わたしの悩みを聞いてください、ジャン君。
机とおでこが熱いキッスを交わすまで頭を下げて、前に座って立体起動の整備をするジャンの返事を待つ。彼は暫く黙り込んだ後に、「急に改まってなんだよ? とりあえず顔上げろ、な?」と優しい言葉をかけてくれた。ゆっくりと顔をあげて、正面のジャンをちらりと見る。ばちりと目が合って慌てて目を逸らすと、なんだよとジャンは言った。しまった、条件反射だ。最近はエレンと目があうと、彼が突然怒り出すものだからなるべく人と目を合わさない様に訓練されてしまったらしい。(しかし目を逸らしても起こるので、結局どうすれば良いのかわたしにはさっぱりだ)
「あのね、恋愛相談しても良い?」
「唐突だな、本当」
むしろそんなこと俺が相談したいくらいだよとジャンは毒づいたものの、最終的には聞いてくれる気になったようでゆっくりと作業しながらわたしの言葉を待ってくれる。そんなジャンにわたしも装置に油を差しながら、言葉を選んだ。
「好きな人が、急にそっけなくなったり意地悪してくるようになったりした時はどうしたら良いのかな? 前まではね、普通だったんだよ。でもちょっと前……あれ、いつごろだったかな。とっとにかくねっ、前までは皆と同じように接してくれて、仲も良かったし、友達だったと思っていたんだけど、最近は全然……。嫌われちゃったのかな」
「相手は誰だよ、随分面倒くさそうな相手なんだが」
「相手はひみつだよ! ひみつ! 言えないの!」
「なんでだよ」
「はずかしいからだよおっ!」
勢いよく顔を隠そうとしたら勢いが付きすぎてごつんと額を机にぶつけた。今日のわたしのおでこは机にお熱らしい。痛い。額を両手で押さえてのそりと顔をあげる。やっぱり痛い。
「……だ、大丈夫か?」
「……うん。ごめんね、せっかく話聞いてくれてるのに」
「構わねえよ。相談だっていつでも聞いてやるよ」
お前のことは嫌いじゃないし。そんな話をしながらもジャンの視線は立体起動装置に向けられていた。柔らかな目線に自然と表情が緩む。「わたしも、ジャンのこと好き。優しいし、良い友達」 緩やかに時間が流れる、夕暮れのわたしたちしかいない静かな部屋にかちゃかちゃと装置を弄る音が響いていた。
「そうかよ。おい、そこ螺子外れたままだぞ」
「あ、ほんと。……へへ、ありがとう。なんかこういう話をゆっくりできると嬉しいな。ね、わたしで良ければジャンの話も聞くよ」
「なっなんのことだよ……」
「さっきジャンが俺が聞いてほしいくらいって言ったから……、ジャンが好きな女の子ってミ……」
「あーっ! あれはたとえだろ! 良いんだよ、俺は自分でなんとかするから」
「……っ、ジャンが男前で眩しい……!」
「そ、そうか?」
「うん! むしろ本当わたしが女々しくてごめんなさい」
わたしも兵士ならば胸をどんと張って腰を据えておかなければいけないだろうに、うじうじもだもだして一歩すら中々踏み出せない。ジャンの勇気を少しは見習わなければならないだろう。そうだ。わたしも、人に頼ってばかりではなく、自分の力でエレンに向き合わなければ。「ありがとう、ジャン」と彼の手を取って言おうと、そっと手を添えた時だった。ジャンの手がわたしから離れて、彼の身体もぐっと背後に倒れ込む。床に倒れることは無かったが、椅子から半分ずり落ちた状態で目を丸くしたのはわたしもジャンも同じだった。
「おい、食事当番が探してたぞ」
「……ってぇな……、何すんだよ、エレン!」
呼びに来ただけだよ。
そう答えたのはエレンだった。ジャンの背後に立つ彼が、ジャンの襟首を掴んで引っ張ったらしい。だからジャンが椅子からずり落ちそうになっているのか。突然そんな風に引っ張ることは無いのに、ジャンだってきっと痛かったはずだ。
「はあ? 俺今日当番じゃねえぞ」
「知らねえよ、どうでも良いからさっさと厨房行って来い」
「うるせえな、命令するな」
「じゃあどうしてほしいんだよ」
「お願いしろよ」
「ふざけんな、だれが!」
ぎゃあぎゃあといつものように喧嘩を始めたふたりを止めようと必死になるが、もはやわたしの声など二人には届かないようだった。おろおろとしながら小さな声で止めてと言っても仕方がない。とうとう殴り合いに発展したところで悟ったわたしは勇気を振り絞って大声を出した。「ジャン、呼ばれているなら早くしないと! エレンも邪魔しちゃだめだよ!」、言いながらすぐにジャンが行けるように立体起動装置を片付ける。自分でもこんな大声が出せるのかとびっくりするくらいの声に、ジャンもエレンも驚いたのかぴたりと殴り合いを止めてくれた。だがそれで終わるはずもなく、ジャンは鼻で笑うとエレンを正面から見据える。
「お前はいつも女に尻拭いをしてもらわなきゃ何もできないのかよ、エレン!」
「それを言うなら今止めに入ったのはなまえだからお前も同じ事だろうがっ!」
「あああっそういえば今日の食事当番はミカサだった気がするなあっ!」
今度こそぴたりと止まったジャン。エレンはだからなんだと眉を寄せていたが、ジャンはすぐに鼻の下を指で擦りながら「ま、まあ、呼ばれているならしょうがねえな」と言って立体起動装置を持って部屋を出て行った。その背中を見送りながら、大事にならずに済んだことに安心感を覚える。だが隣で腕を組んでぶすっとしているエレンに関してはまだ言いたいことが残っていた。
「エレン、やりすぎだったと、……わたしは思うよ? ジャンは何も悪くないのに急に襟首ひっぱたりきつい口調で言ったりすることは無かったんじゃないかなって」
「なんでお前にそんなこと言われなきゃいけないんだよ、なまえ」
お前はミカサかとエレンは眉を顰めた。
ああそうだ、ミカサのように思っていることを言えたり行動に移せたりしたらどれだけ良いだろう。エレンの傍で、彼を守ることができたらどんなに良いだろう。だけどわたしにはそんなことはできない。わたしはミカサじゃない。
「……わたしは、ミカサみたいにはなれないよ」
俯きがちに小さな声で零す。
そして装置の整備が終わるころに、話題を変える意味でも、わたしはもう行くがエレンは何をしているのか問いかけてみた。ジャンに用件を告げに来たのだとしたら、まだ彼がわたしと一緒に部屋に残っている必要はないし、状況の説明もできなかったからだ。
エレンはじっとわたしを見下ろすと、やがてぶっきらぼうな口調で言った。
「ジャンと何話してたんだよ」
「……ひみつ」
「……言えよ」
「やだ、だめ」
言えるものか。エレンの名前こそ出さなかったが、彼への恋愛感情からくる相談をしていたなんて、遠回しにでも言うのは恥ずかしかった。だけどエレンはそれが気にくわないらしく、いらいらを隠そうともせずにわたしの腕を掴んだ。強い力が痛い。
「言え」
「……だ、だめなの」
「どうして」
「……エレンこそ、どうして?」
どうしてそんなことをわたしに聞くの? またからかうネタにするの? それなら言いたくない。恥ずかしいだけでなくて、やっぱり怖いから、言いたくない。
黙って首を振ったわたしの腕をエレンが引っ張る。あまりの力に身体が引きずられてエレンに近づいた。エレンの金を散らした綺麗な色の目が、ほんのすぐそこに近づいた時に、エレンはもう一度「教えろよ」と繰り返す。
「だっだからやだってば。エレンに言ったってきっと分かってくれないし、笑われたくないもん! そもそも理由が特にないなら聞かなくたっていいでしょ……っ」
「理由くらいある!」
「またわたしをからかうから? 馬鹿にするから? そんなんだったら絶対に言わない!」
違う、そうじゃない、そんなんじゃないとエレンは強い視線でわたしに訴えかけた。そして。
「さっ、寂しいし気になるだろ!!」
力任せに言い切ったエレン。数秒後に自分の言ったことに気が付いたのか、はっと体を揺らした。寂しい。寂しいとエレンは言った。どういう意味だ。仲間外れが嫌だと言う事か? それとも、ええと。
思わずぽかんとしてしまったわたしと目が合うと、彼はみるみる顔を赤くした。耳まで赤い。エレンのこんな顔を見られるなんて今日は本当に貴重な日だ。明日は雨かもしれない。つい不躾にもじいっと見つめてしまうと、エレンはぷしゅーっと湯気が出るのではというくらい赤くなった。
「ばっ……見るな! なんでもないからもう忘れろよ、俺は行くからな!」
そしてばたばたと走って部屋を出て言ってしまったエレンに、一人残されたわたしは暫く茫然とする。そしてすぐに気が付いて慌てて立体起動装置をまとめ上げると、エレンのあとを追いかけることにして部屋から飛び出した。会ってどうするのか、追いついてどうするのか、そんなことは分からない。まだそこまで頭が回らない。
だけど、今は一秒でも早く、彼の傍に行きたかった。
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リクエストありがとうございました。
Arcadia/どてかぼちゃ
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