「バレンタインデーキス! バレンタインデーキス!」
下手くそで耳障りな声が響く。小太郎と玲央が顔を見合わせて「なまえちゃんの声ねえ」と言った。暢気なものだ。むしろ羨ましいともいえる。今日という日付とあの歌がもたらす悲劇をもう中学の頃から散々味わわされている僕にとって、あのメロディーとあの歌詞は終末のファンファーレにも等しいものがあるというのに。高校に入れば落ち着くと思ったのは僕の間違いだったらしい。ほら、「赤司君!」と叫びながらなまえが教室に駆け込んできた。
「ハッピーバレンタイン! 受け取ってください!」
「今年のチョコはなんだ?」
まずは確認である。
中学一年の時はこれを怠って悲惨な目にあった。一方なまえは僕の機嫌などどうでも良いのか朗らかな笑顔で包装だけは愛らしい箱を差し出して声高々に宣言する。
「今年はワカメチョコ紅生姜入りを作って来たよ!」
「分かった、送料受取人負担で送り返すよ」
「赤司君の好き嫌いが改善されるようにって思って作ったんだよ!」
「それにしても限度があるだろう、なんだワカメチョコって」
「茹でたワカメをチョコでコーティングしたんだけど」
「もはや凶器の域に達しているな、そんなものをよく学校に持ち込めたものだ。警備員は何をしている?」
三年前、なまえはわさびと納豆を敷き詰めたチョコを持ってきた。なにが「赤司君は和な感じが好きかと思って」だ、あれは見た目も味も食べ物ではなかった。二年前はインパクトを求めてと言って糠漬けならぬチョコ漬けキュウリ、去年は豆腐味のチョコレートを作ってきた。もはや意味がわからない。そしてとうとう今年はワカメときたものだ、よくもまあ異常なものばかり作り上げてくるとここまで来ると尊敬の念すら覚える。
「うわあ、毎年やってるの? すっげーな、なまえちゃん」
「なまえちゃん……、料理するときは一声かけてくれれば……!」
「食べ物を無駄にするなと何度行ったら分かるんだ、お前は?」
「無駄にはならないよ、赤司君が食べてくれるから!」
一体どこからその自信が出てくるのだろう。自分でも食べるのは嫌だといつか言っていた気がするが、そんなものを何故僕が食べると確信を持てるのか本当に不可思議だ。
差し出されたままの箱を見下ろして眉を顰める。なまえはだんだんと心配になってきたのか(というより心配するのなら最初から普通のものを持ってきてほしい)、「やっぱりワカメは嫌だった?」とおずおずと問いかけてきた。ワカメ以前にチョコレートと合わせてはならない食品があることをなまえは知るべきだ。
ため息をついて箱を受け取り蓋をあける。もうすでに有り得ない。チョコからワカメと紅生姜が飛び出している。テロか。覗き込んだ小太郎たちの顔が引きつったのを見てから一粒つまみ、齧る。ぬるぬるしたワカメとしゃきしゃきとした紅生姜とどろりと溶けるチョコレート、最悪だ。
「美味しい?」
「まずいよ」
というより、これを美味しいと思える人間の味覚はおかしい。はっきりと告げると小太郎たちはなまえが泣くとでも思ったのか、顔を青くして僕らを見比べる。だけどそんな必要はないと僕はもう知っているんだ。これで四年目だからね。
「でも、赤司君はいつも全部食べてくれるね」
予想通り笑ったなまえに好きて食べているわけではないと心の中で毒づく。だけど僕はまだまだ知っている。こいつの料理が上手くなることはきっと天地がひっくり返ってもありえないだろうこと。来年もきっとさらに悪化した(退化ともいえるかもしれない)チョコレートを僕に持ってくるだろうこと。それを、僕は食べるだろうこと。そしてなまえがそれを見て嬉しそうに笑うだろうことを。
どうしようもないな、本当。
(愛という名の腫瘍です/背骨様)
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