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 それはむかーしむかしの物語。昔話のひとつ。むかーしむかし、むかしのむかし、むかしのむかしのむかしのむかし。昔すぎて、あいつがすっかり忘れてしまった物語。


 今日なんとか手に入れた食事を手に、なまえを連れて路地を突き進む。薄暗い地下街の路地はさらに暗く、気を這っていなければゴミや寝転がる人間、時には死体に引っかかって転ぶ。危なっかしい足取りで背後を歩くなまえの手を握って進めば、なまえがふと立ち止まって何かを拾った。吐いた息も白いこの時期、かじかんだ指先で大切そうに目線の位置まで持ち上げられたそれは、すっかりと色を変えた紙の束。ゴミ付き。

 「きたねえ、捨てろ」
 「本だよ、リヴァイ。めずらしいねえ」
 「そんなもん持っていたってどうせ読めねえだろ」
 「でも絵もあって綺麗だよ」

 目を輝かせて、あとで一緒に読もうよなんてなまえは言った。字も読めねえくせになにを言ってやがると繰り返すと、なまえもまた絵が綺麗だからきっと分かるよと答えた。これ以上は何を言っても聞かないだろうと悟って、なまえがその本を握ったままなのを放っておくことにした。本も汚いが、どちらにせよ俺もなまえも同じように汚れているのだ。それを持ち帰ろうが捨てようが、大した違いはないように感じた。ただ、せめてゴミは掃えよ。


 地下街の隅の方にある、汚い自分たちの小さな部屋に帰り着く。なまえは早速隅のほうに腰かけて拾ってきた本のページをめくっていた。何かの液体に濡れたあとのある茶色のページ。きたねえ。顔がゆがむのを感じていると、なまえはなまえで頭を抱えた。

 「うんー」
 「なんだ」
 「わかんない。リヴァイ、これなんだと思う?」

 そう言ってなまえが俺に指示した挿絵は、水がどこまでも広がっている図だった。水たまりと答えると、なまえは笑いながらこんなに大きな水たまりがあるんだねえと感心してみせた。

 「事実かどうかなんて分からねえだろ」
 「でも嘘とも限らないよ? ほら見て、リヴァイ。こっちは赤い水が流れてる。地上はこんな感じなのかな」
 「そんなもんがあるなんて話は聞いたことないがな。あるとしたら壁の外だろう」
 「そっかぁ、壁の外かぁ。じゃあきっとすっごく遠いんだろうねえ。あっ見て見て、リヴァイ! こっちには可愛いお花がいっぱいあるよ!」

 すっかり拾ってきた汚い本に満足したらしいなまえは、それから暫く一人ではしゃぎながら、骨のような指を本に這わせていた。細い。こんなひょろひょろの骸骨みたいな体をした女、外にいるという巨人も食いたがらないだろうなと考える。だが、ともかくとなまえの襟首を掴んで引き寄せた。


 「おい、なまえよ。まずは手を拭いて飯を食え、話はそれからだ」
 「わーいご飯だー」

 言うとおりにたいして綺麗でもない布巾で一生懸命に手を拭いたなまえが俺の前に座ってパンを齧った。あいつは美味しいねえなんていうが、俺には分からない。黙って固くて酸味の増しているパンを咀嚼して飲み込んだ。片づけを済ませると、あいつはソファに座る俺のところまでぼろきれを大量に持って近づいてきた。もう眠いらしく、ごしごしと目元を擦っている。

 「リヴァイー、一緒に寝て」
 「一人で寝ろ」
 「寒いんだもん」

 そして俺の返事も聞かずに隣に座るとくっついてくる。一気に狭くなったが、黙って座っているとなまえが笑みを見せた。

 「えへへ、あったかい。リヴァイは寒くない?」
 「……悪くない」
 「良かった」
 「そうか」
 「うん、おやすみ、リヴァイ」
 「ああ」

 まだ眠るつもりはなかったのだが、なまえが横で爆睡し始めてしまえば何をすることもできず、ただぼんやりと時を無為に過ごすはめになった。そこでふと目に入ったのはなまえが拾い上げて来た本。相変わらず何が書いてあるのかはさっぱりだったが、その挿絵を眺めながら眠気が訪れるのを待つ。

 巨大な水たまり。
 火の海。
 塩の大地。
 花がどこまでも咲き誇り、夜空を泳ぐ輝く光。

 事実なのか空想なのかも分からないその本を閉じて、隣ですっかり寝入ったなまえを見る。間抜けなその顔を見ているとだんだんと眠くなってきたために、俺ももう寝ることにした。


 その日は、なまえが黄色いよく分からない花のたくさん咲いた丘の上を走り回っている夢を見た。そのままあいつはばたりと畑の上に倒れこんだ。髪から服まで土がついている。きたねえ。きたねえ。だがそんなことはお構いなしに幸せそうなやつの顔を見たらなんだかどうでも良くなった。そういや花売りの女たちがたまにつけている枯れた花をあいつはいつも焦がれる様に見ていた。そんなもんが好きなのか。だが生憎地下街には花なんて御大層な物は咲かないのである。世界というのはどうしてこうも上手くいかない。それでも今なまえは黄色い花に埋もれて、ちらりと俺を見た。腑抜けた笑顔だ。だが満足そうなので放っておくことにした。


 目が覚めた時、相変わらず汚い天井に覆われた狭い世界に閉じ込められていることを知って、俺は気分が悪くなった。


 所詮ここに暮らす俺たちにとって、希望なんてものは下らない夢物語に過ぎない。

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