をするのは止めて、友達なら仲良くしてくださいよ!サガさんも、寝不足だからそんなにイライラしてアイオロスさんの言葉にいちいち口をはさみたくなるんです、ちゃんと睡眠を取ってください!いいですね!今からシーツを取ってきますから、それまでに横になっていなかった場合はアイオロスさんが貴方に何かをします!」
「なにかとは随分とアバウトだな」

一度に言いきって、少し苦しくなった。でも今までずっとため込んできたことを一気に吐き出せてなんだか少しすっきりしたみたいだ。と思っていたら、肩を掴まれた。振り向けば、何故か目を輝かせているアイオリアさん。

「あの・・・?」
「女神以外に、あの二人にあのような啖呵を切った人間を始めてみたぞ」
「・・・そうですか」

思えば、少し言いすぎたかもしれない。謝るべきかと二人を見れば、何故かサガさんとアイオロスさんも頷いて私を見た。

「さすがなまえだ」
「ああ、私が見込んだだけある」
「え、なんかほめられているようでそうでない気がするのはわたしだけですか」

だが、私の言葉など聞こえていないのか、アイオリアさんは目を輝かせたまま私の両肩を掴んだ。目が捕食前の肉食動物みたいな光を宿している。え、な、怖いんですが・・・!!

「なまえ!お前は強い!」
「いや、強くないです。だから、アイオリアさん!そんな好戦的な目でわたしをみないで!」
「男として俺はお前を認めよう!だから手合わせを願いたい」
「い、いやですっ!!死にますから!私が死にますからあああ!!!」
「あっ、逃げるな、なまえ!!」

ふぁーん?逃げるな?それはできねえ相談だってことさ。アイオリアさんの手の力が緩んだ隙に、近くの窓から外へ飛びだす。一階で良かった。奥ではアイオロスさんたちが何かを騒いでいるが、兎にも角にも脱出は成功の様だ。なまえちゃん一安心!

と、思っていたら、何故か巨蟹宮でムウさんに捕まった。

「え、ちょ、なんですか?なんなんですか、その紫いろの液体!うわっ、なんかデジャヴ!!」
「安心してください、なまえ。これは猫耳としっぽが生えてくるもので、別に小さくなるわけではありませんから」
「そっかぁ、じゃあ安心ですね!・・・なんて言うと思いましたかぁ!!!」

全然安心できないよ!わたしにそんなものが生えたら地上殲滅兵器になってしまう。その状態の沙織ちゃんやパンドラちゃんが戦場に行くと兵士さんたちが「萌えー」って言って、戦闘中止、平和が訪れるんですね。でもわたしがそれで戦場に突撃すると、兵士さんたちが「ぐわああ、目が腐ったあああ!」ってなるんだよ!あれ、なんだか悲しくなってきたな!

「さあ、飲んで下さい!!」
「嫌ですから!たまにはご自分で飲んだらどうですか」
「私に猫耳など生えても誰も喜びません」
「私に生えたって喜びませんよ!」
「何を言うのですか!そんなことになったら聖域が狂喜乱舞です!」
「意味分かりませんから!!むぐっ」

頬を笑顔のムウさんに無理やり掴まれる。怖い。本当に怖い。どれくらい怖いかっていうと、貞子が髪の毛を風になびかせて「神よ・・・私は美しい」ってやっているのと同じくらい怖い!

「むーっ!むー!」
「ふふ、何を言っているかまったく分かりませんね」

それは貴方が私の頬を片手でがっちり掴んでくれているからだよ!うわあ、ちょ、まじでやめて紫いろが私に攻撃してくるよ!神様仏様沙織ちゃん助けて!!

「ムウよ、なまえになにをしているのだ」
「嫌がっているではないか」
「シャカ、アルデバラン」

もうあと一センチきっていた。紫いろの凶器が。でもわたしとムウさんの間に入り込んでくれたシャカさんとアルデバランさんのおかげでそれは阻止された。神様も仏様も沙織ちゃんも助けてくれなかったけど、この二人が助けてくれたから、今日からわたし、この二人を信仰しようかな!!

「さて、なまえよ。助けてやったのだから、拝みたまえ」
「まあ、こうなるって分かってましたけどね!!たまには自分で拝んでみたらどうですか。イースターのモアイでもジャングルの奥地のトーテムポールでもご自由にどうぞ!」
「拝んだところで意味などない。拝まれることに意味があるのだ」
「いや、言っていることがまったく分かりません」

なんだってこの人はすぐに拝んでもらいたがるんだ?拝まれると元気が出るとか?それとも拝まれると強くなったりするのか?いやいや、それはないだろう。それは人間としておかしい。

「シャカも、なまえが困っているだろう」
「ううっ、アルデバランさん、まじで天使!!」
「はっはっは、天使か。そんな柄ではないのだが、まあなまえの言うことだ。有難く受け取っておこう」
「ええ、天使が気に入らなければ・・・聖人とか」
「お前は本当に面白い娘だな」

わしわしと頭を撫でてくれる大きな手に笑みが漏れる。この人ほど優しい人がかつていただろうか。なまえちゃん、今ならアルデバランさんの優しさに泣けるぞ!彼の優しさに全俺が泣いた、だぞ!

「…シャカ、貴方は度々私の邪魔をしてくれますね」
「さて、何のことだね」
「以前、私がなまえのために調合した語尾に“にゃん”がついてしまう薬も勝手に飲んでしまいましたし!!」
「むっ!あれはお前の作ったものだったのか!このシャカ、あのような屈辱を決して忘れはせぬぞ!」
「こちらこそ、あれを作るのに費やした時間が貴方のおぞましいにゃんという語尾によって全て粉砕されたときの絶望感を忘れてはいません!」
「落ちつけ、お前達」

ぎゃあぎゃあと喧嘩を始めたシャカさんとムウさんの間に頭をかきながら入って行ったアルデバランさんを見送る。そろそろ技の打ち合いになりそうだから、わたしは近寄れない。近寄ったら死に直結しますからね、と息をついたとき肩を叩かれた。

「なまえ、こんなところで何をしているんだい?」
「アフロディーテさん。ちょっと色々ありまして」

そう言ってシャカさんたちのほうをみれば、アフロディーテさんは呆れたように溜め息をついた。

「まるで幼稚園だ」
「こんな危険な幼稚園嫌ですけどね」

とうとう始まった技の打ち合いを遠巻きに見ていると、遅れてデスマスクさんとシュラさんがやってきた。両手に抱えられたたくさんの食材を見る限り、今晩は皆で夕食を取るのだろうか。

「アフロディーテ!荷物を置いて先に帰るな!!」
「おや、それはすまなかった。気がつかなかったよ、仕事のできない蟹には荷物ひとつ運ぶのも大変だという事実に」
「ふざけんなよ!これくらい余裕だ!!」
「じゃあ双魚宮までよろしく」

完全にデスマスクさんの扱いをマスターしているアフロディーテさんを尊敬したい。デスマスクさんはあれで、結構単純なところがあるから乗せられやすい。褒めまくったら、照れた時はちょっと面白かった。笑ったら拳骨されたけど。だがアフロディーテさんはそういった彼を上手く利用している。うん、その技術には脱帽だ。

「なまえ、この後予定は?」
「え?いえ、今日はお休みなので何も」
「じゃあ、一緒に夕飯をどうだ?」

シュラさんが、こてりと首を傾げて問うてくる。断る理由なんて何もなくて、むしろデスマスクさんの美味しいご飯が食べられるならばん万歳だと頷けば、彼がふわりと笑った。背もとても高いし、がたいもいいはずなのに、何か可愛いな、ちくしょう。女としてちょっと悔しいぞー…。

「あっ、デスマスクさん!荷物、私持ちますよ!」

夕飯お邪魔しますし、と言えば先に大荷物を抱えて階段を上り始めていた彼はちらりと私をみると鼻で笑った。

「その貧相な腕で何をもつっていうんだ、なまえちゃん?」
「貧相!これでも鍛えているんですからね!!」
「なにでだよ?まさか腕立て一日五回とかしょぼいことは言わないよな?」
「もちろん、私がしているのは教皇の間と執務室の間の書類運びですよ」
「・・・ああ」

確かにあれは鍛えられるなと書類の量を思い出したのだろうか、デスマスクさんは僅かに遠い目で教皇宮を見上げた。だが、いつまでたっても荷物を渡してくれない彼の腕の中の荷物に手を伸ばせば避けられた。・・・なんでだ。

「なんで意地悪するんですか!荷物を渡してください、デスマスクさん!!」
「あーあー、うるせえ、そんなに持ちてえなら持ってろ!!」
「わっ!」

どさりと目の前に突き出されたのは荷物全部。めちゃくちゃ重い。一体なんの嫌がらせかと中を見れば、アフロディーテさんの薔薇園で使うのだろうか、大量の腐葉土の袋が一つ突っ込まれていた。さらに別の袋にはフランスパンだったリ林檎だったり、ワインだったりお肉だったり。というか、なんで食品と土がそれぞれの袋が違うとは言え、結局同じ紙袋に入っているんだ。さすが海外、フリーダムだな。ていうか、重い。持つと言っておいてなんだが、重い。

「ほらよ」
「は?」

その中からずいと差し出されたのは、黄色がまぶしいレモンが4つ入った袋。重い土やら食品やらを落とさないように気をつけながら、なんとかそれを受け取った瞬間、抱えていたレモン以外の全ての荷物が取り上げられた。

「女が持つようなものじゃないだろ」

にやりと笑ったデスマスクさんは、レモンを四つだけ持って茫然とするわたしを一瞥するとさっさと階段を上り始めてしまった。つまり、どういうことだったのだろう。あの重い荷物を私に渡したのは袋のそこからレモンを取り出すため?・・・うわ、紳士。

「・・・うっ・・・」

楽しくにぎやかながらも、サガさんとアイオロスさんに挟まれたり、沙織ちゃんに迫られたり、ムウさんに危険な液体を飲まされかけたりととてつもなく大変な一日を思い起こした瞬間、彼のその優しさが妙に嬉しくて目がしらが熱くなった。レモンの酸っぱい香りが鼻に心地いい。いつまでも後を追ってこない私を不審に思ったのか、デスマスクさんが振り返って目を丸くした。

「は?おいなまえ、なんでそんな泣きそうなんだよ!!」
「デスマスク・・・、なまえに何をした?償いは取ってもらうぞ。だが昔馴染みのよしみだ。さあ、望みを言え、三枚下ろしになりたいか?千枚下ろしが望みか?」
「俺は悪くないだろ!!つうか千枚下ろしってどんなだよ!!なまえ、この馬鹿山羊を止めろよ!!」
「問答は無用、お前も男ならば覚悟を決めろ、デスマスク!!」

あとから歩いてきたシュラさんとアフロディーテさんが私たちを見て顔を顰めた。鬼のような形相になって、大荷物を持ったデスマスクさんを追いかけ始めたシュラさんを笑いながら見送ったアフロディーテさんが私の頭をぽんぽんと撫でた後口を開いた。

「で、どうして泣きそうなんだい?」
「皆さんが、一番一般人です・・・!!」
「は?」
「いや、なんかもう、ありがとうございました」
「・・・?良く分からないが、・・・どういたしまして」

綺麗に笑ったアフロディーテさんに笑い返せば、彼はもう一度わたしの頭を撫でた。

「さてなまえ、じゃあ夕飯の準備のために彼らを追おうか」
「はい、アフロディーテさん!」

レモンの入った袋が、がさりとなった。



地平線の先で
(星が輝き始める時間の話)

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