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 思えば、あいつとは随分喧嘩をしたものだった。なまえ。あいつはああ言えばこう言う、まさに天邪鬼を絵に描いたような女だった。しかもただでさえそんな性格なのに、加えてあいつはしょっちゅう俺に突っかかってくるものだから溜まったものではない。一日に何度も一人で先走るなとか、班のことを考えろとか小うるさく叱りつけてくる。それだけならまだしも、食事をしている時はソースの味は何派かとか、掃除中は雑巾よりモップ派だとか、いちいち下らないことであいつは俺の前に立ちはだかった。

 だがいざ壁外に出れば、あいつは薬でも決めたアホのようにびゅんびゅんと空を飛びまくって、誰よりも早く班の最善策を選んで前線に突っ込む。あいつにとって俺も班員に含まれていたせいか、事あるごとに目の前に飛び出してきて正直邪魔だった。あいつはぶんぶん飛ぶ。「大丈夫かーっ、リヴァイ!? やヴぁい!? うっふふふふ」、そんなことを言いながら、今日も明日もぶんぶんぶん。くそったれ、うるさい。お前は蠅か。そう言えばあいつはまた顔を真っ赤にして怒り心頭になり、空に向かって腕を突き上げていた。


 あいつは、俺の一番最初の班長だった。
 あいつは、俺の目を見て叱りつけて来た最初の仲間だった。

 あいつは、俺のことを、……俺なんかのことを好きだと言った一番最初の奴だった。

 あいつは、俺の前で巨人に食われて苦しみ悶えて死んでいった最初の人間だった。

 あいつは、俺の知る限り、苦しみぬいて死にかけているくせに最高の笑顔で「何泣きそうな顔してるの、リヴァイのばーか。さっさと行けよ」とふざけたことを言って死んだ、唯一の女だった。


 「なまえ」

 呼びかけに、あいつが振り返る。相変わらずの、能天気な面構えだ。今朝も目玉焼きには醤油かソースか、それとも塩かという論争で一人で騒いでいた。塩だろうがソースだろうが醤油だろうが、正直どうでも良い。そしてここに来るまでの道中も、こいつは一人でぺらぺらと話し続けていた。ハンジと良い勝負だ。話すことがあいつより低レベルというだけで、騒がしさはほぼ変わらない。そんなあいつが今日車の中で話していた内容は、これからのこと。こういうことは早めにお互いで確認して約束しておいたほうが良いと言った奴が持ちかけた提案は、掃除洗濯は俺の仕事。料理はこいつの仕事。煙草は厳禁。休日は出来る限り一緒に過ごす。つらいことは隠さずに相談する。一緒に生きていく。そんな生ぬるくて涙が出そうな口約束のオンパレードだった。

 ついでに言うのなら、最後に付け足されたのは「かかあ天下万歳」という言葉。ふざけるな。お前に天下を任せたら三日ももたない。明智光秀に謝れ。


 しかしふと、一言だけ言ってやりたくなってこちらを見上げるやつを見下ろしてもう一度名前を呼んだ。

 「なまえ」
 「なーに、リヴァイ」
 「今朝の話だが……。俺も一つ付け足しておきたいことがある」

 白いドレス姿のなまえの手を取る。細く、柔らかい。剣を握ったことでできるタコなどどこにもない。大きく開いた肩にも、傷はひとつも見えなかった。あいつだと確信できるのに、あいつのものではない身体。だがそんなことになんの問題があるというのか。なまえは、ここに居る。


 「お前は俺より先に死ぬな」


 付け足した“口約束”に、なまえがぽかんと口を開ける。そしてすぐに吹き出して答えた。

 「随分と難しいことを言うね、そんなこと分からないよ」
 「お前が踏ん張れば良いだけの話だ」
 「こりゃとんでもない亭主関白になりそうな予感」
 「馬鹿言え、亭主関白なんぞ気取るつもりはない。そもそもお前が俺より後に寝て、俺より早く起きられるとは思えない」
 「うん、ふふ。でも良いよ、乗ってあげる」


 大好きな貴方の願いなら頑張って叶えられるように努力できるだろうから。

 けらけらと、あいつは笑った。ベルの音が聞こえる。ハンジが騒ぎ、エレンとアルミンが落ち着かせようと必死になる声が聞こえる。扉の向こうからは騒々しい歓声がひっきりなしに聞こえてくる。それらが全部混ざり合って、泣きたくなるような旋律になった。


 痛みに歪んだ声は、遥か彼方。

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リクエストありがとうございました。
Arcadia/どてかぼちゃ

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