「もう一度言ってみろ」
思ったよりその声は低いものになった。
冷静になるべきだ。
頭では分かっているのに、それを行動に移すことができない。
胸の中に湧き上がった憤りや正体の知れぬ怒りのやり場が分からずにただ拳を握りしめた。
なまえはそんな俺を気にした素振りも見せずに微笑んで繰り返す。
「恋人ができたの」
それがどうかしたのかと微笑みながら首を傾げたなまえに、今度こそ頭の中が真っ白になった気がした。
「相手、は」
「アテネに住んでいる人。たぶんリアは知らないよ」
俺の掠れた声と対照的に彼女の声は弾んでいた。幸せに満ち溢れたもの。平和から生まれる愛。それは俺の守るべきもののはずだったが、今この時ばかりはそれが憎たらしくて堪らない。
幸せそうに笑ったなまえの頬に手を添えた。不思議そうな顔をしたなまえを抱きしめる。
「どうしたの、リア?」
「…なまえ」
「ふふ、応援してね、リア」
嫌だ。ふざけている。
誰が応援などするものか。
小さい頃からなまえの傍にいたのは俺だった。
13年間傍にいてくれたのはなまえだった。
手放したくなどなくて(いや、手放せるはずもなく)強く抱きしめたが、なまえは俺がそんなことを考えていると理解してはくれない。
彼女は俺を兄弟や家族としか思ってくれていないのだ。
俺はそれをよく知っている。子供のころはそれで良かったし満たされていた。けれど大人になった今は、駄目だ。それ以上を望んでしまう。
俺がどれだけ彼女を想ってきたのか。
守ってやりたい。力のない彼女を。地上の平和により彼女が平穏に過ごせるというのなら万々歳ではないか。だがその時なまえの隣にいるのはこのアイオリアであると信じていた。
好きなどという言葉で言い表すつもりなどない。愛している、いやそれ以上だ。手放したくない。なまえ、なまえ。
いっそ閉じ込めてしまおうか。俺と、なまえだけ。他の、なまえを奪うようなやつは必要ない。逃げ出せないように奥深いところに閉じ込めて、二人きり。
なまえが見るのは俺だけでいい。声を聞くのは俺だけでいい。なまえと会話をするのは俺だけでいい。
愛しているんだ。
大切で、かけがえのない女。失いたくないし、奪われるなど考えただけで腸が煮えくり返る。
無理やり抑え込んで、刻み込んでしまおうか。俺という存在を決して忘れられないように。
「アイオリア」
穏やかで甘い声に名前を呼ばれてびくりと体が震える。恐ろしい思考から意識を現実に引き戻されてなまえを正面から見た。
決して俺を疑わない信じ切った瞳。
「アイオリア、大好きよ。これからも兄弟のように仲良くしてね」
そして彼女はこの上なく残酷な言葉を吐いた。
その言葉が俺を縛り雁字搦めにして殺すのだということを、なまえは知らない。
純粋さゆえに、
信頼ゆえに、
(ああ)
(滑稽だ。)
「なまえ」
「甘えんぼだね、今日のリアは」
頬に唇を寄せてもなまえはまったく意識などせずにくすくすと笑う。
その笑顔がひどく心苦しく、そして悲しく感じ、目を閉じた。
「どうしたの、くすぐったいよ、リア」
笑うなまえの首に、手をかけた。この手に力をいれるだけで。そんなギリギリの思考を頭の中に置きながら、もう一度彼女に口づけた。
(いっそのこと壊してしまおうか)
その恐ろしい思いつきに蓋をするように彼女の熱を抱いて瞼を閉じた。
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