蝉がみんみんじーじーしゃわしゃわつくつくほーしと煩わしいほどに鳴き喚いている夏の午後のことだった。
うだる様な暑さの聖域。だが当然クーラーなんて文明の利器があるはずもない教皇宮の執務室の隅には、カミュの置いて行った巨大な氷が一つ。それのおかげで大分涼しくはあるのだが、付近の床はすでにそれが溶けたせいで水浸しだ。だが、そんなことも気にせずにすぐ傍のソファに座る男女が二人。もはや彼らが氷を溶かす熱を発しているのではないかと疑問視したくなるほどにきゃっきゃうふふとくっついて会話をしていた。ああ、見ているだけで暑い。
「ボク、昨日ケイク・ソコラタを作ったんですよ!」
「爆発しなかったか?」
「ケーキは爆発しませんから!」
「お前ならやりかねんだろう?」
「失礼な!ちゃんと上手にできたんですからね!」
「頼むから俺の腹が死亡しないようなものにしてくれよ」
「カノンさん、食べる気は満々なんですね」
「食わせてくれるんだろ?」
「…も、もちろんです!!」
ばさりと机に書類が追加された。一体何だと横をみれば、顔を幾分げんなりとさせたムウが書類の山にさらに書類を乗せたところだった。おかしい、今日は私に回ってくる書類の量が多すぎると彼を見れば、ムウは溜め息をついて首を振った。彼の背後では少し頬を赤くしたなまえが、ゆるゆるの表情の弟にケーキをフォークですくって食べさせてやっている。嫉妬とか、羨ましいとかではなく、本当に暑苦しい。彼らが熱愛カップルすぎて、そろそろ彼らが地球温暖化の原因のように思えてきた。
「私に文句は言わないで下さいね」
追加された書類と、弟カップルを見比べているとムウが言った。
「…いや、理由はなんとなく分かっている」
「アイオリアなど気が散って仕方がないととうとう教皇宮にさえ現れなくなりました」
「その分の仕事を私に押し付けるのはどうかと思うが」
「貴方の弟のせいでしょう。なんとかしてください」
「無理だ」
「じゃないと仕事は増え続けるでしょうね」
そう言ったムウが、執務室のソファに目をやった。なんというのだろう、小宇宙ではないのだがピンクのオーラが見える気がする。それから小さなハートが飛び散ったり、花がふわふわと浮かんで行ったりする幻覚すら見えてきた。疲れているのだろうか。いや、疲れているに違いない。それにしても、いい加減執務室でいちゃつくのは止めてもらえないだろうか。アイオリアが気が散るといって逃げるのもよく分かる。できることならば私だってこの場所から逃げ出してしまいたいというのに、大量の書類が日夜私に襲いかかりそれさえもままならぬ。ああ、帰りたい。今すぐ風呂に避難して、一人で三時間ほどのんびりしたい…。
「はい、カノンさん、あーんです」
「…んん、また腕を上げたか?」
「ボク、カノンさんのためにデスマスクに料理を教えてもらったんですよ!」
「あいつには近づくなって教えただろう」
「嫉妬ですか、カノンさん!」
「……悪いか」
「いいえ!嬉しいです!安心してください、ボクの一番はカノンさんですから!!」
暑い。
実に暑苦しい。
そしてそろそろ悲しくなってきたと額に手をやれば、報告書を持って部屋を訪れていたデスマスクとアフロディーテが笑った。
「哀愁漂う三十路ってところだね、サガ」
「私はまだ二十代だ!!」
「ギリギリだけどな」
へらりと笑った二人から報告書を奪い取り軽く目を通す。とくに問題はないようだし、このまま教皇に渡したとしても大丈夫だろうと判子を押してやることにする。
「あ、ところでカノンさん!今日のボクの服どうですか?沙織と一緒に買い物に行ったときに買ったんですよ」
「お前は何を着ても似合うから問題ない」
「カ、カノンさんってば…!もう、そういうんじゃないんです!」
「分かった、分かったから座れ。…なまえ、似合ってる」
「あ、ありがとう、ございます、カノンさん」
「そんなに赤くなるなよ、なまえ」
「だっ、だってカノンさんが…」
うわあああああああ!!ああああああああ!!と叫びたくなる。落ち着くんだ、少し頭を冷やすべきだ。そうだ、こんなことで心乱されるなど愚かだぞ、双子座のサガ!とにかく落ち着くのだ!
「好きだ」
「ボクも好きです」
まるで砂糖を壷でばらまいたかのような甘さだ。何故か胃にもたれそうだと思い切り判子を叩きつける。いつもよりくっきりと赤い文字が刻まれたのを見て、アフロディーテが苦笑した。
「お疲れ様とでも言っておこうか」
「…結構だ」
「あの二人の関係は見ているだけで胸やけしそうだから、分からなくもないが・・・」
「肝心なのは慣れだぜ、サガ」
慣れないから今、私は頭を抱えているというのに、何故この二人はこんなにもケロリとしていられるのだろうか。そもそも、もはや慣れるとか慣れない以前の早さで彼らの仲は急速に深まっているのだから、私の心というものも追いつきはしない。
「そもそもだな、お前ら、私は彼らと、…はぁ」
「あ、一緒に住んでいるのか」
少しばかり憐れみの視線を送ってきたアフロディーテに泣きたくなる。そんな目で私を見てくれるな。なんだか、とてつもなく自分が不憫に思えてきて、悲しくなってくるではないか!
「朝から晩まで、あの状態。仕事に逃げても何故か執務室であの状態!」
「一応仕事はしているからここにいるんだろ。書類は片付けてるみたいだし」
「でも、確かに気が散るのは確かだな。サガ、兄として文句のひとつで言ってみたらどうだい?そろそろアイオリアやカミュが熱に浮かされて溶けてしまいそうで不憫だ」
「い、いや…、それは…」
「おい、アフロディーテ、サガに無理を言うなよ。こいつ、13年前にカノンを水牢にぶち込んだ負い目からあいつに文句言えねえんだよ」
「その割にはマグカップの位置が一センチずれたとか、タオルのたたみ方で大喧嘩になってギャラクシアン・エクスプロージョンの打ち合いをしているのをよく見るけれど?」
それとはまた問題が違う。あのカノンが、愛を見つけたというのなら、このサガ、何があっても応援し受け入れようではないかと覚悟したのだ!たとえ、カノンが連れてきたのが日本のスモウとやらの競技をやっている男であろうとも、そしてたとえ愚弟がタコのパウル君を妻としてつれてこようと受け入れると決めたのだ!!
だが、それにしても、それにしてもだ。毎朝二人のいちゃいちゃを見ながら朝食をとり、職場でも二人の愛の語らいを聞き続け、夜は・・・、まああれだ。とにかく私の休まる空間はとうとう本当に風呂だけになってしまった。だが、弟が幸せであるというのなら、私も我慢をしよう。義妹としてもなまえは可愛らしく好ましい女性だし応援はできる。だが・・・!一つだけ望めるというのなら、どうか仕事の邪魔はしないでくれ。机の上だけでなく周りにも積まれた書類を片付けなければならない使命が残っている私の周りで気が散る様な行為に走るのは、どうか止めてくれ。
「どうぞ、サガ。ぼんやりしているところ申し訳ありませんが書類の追加です」
どさりと、再び執務室を訪れたムウからさらに追加された書類。もはや一人で片付けられる量ではない。これではあんまりではないか!ここは、仮にも執務室であって、二人の部屋ではないのだ。他の人間も訪れる場所で、公衆においてふさわしくない行為は控えるべきだ。それをしなかったからこそ、アイオリアなどは熱にやられて獅子宮に逃げてしまっているという現状があるのであって、
「カノンさん、大好きです」
「俺も、好きだ」
「カノンさん、キスして?」
「ああ、目をつぶれよ」
「カノンさ、ん…」
とうとう、ぷちりと何かが切れた音がした。
痛む胃を押さえて叫ぶ
(ここは執務室だあああ!!)
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