またフラれたと言って膝に顔を埋める。今度は大丈夫だと思ったのに。わたしを好きだと言ってくれて、ずっと一緒にいたいとまで願ってくれた。いつだって優しくて、少し恥ずかしがり屋で、二人で市場に行ったときは「迷子になると困るだろ」なんて言って真っ赤な顔でわたしの手を取った。突然雨が降り出した時は、ジャケットをわたしの頭にかぶせてくれた。「お前が風邪ひくと俺が困るからな」と笑うあの人が大好きだった。困る、困るってしょっちゅう繰り返していたけれど、その言葉の裏には確かに愛情が隠れていると信じたわたしが間違えていたのだろうか。
「も……、もう、わたしじゃ嫌なんだって」
涙を必死に堪えるわたしの隣に黙って座ったエレンがぼすんと頭に手を置いてくる。慰めてくれているのだろうか。エレンはいつも優しい。
「……みんな離れて行っちゃうや。エレナ、ノーラ、レイチェル、ヨーゼフ、フリッツ。ここに来た頃はいっぱい友達いたんだけどなあ……。わたしの何がそんなに駄目なんだろ」
「お前にダメなところなんてないだろ。理解できないで離れる奴らの方が悪いんだ、いちいち気にするなよ」
「あはは、やっぱり慰めてくれてるんだ」
乾いた笑いを零して少しだけ顔をあげる。だがそれも長くは持たずに涙がぽろぽろと溢れて来てまた膝に顔を押し付けた。誰もがわたしの何が悪いのか、原因をはっきりと教えてくれなかったから余計につらい。いつだってそうだった。友人も、恋人も、気が付けばわたしから離れて行ってしまう。ともに笑って、ともに戦っただれもが最後にはわたしから目を逸らして何かに怯え、逃げるように去って行った。彼らをそんな行為に走らせた原因も分からずに、わたしはただその背中を見送り続けた。わたしはあの人たちを怖がらせるようなことをしてしまっただろうか。疎ましがられる原因になってしまったのだろうか。答えなんて見えない。
「もうエレンだけだ」
だけど、エレンもいつか遠くに行ってしまうのだろう。
その時きっとわたしは一人になる。
「こわいなあ」
「……俺は、どこにも行かねえよ」
「駄目だね、わたし。こういうこと言うから重いとか思われちゃうのかな」
だけど愚痴りたくもなる。こんな明日があるかも分からない生き方をしていて、それでも守りたいものがあったはずなのに、それさえも手から零れ落ちるようになくなってしまうのだから。
「なまえ」
そっと髪を梳かれる。その手がどこまでも優しくて、わたしはまた膝に顔を押し付けて泣いた。止めて。止めて、エレン。そんなことをしないで。今そんなことをされたら、いつかの未来を想像してわたしは怖くてたまらなくなってしまうから。
「やだ」
手を押し返す。エレンはそれ以上無理をしなかったが、身を引く事も無かった。
「どうして」
「やだ、やめて。エレンが優しいから、こんな時にも優しくて、いつも傍にいてくれるから、わたし調子に乗ってしまう。エレンに頼ってしまう。だけどそんなことをして、いつかエレンが離れていくようなことになったら、わたしもう耐えられないよ……」
その時わたしの話をこうして聞いてくれるひとはいなくなるだろう。その時わたしの隣でそっと頭を撫でてくれるひとはいなくなるだろう。その時こそ、わたしは本当にひとりぼっちになってしまうだろう。
「なまえ」
「…………」
「俺は、いなくならない。絶対に、ずっと傍に居る。だから……」
だから俺を信じろとエレンは言った。
そして抱きしめられる。温かな彼の体にまた泣きたくなった。目を閉じると頬を流れる涙の感触と、そして思い浮かぶ遠くに行ってしまった人たち。彼らが居なくなり始めたのはいつごろからだっただろう。よく覚えていない。半年、いや、一年前からか。だけど誰もが遠くに行っても、それよりずっと近くにエレンは歩み寄り続けてきてくれた。そう思う。だから、信じても良いのではないだろうか。だが、そのことがまるでエレンを利用しているみたいで怖かった。わたしは本当にエレンのことをちゃんと想えるだろうか。分からないのだ。エレンはそれでは嫌だろう。そっと尋ねると彼はわたしを抱いたままぽつりと呟いた。
「それで良い」
「え……」
「今は、それで良い。いつか、お前が俺のことを好きになってくれるなら、ちゃんと向き合ってくれるなら、いくらでも利用して良い。ずるいかもしれないけど、そう思うんだ。お前が好きだ、どうしようもないくらい好きだ。なんだってできると思う。だから、俺を信じてくれ。俺を選べよ」
そんなことを言うなんて、なんだかエレンじゃないみたいだ。エレンがこんなことを言うとは思っていなかった。
しかしエレンのその言葉にとうとう堪えていたものがあふれ出した。涙と一緒になって、隠してきた心の中の本音も飛び出していく。
「一緒にいて、エレン。お願い、ひとりにしないで」
背中に恐る恐る手を伸ばすと、さらに強い力で抱きしめられた。
彼の肩越しに、遠くにそびえる壁と、夕日に照らされて広がる街の屋根が赤くなる様子を見ていたわたしは、その時エレンがどんな顔をしていたのか知らないまま。
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